『おやこ見習い帖』へのご感想をいただきました!(16)
たいへんご無沙汰しております。当地は皆様ご存知波乱の大統領選が終わったところです。すわ暴動かとハラハラしていましたが、ひとまず無事に終わりました。来年から米国がどう変わるのかまるで予想ができませんが、平和に暮らしたいものです…
大統領選が終わったかと思えば月末はサンクスギビング(感謝祭)で、その後はすぐにクリスマスと、いきなり年末感が漂い出しております。スーパーにもうクリスマスツリーが売られていましたよ(悲鳴)。
肝心の『深川あやかし屋敷奇譚』ですが、鋭意校正中です。あともう少しで終了かなというところ。(実は装画がものすごく…いいんですよ…!!←小声)
よーしばっちり面白い、いいんじゃないでしょうか!…と思うと、いや全然駄目な気がする…と一人で上がったり下がったり忙しいんですけれども。力を尽くしたいと思います。
さて、noteにて交流させていただいているいなかのまどからさまが『おやこ見習い帖』へのご感想をお寄せくださいました。本当にありがとうございます…!!
いなかのまどからさま、昨年からパピコちゃんという盲導犬候補の子犬の飼育ボランティアをしておられました。その日々を記事にしておられるのですが、あたたかく穏やかな文章がとても魅力的なのです。何気ない出来事を通じて、ご家族皆さんの愛情深さとパピコちゃんの天真爛漫で可愛らしい姿が手に取るように伝わってくる素敵な内容。記事の追っかけをしているうちに交流させていただくようになりました。以前、実家に黒ラブのミックスの子がいたのですが、パピコちゃんがちょっと似ているのです。そのため元気にしているかな〜と記事を拝見してはほのぼのとした気分でおりました。
しかし子犬の間だけのボランティアですから、当然いつかお別れの日がくるわけです…
その日の記事は非常に胸に迫り、涙がボロボロでした。喪失感がもう辛い。お子様たち、ちゃんとお別れできて立派です(号泣)。
…ですが心配ご無用!後日ちゃんと再会していらっしゃいます。今生の別れでなくよかった!と嬉し涙でした。
ご興味がおありの方は下記リンクからどうぞ♪ちなみに、いなかのまどからさまは飼育ボランティア(パピーウォーカー)以外にも多岐に渡る記事をお書きでして、とっても面白いんですよ!たいへんな読書家でもおられますので、ぜひご一読のほど♪
前置きがだいぶ長くなりましたが(わんこ好きの血が騒いでつい…)、『おやこ見習い帖』へのご感想、まことにありがとうございます。
久弥と青馬、そして真澄の関係を、「普通とは何なのか、いや、むしろ普通などそもそも存在しない、現在にも通じる様々なカタチ」と表現してくださっています。
時代小説には現代に通じる普遍性がどこかしらにあると思って書いているので、そのようにおっしゃっていただけてありがたいです。
実は、江戸時代の武家は家の存続のために現代以上に頻繁に養子縁組を行っていまして、ある意味非常に柔軟な面がありました。すべては「家」を存続させるためであり、それには手段を問わない世界です。
町人でも大きな商家は暖簾の存続を重視し、有能な人物を跡継ぎに迎え入れるということをしておりました。無能な実子よりも有能な他人を、という価値観です。合理的ですがたいへん厳しい(おかげで武家を圧倒する力をつけていったわけですが)。
そうはいっても、大名家の子息である久弥が町人の子供を跡取りにするというのは到底無茶な話ではありました。芸者の真澄と結ばれるというのも同じくらい途方もない話です(大名が庶民を側室にした例はそう珍しくはないものの)。が、そこは小説なので、あえてそのありえない人間関係を描いてみたかったのでした。
また、「言えば言うほど、虚しさだけが胸を喰んだ。」という文章に侘び寂びを感じて印象深かったとおっしゃられていて、なるほど…と思った次第です。時代小説の魅力には、皆まで言わぬ奥ゆかしさがあると思うのですが、どこまで書くべきかという部分はいつも迷います。あまりドライにしても今度は読み手に伝わらなくなってしまいますし、力加減が難しいところです。そのようにおっしゃっていただき恐縮するばかりですが、精進いたします。
最後に、武士が日常的に刀剣を帯びている時代の緊張感に触れてくださっていますが、死が今よりもずっと身近であったということはおっしゃる通りで、そこがこの時代を描くもうひとつの魅力になっていると思います。
ただでさえ平均寿命が短い上に、武家人口が多い江戸の場合、いくら武家地と町人地が分かれていても庶民が武士を目にする機会は多い。泰平の世となってからは武士がみだりに刀を抜くことはご法度でしたし、剣術を怠る武士も大勢いたわけですが、それでもあんな刃物を持ってウロウロされたら恐ろしいに決まっている。暴力や死はすぐ側にある現実であったに違いありません(同じ都市部でも京や大坂は武士が少なかったのでまた雰囲気は異なっていたと思いますが)。
一方、商家というのは一種の治外法権が許されていまして、店主は奉公人の生殺与奪の権利さえ握っていました。武家の屋敷が治外法権なのと同じです。奉公人は人間として扱われない場合もままあった。青馬の生家などはそういう店だっただろうと想像します。
そういう緊張感のある暮らしに身を置く時、おそらく人は自分を誤魔化したり、偽ったりする余裕はなかっただろうと思います。よほどの有力者でない限り、直面する現実の前には迷う時間も選択肢も与えられてはいなかった。大人も子供も自分の持てる力を振り絞って対峙する他になかったはずです。歴史時代小説に描かれる人々の人生が、時として悲痛だけれども眩しい輝きを放っているように感じられるのは、そのせいではないかと思うのです。
余談ですが、意外なことに江戸時代の子供というのは家庭でとても大事に育てられていたことが様々な資料に残されています(外国人の記録にもある)。江戸時代の子育てというと荒っぽく拳骨!というイメージもありそうですが、実際は子煩悩な親が珍しくなかったそうです。病や事故で命を落としやすかったから大切にしたのかもしれませんね。ただし余裕のない貧困層はこの限りではなかったでしょう。ひどい話はたくさんあります。
本書が「あらゆる人が日々そうした状況の中で頑張っているんだよね」と語っているとおっしゃってくださり、ありがとうございます。危険と隣り合わせの、複雑でままならぬ社会に生きる人の姿を掬い上げる物語を書きたいと常々思っています。それがお読みになる方にも伝わっていたら無上の喜びです。
丁寧にお読みくださり、あたたかいご感想をお寄せいただき、まことにありがとうございます!改めまして、心より感謝申し上げます。