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映画「白蛇:縁起」のあの歌について
「白蛇:縁起」(今のところ)2回見ました。
いや~いい映画だ
というわけで以降はもう映画見たよという人向けのお話になるので、ぜひまだ観てないみなさんはご覧になってみてください(このご時世映画館に行くのもなんか緊張するけどね…)
本編見ました? みたよね
序盤(と中盤の間くらい?)、宣と白(とはらまき)が船に乗って宝青坊を目指すシーンでのこと
記憶の無い白に「忘れた方がいいこともあるさ」「素敵なことだけ覚えてればいい」と語る宣。そして変な歌を歌いだすおじさんを退けて歌った曲の歌詞が以下です
「見渡そうよ 川 流れ 果ても無く
見上げようよ 陽が暮れて また昇る
問うなかれ 浮生の情
問うなかれ ただ夢であり」
(以下は はらまきch寝る さん{@ares3u}による原詩と翻訳です)
君不见东流水
— はらまきch寝る (@ares3u) August 4, 2021
君は見えないか?川が東に流れ
来时无踪迹 一去无穷已
くる時跡もなき 果てもない去っていた
君不见城上日
君は見えないか?城を登る太陽
今暝没山去 明朝复更出
夜になると山ヘ沈む 明日もまた上がる
何须问 浮生情
— はらまきch寝る (@ares3u) August 4, 2021
短く虚しい人生に現れる恋を問わずに
原知浮生是梦中
短く虚しい人生は夢の中にいることを知っていた
何须问 浮生情
短く虚しい人生に現れる恋を問わずに
只此浮生是梦中
一回限り短く虚しい人生はただ夢の中
只此浮生是梦中
一回限り短く虚しい人生はただ夢の中
(以上引用)
おそらく「この世ははかない一夜の夢みたいなものだから、何も気にするな」みたいな励ましで宣は歌ったのでしょうが、古い詩のせいなのか不安定な世情のせいなのかやけに「あきらめ」というか、「どうせそういうものなんだから」みたいな精神が感じられる歌です。
で、この歌を白も教えてもらって二人で練習して…
というのが思い出となっていて最終盤、宣の魂が無に還されそうになった時に白は強く思い起こすんですね
二人の大切な思い出だからどんな曲でどんな歌詞でもまったくもって良いんですが、「人生ははかない夢なんだから何も聞くな…」という歌をわざわざ一番の思い出にして、あのシーンで流すのはなぜなんだろう…と思ってしばらく考えていたわけです
そこで私が考えてみた結論なんですが(すいませんようやく本題です)
この映画の人、ほとんど
「どうせそういうものだから」
で生きているような気がするんです
蛇母から国師暗殺を命じられて、やりたくなかったけどやるとか
そもそも修行は蛇族で力を共有して高めあうためにやってるとか
危険な蛇狩りも重税を回避するためにやるとか
妖怪と人間は結ばれないどころか相容れないものだとか
「そういうふうに決まってるからまあしょうがないよね」
という認識でみんな活動しているような気がするんです
と思ったら舟であの歌を歌った宣は「蛇が嫌いなので蛇狩りをせず医者を目指して」「白と別れることになっても認めず」「妖怪と人間が結ばれないのなら自分が妖怪になって」「村人の協力を得られずとも白を止め(助け)に向かう」んですよね
むなしい夢のような短い人生(特に何百年と生き続ける妖怪から見た人間の一生)を、しかも出会ってからのこの数日間ですべて投げうって「そういうものなんだから諦めよう」に立ち向かうような人が宣だと思うんですね
その宣ですが最後の最後には白をかばおうとして傷を負い、結局力尽きてしまいます
白の「宣との思い出は全部覚えてる」との言葉に「よかった…」と安心して死んでしまいますがこの辺りでさすがに命の限界にある宣ももう「自分の死」には抗えないな…とあきらめがあったんじゃないでしょうか
「ここまでやってきて、自分は無理でもなんとか白は助かるかもしれないし思い出として残っていけるならもうしょうがないかな」
これ以上がんばろうにもあまりに傷が深いし寒いしで恐らく無理だったでしょう
そして宣の亡骸は砕け散り魂も闇に消えていきそうになる中、白が今までの思い出とともに歌うのがあの歌です。
「もう宣は死んでしまって助けることはできない…」
「もうどうしようもない…そういうもの…」
「で終わらせるわけにはいかん!」
とそんな歌を歌いつつもはかなく短い人生を投げうったお人好しで大切な彼の魂を救うために、最後の最後に白は全妖力を振り絞ってあきらめに反抗したというシーンがこれなんじゃないでしょうか
おかげで宣の魂は消滅することなく守られ、記憶もかんざしに保存されます
そしてオープニング(とエンディング)にて、もう少しで仙人の力を得られるのにどうしても修行がうまくいかない白。
「我々は修行をして仙人になることになっているので」かんざしを遠ざけていた青だけど見かねて白にかんざしを渡します
記憶を取り戻した白は、今までの1000年にわたる修行を投げうって宣を探し出すことを決意。青は止めようとしますが白はまた「そういうものだから」に反抗します
そして青もついに折れて白のために「どこまでも付いていく」ことを決めました。
この映画、全部「愛」が「愛のために」「運命(といっちゃなんか臭いし大袈裟ですけど…どちらかといえば「宿命」の方が適切かもしれない)」に反抗して新たな道を進みだした…というお話なのかもしれません
あまりに使い古されて陳腐なテーマかもしれないけど、やっぱり人とおじさんはこういう話に弱いんですよ…いや~泣ける
とかいって全然この考察的外れだったらどうしようね。
まあ考察ってそういうものだから…