一代一聲音

教養としての懐メロ 【香港カントポップ概論:序】

日本には「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉があるけど、音楽や詞が世相を反映するというのは古今東西どこでも同じかもしれない。中国・清代末期の学者、王国維は自身の『宋元戲曲史』の序文を次のような言葉で始めている。

どの時代にもその時代の文学がある。楚の騷、漢の賦、六代の駢語、唐の詩、宋の詞、元の曲、皆いわゆる一代の文学で、後世これを継ぐことのできるものはなかった。(凡一代有一代之文學:楚之騷、漢之賦、六代之駢語、唐之詩、宋之詞、元之曲,皆所謂一代之文學,而後世莫能繼焉者也。)

と、カッコつけて古典の引用ではじめてみたけど、基本的に学がなく高校時代漢文の授業が大の苦手だった私がこんな言葉を自分で発見できたわけではない(正直、”騷”や”賦”がなんなのかもよくわかっていない)。

香港を代表する大作詞家ジェームズ・ウォンが、晩年書いた博士論文(既に作詞で大成功してたのに博論まで書くのだから本当にエラい)の中で、この言葉を元に以下のように書いていて、私はそれを読んだだけなのだ。

どんな時代にも、その時代に特有の声があるものだ。 唐の詩、宋の詞、元の曲、清の劇、民国時代の時代曲そして香港のポップミュージックは、広範に流通し、当時の人々に親しまれ口ずさまれてきた。それはひとえに、これらの声が人々の心の琴線に触れ、共感を呼び、幅広い反響を得てきたからだろう。(Jum-Sum Wong『The rise and decline of cantopop』p.182)

そんな世の理を、彼は「一代一聲音」(一つの時代に一つの声)という言葉で要約している。

香港ポピュラーカルチャーの研究者・朱耀偉先生もこれに同意して、広東語ポップスすなわち「カントポップ」はまさに「現代香港の声」であり(『Hong Kong Cantopop: A Concise History』)、時代の証人として「私の世代の香港人と一緒に成長してきた」ような音楽だった(『歲月如歌:詞話香港粵語流行曲』)と書いている。

さらにカントポップは香港だけではなく広くアジアで親しまれていた……らしい。大陸出身の学生や研究者と話をしていても「広東語わかんないけど広東語の曲はよく聞く」というようなことはよく言われるし、上の世代の日本の香港好きの方々の中にはスラスラと上手に広東語のヒット曲を歌える方も多い。

しかしそれももう過去の話。2003年に書かれた先述の博士論文の中でジェームズ・ウォンは香港返還の1997年をカントポップの時代の終わりとしたが、残念ながらたぶんそれは正しかった。彼自身、翌年2004年に肺がんのためこの世を去ってしまい、ほぼ同時期に相次いで亡くなったロマン・タム(-2002)、レスリー・チャン(-2003)、アニタ・ムイ(-2003)といったスター歌手たちと共に、「カントポップの死」を人々に印象づける形となってしまった。

それ以降、エンタメが多様化してしまったこともあり、香港のポップスは中でも外でもいまいちパッとしない。先日、香港で朱耀偉先生ご本人にお会いできる機会があったのだけれども、その時も「最近の若い子はもうカントポップ聞かないからな」と自虐気味におっしゃっていた。

でも流行が去ったからといってカントポップに意味がないわけではない。むしろ私のような(それなりに)若い世代が知っていると案外便利なこともある。

数年前の香港滞在中、香港中文大学のとある先生にお話を聞きにいく時、待ち合わせをしたキャンパス内のカフェにこんなメニューがあった。

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英語の方はブラックコーヒーとかカプチーノとか、サイフォンコーヒーとか普通のコーヒーのメニューなのに、中国語の方は「偏偏喜歡你」(それでも君が好き)、「幾分鐘的約會」(数分間のデート)、「粉紅色的一生」(桃色の一生)などなど、やたらとロマンチックな名前がつけられている。

実はこれ、全部、早逝したアイドル歌手ダニー・チャン(1958-1993)の歌のタイトルになっているのだ。

おもしろがって眺めていると、相手の先生が「きっと店の人がファンなんだろうな。ある歌手の曲の名前になってるんだよ……」と説明してくれたので、「ダニー・チャンですね」と(若干食い気味に)答えると、先生の表情が少し変わった。「知ってたか……じゃあ彼が迎えた悲しい結末も?」と尋ねる先生に「ええ」と頷いたころに「それでも君が好き」(すなわちブラックコーヒー)が運ばれてきて聞き取りがはじまった。

ダニー・チャンのおかげである程度真剣に香港文化を調べていることが伝わったのだろう。この時は先生からかなり深い話を聞くことができて、後にこの時に聞いた話がきっかけで調べ物が弾み、論文を一本書くこともできた。

流行曲はある時代の世相を反映していて、その時代を生きた人々の心に深く刻まれたものだから、自分とは別の世代や別の社会の文化について知ろうとする時には最高の入り口になる。こんな風に相手に心を開いてもらうきっかけになることもある。

他の誰かの「懐メロ」を知ることは立派な教養になりうるのだ。

日本の懐メロやいわゆる洋楽については、若い世代に「教養として」伝えるための概説本が既にいくつも出ていて私もよくお世話になっているのだけど、香港のカントポップについては手に入れやすいものがなかなかみつからなかった。もちろんファンが書いたものは返還前後のブーム期を中心にいくつか出ていてそれなりに情報は豊富だけど、いかんせんリアルタイムに書かれているのであまり俯瞰的でなく、後追い世代がざっくり学ぶには向いていない。

そこで英語やら中国語やらの本を通じて私が少しずつ学んできた「カントポップ」を、半分自分向けの備忘録として簡単にまとめてここでシェアしたいと思う。

朱先生の『Hong Kong Cantopop: A Concise History』をはじめ日本語以外ではいい本がいくつか出てるから、それの日本語訳が出れば一番いいのだけど、今のご時世興味持つ人も少ないだろうし、出版業界も厳しい中、難しいんでしょうね。『Hong Kong Cantopop』は特に重要な元ネタとして何回も言及するので、以降『カントポップ簡史』と呼ぶことにする。

香港に興味を持ってポップスについても知りたいと思う同世代や下の世代の日本の人がさっくり大まかな流れを学べるようなリファレンスにしたいな。これがきっかけで香港懐メロのファンがひとりでも増えることを願って。


【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】

■ 目次(随時更新)

序:教養としての懐メロ

前史:"I'll Be Waiting" カントポップ以前

1970年代:"我係我" カントポップの誕生
(1)浪子心聲: "歌神"サム・ホイとカントポップの誕生
(2)翡翠劇場:『啼笑因緣』とドラマ主題歌
(3)獅子山下:移民経験というモチーフ
(4)好歌獻給你:「声」の裏の作詞家たち

1980年代:"今夜星光燦爛" スターたちの時代
(1)再見Puppy Love:ダニー・チャンと青春
(2)飛躍舞台:躍動するポップスターたち
(3)日本娃娃:カントポップとニッポン
(4)潮流興夾Band:第二次バンドブーム
(5)說不出的未來:カントポップと香港返還

1990年代:"一起走過的日子" 最盛期と陰り
(1)每天愛你多一些:四大天王たち
(2)女人的弱點: 次世代の歌姫候補たち
(3)只愛陌生人:王靖雯とフェイ・ウォン
(4)別人的歌:ふたりのワイマン(1)
(5)別人的歌:ふたりのワイマン(2)

2000年代以降編:”還能憑什麽” 凋落後の挑戦
(1)K歌之王:ラブソングの死と最後のメガスター
(2)你唔愛我啦:新広東歌運動
(3)下一站天后:Twins現象と歌姫のジレンマ
(4)集體回憶:第三次バンドブームと平民天后
(5)一路逆風: G.E.M.と新北進想像

終わりに:”每當變幻時”  変化のなかのカントポップ


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