2022年上半期の香港カントポップ(2):注目の新曲と新人
前回の記事では、2022年の上半期、とりわけ4〜6月の間に香港でよく聴かれていた歌をSpotifyの再生数データに基づいてまとめた。
今回の記事では、同じ4〜6月にリリースされた曲の中で、再生数データは前回取り上げた楽曲には及ばないけれども、個人的に気に入ったものをいくつか挙げる。
完全に主観に基づくものなので好みだ。というわけで「なんでアレが入ってない」というのもたくさんあるかもしれないが、それはどうか許してほしい。
(1)MIRRORの歌唱王が送る珠玉の失恋ソング
4月〜6月の期間に出た新曲の中で、個人的に一番惹かれたは4月下旬、MIRRORのメンバー、柳應廷(ジェール・ラウ)がリリースした『離別的規矩』(別れのルール)という曲だった。もの悲しい歌詞と美しいメロディーに、MIRRORで最も歌唱にこだわりのあるメンバーであるジェールの声がピッタリあっている。作詞、作曲、編曲は彼の過去の人気楽曲『迴光物語』『狂人日記』などと同じチームが手がけている。
(ジェールについては、以下の記事でも取り上げている)
『別れのルール』というタイトルの通り、歌詞は別れを決意し、恋人と共に暮らした家を離れる女性の気持ちを3人称の視点で歌っている。
別れに際した主観的な気持ちを3人称の視点で歌う歌詞というのは、なかなか香港でも珍しい気がする。「彼女が家を離れていく」というフレーズからはじまる辺りはどことなくビートルズの『She's Leaving Home』を思わせる(あちらは別れの歌ではなく少女の家出を扱った歌だけど)。
サビの歌詞では「山」と「水」という言葉が繰り返し用いられている。
意味は日本語の「やま」と「みず」と同じだが「山水」と書くと「山と河」、転じて自然を指す。時を越えても変わらない「山水」と移ろいやすい人の心を対比させる手法は中国語詩のレトリックとしては(おそらく)おなじみのもので、香港の古い広東語歌謡の中でもたとえば『萬水千山總是情』などの例がある。
「山水」といえば、中国の絵画には「山水画」という風景画のジャンルもある。
作詞者の小克は、インタビューの中で、山水画を描くような気持ちでこの曲の歌詞を作ったと語っている。西洋絵画とは異なり、山水画には遠近法がなく、あらゆる物や風景が抽象化され、誇張された大きさと距離感で描かれる。女性が「どれほど歩いても それでも離れられない」気持ちを、あえて3人称の視点から描いているのもそうした絵画的な仕掛けなのだろう。
「山水」「山水画」の古風なイメージは、曲の中盤から用いられている中国の伝統楽器(笛子と簫)の音色ともマッチしている。歌と曲と詞とアレンジが絶妙に共鳴する、ジェールのソロプロジェクトチームの成熟を感じる傑作だと思う。
他のMIRRORメンバーのソロ曲としては、江𤒹生(アンソン・コン)が5月にリリースした『信之卷』もおもしろかった。ミュージックビデオが日本の少年アニメ風になっている。
アニメの監督は、香港の食文化を紹介する漫画を書いている兄弟のイラストレーター「崔氏兄弟」が手がけている。
作曲はジェールの2月の新曲『MM7』を作曲した香港のバンドNowhere Boysで、作詞は前回の記事で取り上げた林家謙『夏之風物詩』と同じOscarが手がけている
(Oscarはどうやら日本語風のタイトルが好きらしい)。
4月には、MIRRORの兄弟グループERRORから、吳保錡がソロデビューしている。
(2)注目の新人女性歌手:張蔓莎、雲浩影、張天穎
2022年の香港では新人女性歌手も次々とデビューしている。1〜3月のまとめでも何組かを取り上げた。
そこでも取り上げた張蔓莎(サブリナ・チャン)は5月に『到時見』をリリースしている。デビューシングル『剎那的』のミュージックビデオに出演したラッパーのLewszがフィーチャリングで参加している。
歌詞は世界の終わりが近づく街での愛を歌っており、ビデオの中でもピンク色の隕石が降り注ぐ中で愛し合う男女が描かれている。
こうした「末日感」は、昨今の香港のポップスの歌詞に見られる特徴のように思う。歌詞の中では、この崩れゆく街が香港だとは言及されていないけど、上の引用の末尾の「浮城」(浮いた街)は、香港の別称でもある。香港映画好きの方は、郭富城主演の2012年の映画『浮城』を思い浮かべるかもしれない。小説家の西西が1986年の作品『浮城誌異』で用いて以降、「浮城」という言葉は不安定なこの街の政治状況を表すメタファーとしてさまざまな作品や評論で用いられてきた。
(参考:余麗文「浮城」朱耀偉編『香港關鍵詞』香港中文大學出版社)
末日を描く作品が目立つのは、やはり今日の香港の何かが崩壊していくような感覚を表しているのではないかとも思うけども、考えすぎだろうか。
4月〜6月の期間には雲浩影(クラウド・ワン)という女性歌手もデビューしている。MIRRORや張天賦を輩出したオーディション番組『全民造星III』の第3シーズンに参加していたため、デビュー前から注目度は高かった。
7月7日にリリースされたセカンドシングル『到了那裏就對吧』は、ジェールの『離別的規矩』を手がけた吳林峰と王雙駿がそれぞれ作曲と編曲で参加している。作詞は以前の記事で新世代の注目作詞家として取り上げた鍾說だ。
他の新人女性歌手としては、事務所に所属しないフリーの歌手として今年3月にデビューした張天穎(ジェイミー・チャン)もおもしろい。クレジットによれば作詞、作曲、編曲、プロデュースを自身で手がけている。
作風は英語混じりのR&Bで、雰囲気は香港の男性歌手でいうとGareth T.やTyson Yoshiにも近い印象がある。6月リリースの『No Money No Honey』は英語のライムもこなれていて、小気味いいリズム感の楽曲になっている。
(3)注目のグループ:Kowloon K、After Tales、Lab
バンドやグループにも、個人的に気にいってよく聴いている注目株がいる。
女性ボーカルバンドのKowloon Kは、今年の4月に専業作詞家の王樂儀を招き、『換我』という楽曲をリリースした。香港において、専業作詞家の歌詞提供を受けられるかどうかは、本当のインディーズバンドとメインストリームの音楽業界で「売れた」バンドを区別する重要な指標になっている。その点ではKowloon Kは、リリース楽曲はまだ少ないものの、売れかけのバンドと言えるかもしれない。
(ミュージックビデオやジャケットなどのアニメ調のアートワークはバンドメンバーの日本人の友人が手がけているのだとか)
バンド名の「カウルーンケイ」は広東語の「カウケイ」(求其=適当、いい加減)から取られているのだとか。もともとインスト、ジャズを中心としていたバンドに、女性シンガーソングライターのCharlieをボーカルとして迎え入れる形で結成され、2020年末に最初のオリジナル曲『My Way』をリリースした。幅広い知名度を獲得し「香港の東京事変」になることが目標だという。
サウンドの特徴は、バンドメンバー曰く「シティポップ+ジャズロック」らしい。それにボーカルのCharlieの、やや鼻にかかった特徴的な声がのる。昨年末に発表した『明天世界或到末日』では、ホーンセクションをフィーチャーした煌びやかなバンドサウンド+アニメ声の女性ボーカルという彼らの特徴が堪能できる。
この曲も「末日」がテーマなのだが、直接的には日本の漫画/アニメ『ギャグマンガ日和』のエピソードの一つ「終末」(に広東語音声が付けられたファンダブ動画)を元ネタにしているという。隕石が近づき、世界の終末が目前に迫る中で生放送のテレビ番組に出演したゲストたちが「どうせ世界が終わるなら」とヤケになり、自身の真の姿を暴露してはっちゃけるが、最後は奇跡的に隕石の衝突が防がれてしまい、皆が慌てて元の姿を取り繕おうとするというもの。
もう一組、After Talesというバンドも最近気に入って聴いている。同じ女性ボーカルのバンドだが、こちらは動画の再生数やSNSのフォロワーを見ても、まだまだ知られざる駆け出しのインディーズバンドという感じ。
ボーカルの歌い方にはとてもJ-Popっぽさを感じる。日本の音楽の影響も比較的強い香港の音楽シーンだけども、ここまで2000年代以降の日本の女性ボーカルの歌い方をガッツリ感じさせる例は他ではあまり聴いたことがない。
(ボーカルのYoutubeを見ると鞘師里保やYUIをカバーしたりもしている)
歌詞は自作でやっているようだが、こちらもどことなくJ-Pop的な青春感があり、爽やかな曲調にもよくあっている。
今年の5月には『咫尺之遙』という新曲もリリースしている。
歌詞は香港を離れて遠くに旅立つ友人への暗号混じりのメッセージになっていて、外移住を選ぶ人が増加している昨今の香港の情勢も感じさせる。ミュージックビデオでも自転車で電車を追いかけながら友を見送る少女が描かれる。
他には、5月上旬にデビューした女性ボーカルデュオのLabも今後の活動が楽しみな存在だ。黎明(レオン・ライ)のレーベル「A Music」に所属している。
メンバーは2人とも学生で、片方はデビュー段階でまだ16歳だという。
デビュー曲の『你是我的病』(君は僕の病)は、昨年のヒットソング、陳詠凱の『隔離』に一部メロディが酷似しており(香港のネットでもそう批判されている)、正直なところあまり好きにはなれないが、彼女たちの声の美しさは伝わる。
歌詞は、コロナ禍に流行った表現を織り交ぜながら、Toxicな恋愛を病気に例えるもので、おもしろい試みだとは思うが、コロナ3年目の今となってはすでにだいぶ出尽くしたネタという感もある(そもそも『隔離』がそういう趣向の曲だった)。
だけど、若く爽やかな二人の声には、ありきたりでやや「イタい」感じのする歌詞もそれはそれで若々しい印象で、不思議とマッチしている気もする。
上の記事によれば、メンバーの片方は日本留学を控えているらしい。ということは彼女たちの新曲を聴けるのはしばらく先のことになるのかもしれない。
7月にはメンバーの片方のApple(たぶん留学しない方)が、同じレーベルの16歳の新人歌手、雅荍(ソフィア)と組んで新曲『你夢我想』をリリースしている。
ちなみにAppleはデビュー前から大きな注目を集めていたらしい。2021年の年末、ある高校の音楽コンテストで張天賦の『記憶棉』を歌う高校生の動画が話題になり、現在60万再生を記録しているが、この高校生が「Apple」だったそうなのだ。
(4)My Little Airportの新曲:「低調」な「反調」
このnoteで何度か取り上げてきたインディーズバンド、My Little Airportも最近活発に新曲をリリースしている。
My Little Airportは痛烈な社会風刺や政治批判で注目を集めたバンドだが、国安法成立以降、反体制的言説への取り締まりが強まる中で、これまでのような楽曲の発表は難しくなるかもしれない。新曲の歌詞も、彼らにしてはややマイルドな印象だった。しかし彼ら独特の社会風刺のセンスは健在である。
4月にリリースされた『Lunch』では「人に会いたくないからこのままコロナ禍が続いてくれないだろうか」と思う内向的な人物の心情が歌われる。
5月にリリースされた『嘔吐』では、言いようのない吐き気が歌われる。タイトルはサルトルの同名小説から取られている。文学的メタファーを用いて暗に香港の社会情勢を歌う彼ららしい歌だ。
今後の香港で、こうした風刺を行う余地がどれくらい残されていくのかは、まだわからない。ただ今の所はこうした歌を発表している歌手がいる。
2019年の抗議運動の最中、『人話』という政府批判ソングをリリースしたシンガーソングライターの方皓玟(シャーメイン・フォン)も、この4月に新曲『HW1』を発表している。
タイトルは香港でよく使われている漢字入力メソッドで「留」(とどまる、のこる)と入力するときのコードだ。シティポップ風のレトロな曲調にのせて香港に「とどまる」気持ちが歌われる。
反対意見が取り締まられる今日の香港にも、このように「低調」に、ささやかな「反調」(反対意見)を歌い上げているアーティストがいる。その意味でもやはり、香港のポップスには、これからも耳を傾ける価値がありそうだ。
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