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『深川あやかし屋敷奇譚』「生き人形」へのご感想をいただきました☆
皆様こんにちは。日本は再び厳しい寒波が押し寄せているようですね。今年は春が遅いなぁ…どうぞ安全にお過ごしください。
我が家は剣道大会から戻ったのか…とお思いの方がおられるかと思うのですが…なんということでしょう。開催地の悪天候の予報のため、泣く泣く断念いたしました!
開催地は雪と強風、さらに当地も遅れて暴風の予報でして、行ったはいいが帰りの便が飛ぶのか。夫が翌日仕事なのに万が一フライトがキャンセルになったら大問題。ホテルも一泊しか取れない。…これはリスクが大きい、という結論に至りました(ちなみに…旅費は1セントも返ってきません。当然のことながら…)
結果として開催地と当地の悪天候でフライトは遅延しましたが、キャンセルには至らず。行けただろうけれどものすごい風だったので、あの嵐の中を飛びたくはないなぁという感じでありました。判断の難しいところ。まぁこればかりは仕方がないので、また次回の大会を目指そうと思います。息子、次の大会で頑張ろう…
さて、潮田クロさまが『深川あやかし屋敷奇譚』第二話「生き人形」のご感想を記事にしてくださいましたので、ご紹介をば…!!
「生き人形」という言葉が持つ怪しさと危うさ、ありますね。
私は『深川あやかし〜』のお話はたいてい題材にする怪しいモノからイメージを膨らませて作ります。「生き人形」もたまたまどこかで見かけ、あ、この得体の知れない呼び名、お話にできそう…と思って書き始めました。
人形は人形でも子供を模した市松人形であったせいか、怪しさはありつつもエロティシズムはまるでない仕上がりとなっております。仙之助は人形を偏愛しておりますが、人間の代替品というわけではないし(まぁ仙之助も相当な変人なんですけれども)。
生き人形に心を奪われ、思い余って商売敵の店を潰してしまった男が呪われる…というドロドロした話も面白かったかも、と潮田さまのご感想を読んで思いました。別のお話で試してみよう。
本作で生き人形を使おう、と思いつき、さてどう話を膨らませようかと考えた時、「生き」の部分に目が向きました。ものであるはずの人形に命が宿っているとしたら。自ら動く、意思持つ人形であるとしたら…そこを焦点にしてみたら面白いんじゃないかと考えました。
そして万年屋の清太郎と入れ替え、人形が人なのか、人が人形なのか、とコロコロ話を転がして、人と人形の境を曖昧にしてみたらより面白いことになるかなと思った次第です。
この生き人形ですが、実際に生きているかのような真に迫った人形を作る「生き人形師」という異名を取った人物がいました。
松本喜三郎や安本亀八といった人々ですが、ちょっと調べていただけば現存する人形がご覧いただけます。
…無茶苦茶リアルで怖いです。夢に出そう。
彼らは文政末期の生まれで、活躍したのは明治に入ってからです。従って本作に登場する生き人形は時代的には少し早いのですが、そこは本作の人形師が時代を先取りしていたということにしまして(←)。技術的には文化文政期でも十分可能であったと思われますし、実際幕末にかけてはこういった真に迫った人形の見世物は人気があったので、明治以前でも血肉を備えているかのような人形が作られていても不思議はないと思います。
本作に登場するのは女童の市松人形なので、恨みつらみというよりもおとっつぁんとおっかあんが恋しい気持ちの方が勝るのではないかと考え、親子の情を祟りの動機としました。
実は、これは改稿時に担当さまのご提案で強調した部分なのですが。
恨みつらみに燃える人形としても良かったのですが、物語の後味を考えるとそちらの方がいいなと私も思いました。人形がまっさきに向かったのが万年屋ではなくうかゐの両親の元であったのも、その方がしっくり説明がつくかと。
このお話では木場の景色や釣りの場面、仙之助が辰巳芸者と戯れる場面が登場しますが、そちらは完全に私が楽しんで詰め込んだ部分です。もっとずらずら書いていましたが、流れが悪くなるので改稿時に削っております。仙之助が染吉と梅奴と能天気な会話を交わしつつ優雅に舟遊びをしている場面はお気に入りです。実にお馬鹿でいいですね(←)
深川木場というところは、文字通り木を貯蔵するための場所でして、水路が縦横に走る広大なエリアに秩父などから川を下って運ばれてきた材木をぷかぷか浮かべて保管していました。
水に浮かべた木材を移動させたりまとめたりするのは筏師とか川並などと呼ばれる職人です。鳶口ひとつで木材をまとめ、筏のように組んで運ぶわけなんですが、これは大変危険な作業でありました。木材の間に落ちたらまず助からない。今でもこのエリアには「角乗り」と呼ばれる水に浮かべた角材を乗りこなす伝統芸能が残っていますが、これは当時から伝わる川並の技術の名残りです。彼らがこうした仕事をしながら歌っていたのが「木遣り唄」と呼ばれる即興歌でありました。
彼らは材木商の奉公人ではなく独立した職人集団で、そりゃあ粋で鯔背であったらしい。
ところで、木場の木材の下にはタナゴがよく集まってきたそうで、タナゴ釣りの名所としても有名でした。冬でも雪の中布団をかぶったりしながら釣りをしていた釣り人がいたそうな(どれだけ…)。ちなみに本所の堅川も武士や町人に人気の釣り場で、河岸にはたくさん釣り人がいたそうですよ。
木場の周囲には財を成した材木商が別荘を構えていた他(有名な材木豪商紀伊國屋文󠄁左衞門の別荘もあったそうです。享保の頃に財産を失ったとか諸説あり)、著名な文化人も住んでいました。すぐ近くには三十三間堂や深川八幡の繁華街に岡場所もあり、雑多で猥雑な雰囲気もあった。面白いエリアです。
というわけで、江戸情緒と呪いの生き人形の怪異とミステリーをお楽しみいただけたら何よりです。
潮田さま、楽しく奥の深い考察をまことにありがとうございます!心より感謝申し上げます。