每當變幻時:変化のなかのカントポップ 【香港カントポップ概論:終】
【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】
終「每當變幻時:変化のなかのカントポップ」
2014年の雨傘運動以降、香港社会にもたらされた亀裂は、他のビジネス界と同様に音楽業界にも影を落としている。
「北進」系の歌手たちが音楽配信からの締め出しやコンサートの開催禁止などにより大陸市場を失うことをおそれて香港の政治・社会問題への積極的な発言をさける傾向にあるのに対して、あえてそれを積極的にとりあげる「ローカル」派の歌手もいる。
昨今の香港では、かつての歌手たちのように、政治と無関係な立場をとることは難しい。また1989年、天安門での民主化活動を支援するためにおこなわれたチャリティ・コンサートのような、香港芸能界全体が一丸となって行う政治的な活動が実現される見込みもおそらくない。
2019年6月以降の反逃亡犯条例改正案に端を発する一連の抗議運動の中でも雨傘運動にも積極的に関わったデニス・ホーや、達明一派の黃耀明などは運動勃発当初からデモ活動に頻繁に顔を出して運動を支援した。
My Little Airportも定期的に世相を反映した新曲をリリースしている。
問我想有什麼成就 我本不想活太久
(何を成し遂げたいのかきかれても もともと長生きする気もないし)
何以這晚之後 我竟想去習武保衛地球
(何故 この夜のあと どうも武術を習って地球を守りたくなったの)
何以見到你後 我竟然會習武鍛鍊身手
(何故 君に会ったあと どうも武術を習って鍛錬したくなったの)
レジェンド・ヒップホップ・グループのLMFもカムバックを果たし、反体制派アーティストとしての健在さを示した。
壞咗响個制度 矛盾邊個製造
(壊れているのは制度 誰が作った矛盾)
腐敗政權企圖謀殺細路
(腐った政権が子供を殺そうとしている)
(…)
用十年 換十年 判十年 坐十年
(10年*また10年 判決が出て 牢屋行き)
逆權時代入面極亂
(逆権時代は大混乱)
極權製造混亂
(極権が混乱を生み)
制度混亂
(制度は混乱)
遮遮掩掩刪刪剪剪)
(隠蔽 秘匿 削除 抹消)
*暴動罪の最長刑期
こうしたいつもの面々に加えて、あらたに沈黙を破り、政治的立場を表明した歌手もいる。
Twinsと同時期に活動した男性デュオShineの徐天佑は、運動初期から沈黙を破り、自身のFacebookページなどでデモ隊を鼓舞する発言を繰り返している。以降、Shineのパートナーである黃又南とは不仲が伝えられ、徐自身が「もうShineではない」と宣言するほどの状況になってしまっている。
かつてのスーパーアイドル、アラン・タムは、ボーイズ・グループ「Wynners」時代の仲間であるケニー・ビーとともに警察支持集会に登場し、デモ隊の若者を批判した。失望した一部のファンの中には、翌日のデモの際、Wynnersやソロ時代の彼の貴重なレコード・コレクションを破壊するものもいた。
ネットでの「炎上」がきっかけで立場表明を強いられた歌手もいる。
ミリアム・ヨンは、6月に抗議の自殺者が出た際に、自身のInstagramに「RIP」と表明したところ、大陸のネットででまわった「香港独立派歌手」リストに名前を掲載されてしまい釈明に追い込まれた。所属会社は、彼女は「香港基本法を支持し、香港が中国の不可分の一部であることを支持しています」と表明した。
ジョーイ・ヨンは、11月にInstagramに投稿した髪で右目が隠れた写真が、警察の発砲したゴム弾により右目を失明した女性への連帯を示すデモ隊のジェスチャー(手で右目を隠す)と同一視されて大陸で話題となり、投稿を削除した上で「祖国を愛しています」と宣言するまでに追い込まれた。
実際、My Little Airportや達明一派など、積極的な民主派支持を表明するバンドはあらたに大陸で「封殺」され、市場を失ったため、彼女たちの慌てた対応も無理もないのかもしれない。
大陸出身の歌手の場合は、事態はより複雑になる。
フェイ・ウォンは、10月1日の中華人民共和国建国70周年を記念する愛国映画『我和我的祖國』(私と私の祖国)で、主題歌である同名の愛国歌をカバーし、映画とともに大陸では大ヒットとなったらしい。
歌声は往年のスタイルを感じさせるものだけど、「私と私の祖国、片時も切り離すことはできない」と熱烈な愛国心を歌うその姿は、もはやかつての「シャーリー・ウォン」はおろか、全盛期のクールな「フェイ・ウォン」のイメージともまったく異質なものに思える。
(映画のエピソードのひとつが「香港返還」であることを思えば、北京から香港を制圧した歌手であるフェイ・ウォンを起用した象徴的な意義はなんとなくわかる気もする。)
フェイ・ウォンの場合はすでにある種の「過去の人」であったこともあり、香港ではそれほどの注目を集めることはなかったが、昨今のカントポップ業界をリードする歌手のひとりである広州出身の男性歌手、張敬軒の場合は事情が違った。10月1日の国慶節、彼は自身の微博に「祖国誕生日おめでとう!」と書き込んだが、香港のファンから厳しいコメントがいくつもよせられ炎上した。香港では同日のデモで初の実弾による負傷者も出て緊迫した状況にあったから、彼の呑気なお祝いの言葉が香港人ファンたちの失望を招いたのだった。
純粋な死者の追悼や、素朴な愛国心の発露すら反対の立場からの激しい反発をまねく今、歌手たちが政治的中立を保つことは容易ではない。どちらの政治的立場に共感するファンにとっても、きっと等しくつらい時代だろう。
張敬軒の発言が香港のネットで物議を醸していた頃、カントポップのファンサイト「廣東歌fans應援事件」は、時の流れの残酷さを歌う彼の歌『青春常駐』の歌詞の一節を引用しながら、「香港の歌手は奪えても、ぼくらの共通の記憶とローカルな文化は奪えない」と書いた。
張が歌ったこの歌は、黃偉文作詞で、日本のアニメに言及しながら、常に変わらない青春時代を望む気持ちを歌っていた。
叮噹可否不要老 伴我長高
(ドラえもんも 年を取らず 一緒に成長できるだろうか)
星矢可否不要老 伴我征討
(星矢も 年をとらず 一緒に遠征に出られるだろうか)
孩子 即使早知 真相那味道
(子供は 真相を とっくにわかっていながら)
卻想完美到 去違抗定數
(完全無欠の考えで 決まった運命に抗おうとする)
偶像全部也不倒
(アイドルたちもみな転落せず)
爸媽以後也安好
(パパとママも ずっと元気で)
最好 我在意的 任何面容都 不會老
(心に思うあらゆるものが 老いなければいいと)
だけどもちろん、そんな幼い願いは、叶えられることはない。
時光 這個壞人 偏卻冷酷如許
(この時間という悪人は でもどこまでも残酷で)
離場慢些 也不許
(別れに少しの猶予すら 許してはくれない)
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政治的緊迫の中で、かつてのアイドルたちが転落していくこんな時代、安全圏にいるのはすでに「共通の記憶」と化してしまった過去の歌手の懐メロだけだ。
黄金時代のカントポップは、どちらの陣営も用いることのできるある種の共通の財産になっている。
民主派陣営にとっては、それらの歌は香港アイデンティティの拠り所である。雨傘運動時にBeyondの『海闊天空』がある種の「国歌」として用いられたことはその象徴だった。
ボーカルの黃家駒の死後リリースされた『十八』は、急進的ローカリスト、エドワード・リョンの活動を描くドキュメンタリーの主題歌に用いられた。
如用這歌 可以代表我
(もしこの歌が 僕を代弁してくれるなら)
幫我為你加一點附和
(君のため ひとつ賛同を送ってくれるなら)
假使可以全沒隔阻 可以代表我
(一点の曇りなく 僕を代弁してくれるのなら)
可以伴你不管福或禍
(どんな時も 君によりそってくれるなら)
這樣已是很足夠
(そうなれば もう十分だ)
現在暴動罪で収監中のリョンは、今年6月以降の運動の精神的指導者ともされる。運動の盛り上がりの中で、獄中にいながら先駆者/殉死者として再注目されることになった彼には、この歌の歌詞はあまりにもぴったりだった。Youtubeにアップロードされたこの曲の動画には、6月以降に彼を慕うようになった人々からの様々なコメントが寄せられている。
一方で、黄金期の楽曲は、カントポップが大陸でも親しまれていた時代の楽曲であるため、「北進」系歌手たちにとっても重要なリソースである。
G.E.M.はレスリー・チャンの『有心人』をはじめ、しばしば懐メロのカバーを披露している。
如果真的太好 如錯看了都好
(本当ならなんていいか 見間違いならそれでもいい)
不想證實有沒有過傾慕
(気持ちが通じたか 確かめようとは思わない)
是無力 或有心 像謎 像戲
(力なく 想うだけ 謎めいて 芝居めいて)
誰又會 似我演得更好
(誰が私ほど うまく演じられるだろう)
(ライブで90年代のヒット曲を演奏するG.E.M.。いずれもこれまでこの連載で取り上げてきた名曲だ。)
彼女は、ブレイクのきっかけとなった『我是歌手』の中でもBeyondの『喜歡你』のカバーを披露して大陸の観客の喝采を浴びている。
彼女のマンダリン曲、『泡沬』では観客たちは黙って聞いていたのに対し、この曲を披露した際には、広東語の歌であるにも関わらず多くの観客が一緒に口ずさんでいる。それだけBeyondが、黄金期のカントポップが、言葉の壁を越えて幅広いオーディエンスにも親しまれていたからだろう。
このG.E.M.のカバーについては、香港のファンからは「Beyondの正しい解釈ではない」というような批判も来たようだが、すでにこの元曲を歌った超本人が存在しない今、何が正しい使い方かを判断する人はいない。
音楽が政治化する時代にあって懐メロがある種の空白地帯になっているのは、早逝した大スターが多いという香港特有の事情も関係しているのかもしれない。
アラン・タムとケニー・ビーの変節を嘆く人々の声の中には、「アニタやレスリーがいたら」というものもあったが、実際のところ、もし彼らが生きていたら、どんな形で現在の運動の関わったのかは誰にもわからない。
『獅子山下』が、民主化デモの参加者によって歌われようと、政府のプロパガンダ・ソングの中で歌われようとも、ロマン・タムもジェームズ・ウォンもいない今となっては、正しい解釈を決めるものもいない。
懐メロの利用をめぐる政治的綱引きは今後も続くだろう。
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『カントポップ簡史』の筆者である朱耀偉教授は、かつて返還直後の香港について扱った著作に『Lost in Transition』(変動の中で失われる)というタイトルをつけた。香港らしさが急速に失われるつつあるという危機感があったからだ。
しかし、雨傘運動期を扱った自作のタイトルは一転、『Found in Transition』(変動の中で見出される)だった。それは返還後の変化の中でかえって香港らしさを求める声が高まり、新しい世代が再び香港文化を見出してきたからだ。この本の中では、カントポップの懐メロのリメイクの増加もその一つのあらわれとして取り上げられている。
そんな近年リメイクされた懐メロの一つに、『每當變幻時』(変化があるたびに)という曲がある。
韶華去 四季暗中追隨
(春は過ぎ 四季は夢中に後を追い)
逝去了的都已逝去 啊啊
(過ぎ去ったものは 去ったまま)
常見明月掛天邊
(月はいつも空に浮かぶから)
每當變幻時 便知時光去
(姿が変わるたび また時の流れを知る)
まさにこの曲のタイトルのように、返還後の昨今だけでなく、香港社会にどうにもならないような変化があるたび何度も失われかけながらも、そのたびに再び見出されてきたのが香港文化でありカントポップだった。
1960年代後半の動乱からカントポップの誕生を告げるサム・ホイの『鐵塔凌雲』が生まれ、迫りくる返還への不安の中で多くの全盛期の名曲が作られてきたように。
だからきっと、香港とカントポップは、出口の見えない今回の危機も乗り越えて、私たちにまた新しい名曲をきかせてくれることだろう。
【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】
おわり
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