一代一聲音

翡翠劇場:『啼笑因緣』とドラマ主題歌の流行 【香港カントポップ概論:1970年代②】

【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】
1970年代編: "我係我" カントポップの誕生 ②

カントポップが誕生した年、として記録される1974年。「歌神」サム・ホイのソロデビューと並んでこの年に世にでたヒット曲が、カントポップ最初のヒットともされる『啼笑因緣』だった。タイトルはそれっぽい日本語に訳すなら「泣くも笑うも恋のうち」だろうか。

この曲は、同年香港のTVB(無線電視)で放送された同名ドラマの主題歌で、元The Chopsticksの仙杜拉(サンドラ)が歌った。

なんの事前情報もなしに聞くとただの普通のちょっと懐かしい感じの歌にしか聞こえないけど、当時の香港では大挑戦だったらしい。

作曲者の顧嘉煇(ジョセフ・クー)は、この曲を作った時のことをインタビューでこう語っている

もともとテレビ局からは、国語(マンダリン)歌を作ってくれということだったんですけど、私はね、どうして広東語の歌にしてみないんだって思ってね。ディレクターの王天林も同感だった。……当時のクラウン・レコードは広東語の歌に不信感があったので、私はこう言ったんです。わかった、コストを半分づつわけようじゃないか。私は製作を請け負うから、彼らは発行だけすればいいと。

古臭いと思われていた広東語の歌を、最先端の娯楽であったテレビドラマの主題歌にするこの新しい挑戦には、サム・ホイの歌同様の絶妙なバランス感覚がみられる。

曲調は二胡と月琴の伴奏も相まって非常に伝統的な印象で、伝統劇の作家・葉紹德が書いた歌詞も同様に古めかしい。

為怕哥你變咗心
(お心変わりされたかと)
情人淚滿襟
(恋の涙が襟に溢れます)
愛因早種偏葬恨海裡
(かつて植えた愛が 憎しみの海の底) 
離合一切亦有緣份
(出会いも別れもすべては運命)

藕絲已斷 玉鏡有裂痕
(藕絲はちぎれ 玉鏡もひび割れて)
恩愛頓成怨恨
(深い愛も憎しみに変わりました)
生則相聚 死也化蝶
(生きては相見え 死しても蝶となる)
幾許所願稱心
(報われる願いなど どれほどありましょう)

「ぜんぶは運命」的な決定論は、今後のカントポップの歌詞にもよく見られるけど、この曲の歌詞はあまりにも古典的な(つまりは漢詩っぽい)大げさな比喩が目立ってさすがに古めかしくみえる。『カントポップ簡史』によれば、こういった古典的な文学イメージへの言及こそが、当時の香港の若い世代が粤劇の広東語歌謡を「古臭い」と思う理由だったという。

しかしこの曲がすごかったのは、その歌い手にあえて英語系・北京語系シンガーとして知られ、イギリス人の母を持つため風貌も「欧米風」な雰囲気の濃厚なサンドラを起用したことだった。

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このミスマッチは広東語ポップスの古臭いイメージを払拭するための意図的なものだった。クーはインタビューで、サンドラを起用した理由について「彼女が楽壇で英語や北京語の歌を主に歌っていたから、彼女に広東語の歌を歌わせれば、少なくとも古臭い印象にはならないだろうと思った」と述べている。

後の歴史の流れを見ると、この賭けは見事成功した事になる。この曲のハイブリッドなイメージは広東語歌謡のイメージを変え、作曲家ジョセフ・クーとテレビディレクター王天林のタッグはテレビドラマの主題歌を通じてヒットソングを量産していくことになる。

この曲のあと1980年代初頭までにジョセフ・クーがドラマ主題歌として制作した曲をいくつか並べるだけで、カントポップの不朽の名作リストになる。今でも歌い継がれている香港の懐メロをざっと集めたいと思ったらとりあえず彼の曲を集めたコンピを買えばだいたい網羅できるんじゃないかと思うくらいだ。

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(私は勉強をかねて↑これを買った)

たとえば「じゃっじゃっじゃーん、でっでで、じゃっじゃっじゃーん、でっでで」というイントロが印象的な(聞いてもらえれば伝わると思う)1980年の『上海灘』(上海バンド)もそうだし、戦後の香港発展史をスナップショットとして切り取ったような1979年の『獅子山下』や1981年の『東方之珠』もそう。もっと個人的な移民・故郷喪失の経験に焦点をあてた楽曲である1977年『家變』(家庭崩壊)や1979年の『抉擇』(選択)なんかも彼が作曲したドラマの主題歌だ。この時期のカントポップの歌詞と移民経験については次回あらためて扱うことにする。

この時期のドラマは、私はまだまったく見たことがなくて、論文で分析されているのを読んだくらいなんだけど、曲の方は今でも歌番組やらでカバーされたりしているので聞いたことがあったりもする。

ジョセフ・クー作曲のドラマ主題歌の中で個人的に一番好きなのは、1982年の『萬水千山總是情』。歌っているのはTVB所属でこの時期のドラマにたくさんでている女優のエリザベス・ウォン(汪明荃)。なんか曲調も歌詞も好きで、これを番組とかでカバーして歌っている若い歌手(香港の人も大陸の人も)がいるとついつい注目してみてしまうくらい好き。

(広東省出身の大陸歌手・劉惜君のこれとか。好き。)

歌詞はありがちな「すべては運命」系なんだけど、曲調もあいまって明るい雰囲気で、運命を生きるなかで愛の可能性を信じる歌になっている。

莫說青山多障礙
(険しい山と 言わないで)
風也急風也勁
(風も激しく 強いけど)
白雲過山峰也可傳情
(雲は思い乗せ 峰越える)

莫說水中多變幻
(移ろう水と 言わないで)
水也清水也靜
(水は清く 穏やかで)
柔情似水愛共永
(そのやさしさは 永遠の愛)

山や水や景色はすべて「愛」なのだ、と高らかに歌うこの歌は、どんな運命がまっていてもただ変わらぬ景色が残って証人となってくれればいい、と締めくくられる。

聚散也有天注定
(出会い別れも 運命と)
不怨天不怨命
(天も定めも 怨まない)
但求有山水共作證
(変わらぬ景色が 二人の証)
但求有山水共作證
(変わらぬ景色が 二人の証)

センチメンタルな運命論もこう料理されると非常にロマンチックだ。

作詞家は、初期カントポップを代表する四人の詩人のひとりである鄧偉雄。ほかの三人は次の次の記事でまとめて取り上げようと思っている。香港の運命を反映して、というわけではないだろうが、カントポップの歌はこんな風にどうにもならない運命を受け入れつつその中で泣いたり笑ったりする系が多くて、のちに台頭してくる台湾ポップスの「簡単愛」(シンプルラブ)な歌詞世界とは一線を画した独自の魅力を形作っている、と個人的には思っている。

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これだけドラマ主題歌発のヒットソングが多いのは、もちろんジョセフ・クーの個人的な力量もあるだろうけど、当時の香港のテレビ文化も背景にあるはず。

香港ポピュラー文化を扱った『閱讀香港普及文化1970-2000』(Oxford University Press, 2002年)収録の論文によれば、香港でケーブルテレビ放送が始まった1957年当時は視聴者は6万人あまりで、全香港家庭の3%にすぎなかったけど、TVBこと無線電視が香港最初の無料テレビ放送を1967年に開始すると世帯別テレビ保有率は急上昇し、10年後の76年にはすでに90%を越えていた。(p.131)

なかでもTVBの広東語放送チャンネルである「翡翠台」は、いち早くローカルな番組制作を軌道にのせることに成功して、ほぼ香港テレビドラマ産業(というか香港テレビ業界自体)を独占したため、お茶の間に多大な影響力を持った。上にあげた主題歌発の名曲も、公共放送RTHK制作の『獅子山下』を除けば全てTVB翡翠台のドラマのものだ。

後に2003年に、黃耀明(逹明一派のボーカル)が当時のTVBドラマの影響力を歌う『翡翠劇場』という歌を出している(作詞は林夕)。

歌詞にはジョセフ・クーの名前も出てくるほか、『家變』、『狂潮』などのかつてのTVBドラマのタイトルも出てくる。

サビではこう歌われている。

用無敵旋律開餐
(無敵のメロディーが食事の合図)
用肥皂長劇送飯
(ご飯のおかずはソープオペラ)

ゴールデンタイムにTVBドラマを見ながら一家でご飯、というのが当時の香港家庭のライフスタイルの一部だったらしい。香港の広東語には「電視汁撈飯」(テレビかけご飯)という表現があって、要するにテレビを見ながらご飯を食べることを指すのだけど、そんな風にテレビが食事の重要なおかず、調味料扱いされるくらい、多くの人がテレビに夢中になっていたようだ。

(未読だけど、この言葉をタイトルにドラマ主題歌について書いた本も出ている)

TVBはその後も時折現れるライバルをはねのけ、無料放送業界をほぼ独占し続けている。しかし一時はその繁栄を支えた独占が、今では反発を招くようにもなってしまった。特に昨今は香港政府より、中央政府よりの報道姿勢が若年層を中心に批判を招くようになり、大陸の国営放送・中国中央電視台(CCTV)に例えて「CCTVB」と渾名されてしまったりしている。

その原因のひとつは、TVBが変わったからというよりは、香港の社会も家庭も変わったのに、TVBだけが変わらないように見えるからだろう。

返還後の政府と市民との関係が変わり、人々がメディアに単純な娯楽以上のもの、すなわち政治的対話のプラットフォームとしての(つまりは真っ当な報道機関として社会事情を伝える)役割を求めるようになった今もTVBは囲い込んだ俳優のドラマを作り、囲い込んだ歌手を主題歌に起用し、美しく作り上げられた虚構の世界をお茶の間に届けることを使命としているように見え、確かにその姿勢はあまりにも時代に無頓着にも思える。

かつて「世の中は常に変わるのだ 移ろいこそが永遠だ」("知否世事常變,變幻原是永恒")と歌ったのは、他ならぬTVBドラマ《家變》の主題歌だったのに。

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次 → 獅子山下:移民経験というモチーフ

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