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千葉スペシャル靴磨き

近年、靴磨きがブームである。
それは過去にドレスシューズのブームがあり、そうなると必然的にシューケアもブームとなるためだ。
昔は子供が小遣い稼ぎに親の靴を磨いたりしていたが、今は大の大人が夢中で自身の靴を磨いている。

そのように、靴磨きのスタイルを全く変えてしまったのは誰か?
そう問われると、おそらく答えは「Brift Hの長谷川裕也氏」であろう。
その昔、靴磨きはホームレスや親のいない子供が路上で小銭を稼ぐための手段だった。
しかし彼は仕立ての良いスーツを身に纏い、客はバーカウンターでお酒を嗜みながら、靴が目の前で華麗な手捌きで変身してゆく様を眺めて楽しむスタイルを確立した。
「泥臭い」イメージだった靴磨きを、「上品な」「大人な」「スタイリッシュな」イメージに塗り替えてしまったのだ。

しかし、東京で一番有名な靴磨き屋さんはどこか?と問われると、おそらく別の答えが多いだろう。
有楽町・交通会館で黙々と磨く「千葉スペシャル靴磨き」が多くの人にとって馴染みがあるのではないだろうか。
しかし、その知名度とは裏腹に、その本質が語られる事は少ないという稀有な店なのだ。

実は平日と土曜で開店場所が少し異なる

何故有名なのか?と言えばファンに支えられた話など逸話は沢山あるが、とりあえず目立つのは仕事の速さだ。
通常の靴磨きの店では30分以上はかかるであろう鏡面磨きを、ものの10分で仕上げてしまう。
あっという間に靴全体がピカピカに光るのだから、それは見ものだ。
その速さから、料金も他と比べて半額程度の¥1,300とリーズナブルで、多くのオジサマ方が靴を光らせるために列をなしている。

しかし、実のところ本質はそこではない。
確かに光沢が出たドレスシューズは美しいが、それは副産物でしかないのだ。
磨いてもらいながら「ピカピカになるのが良い」と褒めようものなら、靴磨き職人による「それは間違っている」と講釈が始まるのである。
一度でも磨いて貰えば分かるが、ここの良さはとにかく「革が柔らかくなる」という点に尽きる。

千葉スペシャルで使用される靴クリームは社長である千葉尊氏が独自に調合したもので、その配合は彼しか知らない。
ネット上ではマヨネーズが入っているなどの怪しい噂が色々あるが、純アルコールに成分を溶かし込めるように原料を選定しているらしい。
アルコールで磨く事で、古いクリームを落としつつ新しいクリームを染み込ませる事ができる、という寸法だ。

よく観察している人の中には「クリームを何種類も使い分けている」と言う人がいるが、実は厳密には誤りだ。
勿論色毎にクリームが分かれているがそれは別として、実はクリームは1種類しかない。
ペースト状のクリームに「アルコールをどれだけ含ませるか」でクリームの固さを調整し、革の状態によって使い分けているそうだ。
まさに職人技である。

スムースレザーの他、コードバンも対応してくれる

磨いてもらうための準備も、よく考えられている。
順番待ちの椅子で靴を脱ぎ、汚れ防止のビニール袋を履いた上で靴を履くのだ。
こうした工夫で、裾を汚す事なく靴磨きができるのである。

靴磨き職人は何人もいるが、基本的に技術的な差はあまりない。
強いて言えば千葉社長が上手い上に磨くのが早いため、指名するような常連客もいるようである。

ここで磨いてもらった後は、履くたびに靴を水拭きするよう指導される。
「洗ってよく脱水した湿ったタオルがいい」と言われるが、僕はそれを用意するのが面倒なので赤ちゃん用のお尻拭きを使用している。
水拭きをする事でホコリなどの汚れが落ち、また光沢が蘇る。
そのように自宅で手入れをして、大抵の場合、鏡面は別として、3ヶ月から半年程度はツヤが持続する。
そしてツヤがある間は、革は柔らかさを保つ。

また、千葉社長はたまに「俺は靴磨きしてるんじゃない、掃除してるんだよ」とこぼす事がある。
クリームが浸透した革は、汚れが落ちやすいように作られている事からも、それが分かる。

そして、それを体現していると言えるのが、新入社員に対する教育である。
なんと靴磨きではなく、トイレ掃除をさせるそうだ。
「トイレに付く汚れは水溶性なので油で洗う」「油で洗えば汚れが付きにくくなる」という持論で、衣類柔軟剤でトイレ掃除をさせるという。
なんとも破天荒だが、千葉社長らしさが滲み出るエピソードだ。

ちなみに、初めて磨いてもらう靴は、預けるのがおすすめだ。
預けると1週間かけて革の状態を見極めながらクリームを浸透させてくれる。
そのため革の柔らかさは全く違うし、ツヤの持続もやはり違う。
仕上がれば連絡が来るので、店頭に取りに行くか、または着払いで送ってもらえる。
預けは列には並ばず受付の職人に声をかければすぐに対応してくれるし、郵送でも受け付けているようだ。

三陽山長 源四郎

その後はツヤがなくなってきたり固くなってきたと感じたら、店頭で磨いてもらえばよい。

これも三陽山長 源四郎

「ツヤが鈍くなってきたのに磨きに行く時間がない」と思っても、焦ってはいけない。
多少待ってでも、絶対に千葉スペシャルに行くべきである。
間違っても、自分で市販のクリームを使って磨いたり、防水スプレーをかけてはならない。
靴磨き職人が磨き始めると手触りでそれを見抜き「靴を汚すな」とお説教が始まるのだ。

おそらく「靴を水で拭け」と力説し客に説教をするような靴磨き屋は、千葉スペシャルだけではないだろうか?
東京で一番有名な靴磨きは、間違いなく東京で一番異端な靴磨きでもあるのだ。

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