Richfield J-1 デニムジーンズ
僕の生まれ育った土地は、何もない田舎だった。
最寄りのコンビニまで徒歩50分かかるが、その代わりに顔見知りのお婆さんが営む駄菓子屋の前を通ると何故かタダでアイスを貰えた。
家の目の前を流れる川には6月頃になるとホタルが現れる程度に田舎で、家の敷地内に入ってきたホタルが靴やクルマの下敷きになっている姿をよく見た。
そんな僕は、何時間もかけてホタルを見に行ったという近所の友人の話を聞き大笑いした。
しかし、何もないと思っていた地元の小さな町にも、案外世界一と言っても過言ではなく誇れるものがあったりする。
僕の場合、それはデニム生地だった。
僕の生まれは広島県東部、いわゆる備後地方だった。
東隣の岡山県・備中地方と並んでデニム生地の名産地である。
元々絣を作っていたとか、制服を作っていたとか、初めて国産ジーンズを生産したメーカーがあるとかの色々な話があり、その全てが複雑に絡み合った結果に現在があるのだろう。
岡山県で作られるジーンズはRalph Laurenなどの高級ラインもOEM生産しているし、広島県で作られるデニム生地はLevi'sやLouis Vuittonなど世界中のブランドがこぞって採用している。
そんな僕がジーンズを履き始めたのは、人と比べると遅いタイミングだった。
高校を卒業した頃、大阪の若者向けのアパレルショップでダメージジーンズを買った。
腿に大きな穴が空いており、下手をすると「勝手にお母さんがその大事な穴を繕ってしまう」という認識ギリギリの時代だったと思うが、幸いその時は一人暮らしだったので無事に済んだ。
確かLevi's 511だったと記憶しているが、それがとにかく体に馴染んで心地が良かった。
その後は、やれチノパンだのカーゴパンツだのと浮気をしていて、そのうちに馴染んだLevi'sはどこかへ消えてしまった。
20代も半ばになり、ジーンズなんて見向きもしなくなった頃、たまたまUNIQLOでもリジッドのジーンズが買えると知った。
そんなUNIQLOの本気のジーンズは価格こそ安かったが、久しぶりに履くジーンズは滅茶苦茶にかっこよかった。
そして、もっとかっこいいジーンズを履きたい、と思うようになった。
何年も狙っていたのは、Richfield J-1というジーンズだった。
しかし取扱店が極端に少なく東京に行かなければ試着の機会がないため、欲しいと思っているまま月日だけが流れていた。
やがて僕は結婚し、横浜に住むことになった。
30歳目前だった。
そしてその年齢になり横浜に住めば、物理的にも金銭的にも、東京は生活圏と呼べるほどの距離になっていた。
青山のUNION WORKSでRichfield J-1の取り扱いがあったので、ある日、理由を付けて妻を引っ張って買いに行った。
このジーンズは「トラウザースを元に作った」との事だった。
革パッチも控えめでバックポケットのステッチもなく、始末が丁寧だが、それを表からみても特別特徴がある訳でもないのが気に入った。
防縮・防ねじれ加工もしてあり毛足も焼いてある為、ねじれず光沢のある生地だった。
それに併せて余計なディテールは皆無で、本当に上品に履けるのだ。
しかし、その色落ちは上品と呼ぶにはあまりに失礼だった。
履けば履いた分だけ、腿は白くなり膝には穴が開く。
そしてそのスピードは、比較的早かった。
本来はヨーロピアンテイストのジーンズなので、もっと汚くなりガッツリ色のメリハリが出るはずだが、気になったら洗濯にかけていたのでこのようになった。
3000時間程度の着用だが、洗濯機で10回程度は洗っている。
それだけ履けば縮んで伸びてを繰り返してフィット感も増してゆくが、僕のようにO脚で曲がった脚でも比較的スッキリ見せてくれるのは、トラウザース譲りの成せる技だろうか。
最近Richfieldはデニムを作っておらず、どちらかというと本業のトラウザースばかりをリリースしている。
これが履けなくなった時に、僕はどうすればいいだろう。
おそらく選択肢は一つで、適当に見繕ったデニム生地をツギハギにしながらリペアし、履いてゆく他ないだろう。
それはまだ先だし、未知の領域だ。
これからボロボロになって育ってゆくジーンズがどうなるのか、今も楽しみで仕方がない。
僕にとっては、ジーンズの楽しさを再燃させてくれたジーンズだった。
そしてまたジーンズを履くようになり、遠い故郷に思いを馳せることが増えた。
あんなに当たりに飛び回っていたホタルも、横浜では見ることは無い。
また子供を連れて、世界一の町へと帰らねばならないだろう。
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