一代一聲音

浪子心聲: "歌神"サム・ホイとカントポップの誕生 【香港カントポップ概論:1970年代①】

【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】
1970年代編: "我係我" カントポップの誕生①

香港の歴史をコンパクトにまとめたジョン・キャロル先生の『A Concise History of Hong Kong』(香港史をざっくり学ぶなら現状最良の一冊だ)は、カントポップの誕生を「1974年」のこととしている。

1970年代初頭から1980年代にかけての香港の急速な成長は、映画、音楽、テレビ番組に表れるローカルなポピュラー文化の興隆にも繋がった。1974年には西洋風のポップミュージックに広東語の歌詞をのせて歌うセンチメンタルなラブソングである「カントポップ」が誕生した。 (168)

コンパクトすぎて具体例は出ていない(この後の文はずっと映画の説明)からこれだけ読むとなんのこっちゃだけど、キャロル先生がここまで言い切る理由は、2つの重要な曲がこの年にリリースされたからだ。

ひとつは日本でもMr. Booシリーズで(上の世代には)知られる(らしい)俳優・歌手、許冠傑(サム・ホイ)のソロデビュー・アルバム『鬼馬雙星』(1974)に収録された『鐵塔凌雲』(雲を貫くエッフェル塔)。

今聞くと、まあ普通の昔のアコースティック・バラードという印象だけど、この曲は「広東語で歌う」ことについての印象をひっくり返してしまったらしい。

この曲のインパクトについては、香港の公共放送RTHKが製作した番組『我們都是這樣唱大的』のサム・ホイ回で存分にとりあげられている。『我們都是這樣唱大的』(『僕らは歌って大きくなった』;成長するという意味の”長”と、歌うという意味の”唱”の音が近いのでダジャレになっている)は、フォーク・シンガー兼ラジオDJの區瑞強(アルバート・アウ)がカントポップの歴史を作った歌手・作詞家を訪問する内容で、とてもためになるので中国語のわかる人はぜひ見てみてほしい。Youtubeに公式動画が挙げられていて、今のところ海外からもアクセスできる。

アウさんもそれなりのすごい歌手なのに、サムさんの前では恐縮しきりで、特にこの『鐵塔凌雲』を歌う時には「長年の夢だった」と大感激している。

この曲を聞いた時の印象としてアウさんは、「僕らの中で”サム”の印象はとても西洋的で、ハンサムでかっこよかったし、ああこんな人も広東語の歌を歌うんだと思った」と語っている。サムの登場以降は「広東語ポップスはもはや低級なものではなくなった」とも。

サム・ホイは、英語ロック・バンドThe Lotusのフロントマンとしてすでに音楽シーンに知られていた。

(動画はThe Beau Brummelsのカバー「Just A Little」)

当時の写真を見ると、いかにもビートルズ風のマッシュルームカットで、すらっとした手足もステージ映えして確かに大変かっこいい。おまけに香港大学出身で、当時としては超エリートでもあった。つまりあらゆる意味で時代の最先端にいたカッコいい兄ちゃんで、田舎臭いイメージの広東語歌謡とは反対のところにいたらしいから、彼が広東語曲を歌うインパクトは確かに強烈だっただろう。

一方でサム本人の方は、同じ番組の中で、この曲の歌詞がいかに当時の香港の人々の共感を呼んだかを強調している。

『鐵塔凌雲』の歌詞は、サムの兄マイケル(許冠文)が世界一周旅行の後に書いた英語の詩が元になっている。主人公はタイトルにもあるエッフェル塔や自由の女神、富士山を見て回るけれどもどこか満足できない。ホノルルの浜辺の電飾よりも「彼の地の漁火には及ぶまい」と思ってしまう。結局、この旅を通じて彼は、「いま、ここで、このように」頑張ること、故郷で今まで通り目の前のことに取り組んで行けばいいのだ、ということを学び、喜んで歌いながら帰路につく。

俯首低問何時何方何模樣
(こうべを垂れ尋ねる いつ どこで どんな風に)
回音輕傳此時此處此模樣
(やまびこがやさしく答えた いま ここで こんな風に)
何須多見復多求
(これ以上何を求める必要があるだろう)
且唱一曲歸途上
(だから歌いながら帰路についた)
此時此處此模樣 此模樣
(いま ここで こんな風に こんな風に)

この曲は、1972年4月にサムとマイケルが主演するTVBのテレビ番組『雙星報喜』ではじめて披露されたという。

当時は1967年の左派暴動の混乱の影響から海外への移住も増えていた時期で、『カントポップ簡史』では、この歌詞は香港以外に居場所を求めようとするけれどもうまくいかなかった当時の人々の気持ちとうまく呼応したのだ、と分析されている。戦中・戦後、大陸から逃げたきた人々の一時的な避難場所として機能してきたら香港だが、この頃になると香港生まれ・育ちの世代も増え、香港そのものに愛着を持つ人々の「本土意識」(local consciousness)が生まれつつあった。

サム自身も、1948年大陸の広州で生まれているけど、3年後の1951年に一家が香港に移住したため幼い頃から香港で育っている香港育ち第一世代でもある。大陸に故郷を持つ親たちと違い、彼らにとっては香港こそが故郷であって、他の場所にはない特別な魅力を持っている。

そんな生まれつつある香港意識を取り込んだ点でも、この歌はまさに「最先端」の新しい歌だった。

サム本人が上のRTHKの番組で語っているところによると、この曲を披露した放送は巷の話題となり、人々から「いつレコードを出すの」と聞かれるようになったという。

2年後、この曲を収録してリリースされた『鬼馬雙星』は、兄マイケルが監督・出演し、サムも出演した同名映画(邦題は『Mr.Boo!ギャンブル大将』)の主題歌を収録したある種のサントラアルバムだった。

今後も、マイケルが映画を監督し、サムがそれに曲を提供するスタイルで、ホイ兄弟は大ヒット映画の主題歌・挿入歌としてのヒットソングを量産していく。

歌詞の面では、かなり文語調だった『鐵塔凌雲』とは違って完全な広東語の口語で、俗っぽさがさらに前面に出されている。

為兩餐乜都肯制 前世
(食ってくためならなんだって 運命だって)
撞正輸晒心翳滯 無謂
(全部擦ってもクヨクヨしない 仕方ない)
求望發達一味靠搵丁
(儲けたきゃ どのみち誰か 騙すのみ)
鬼馬雙星 綽頭勁
(イカす二人組 大したお手並み)

彼らの映画の主人公は、ギャンブラーやらしがない労働者やら庶民的で低俗だけど憎めない人物が多く、歌詞の言葉遣い自体がそのイメージにもよくあっている。けれどもそれでも下品になりすぎず、適度にスタイリッシュでいられたのは、やはりサムの元々の「シュッとした」イメージがあったからだろう。

そのあたりのバランス感覚は絶妙で、同じ映画の曲でもバラード曲『雙星情歌』ではしっかりかっちりした文語調の歌詞になっている。

曳搖共對輕舟飄
(二人 小舟で浮かび漂い)
互傳誓約慶春曉
(春暁を祝い互いに誓う)
兩心相邀影相照
(誘い合う心と重なる影)
願化海鷗輕唱悅情調
(カモメになり悦びの調べを歌いたい)

アップテンポな口語調の曲と文語調のバラードという組み合わせは、『天才與白痴』と『天才白痴夢』(『Mr.Boo!天才とおバカ』)、『半斤八兩』と『浪子心聲』(『Mr.BOO!』)などなど後の映画にもしっかり踏襲されていく。

天造之才
(天が与えた才には)
皆有其用
(それぞれ使い道がある)
振翅高飛
(翼を広げ高く飛べ)
無須在夢中
(夢の中にいる必要などない)

『天才白痴夢』のメッセージは『鐵塔凌雲』と同じ。若者に夢を見るのではなく、「今この時を大事にして」(勸君珍惜此際)頑張るように促している。

我哋呢班打工仔
(俺たちしがない勤め人)
通街走糴直頭係壞腸胃
(あくせく働き 腹までクタクタ)
搵嗰些少到月底點夠洗 奀過鬼
(貰うのは月末までもつのやら 雀の涙)
確係認真濕滞
(まったくほんとに参ったよ)

半斤八兩では、きっといつの世も変わらない労働者の気持ちを歌う。

エリート感と庶民感、格式高さと俗っぽさを絶妙に融合させてしまった彼の音楽は、文字の読み書きのできないような人々から詩には一家言ある旧来のインテリ、そして昨日までロックを聴いていたようなファッショナブルな若者まで、香港の様々な人々が楽しめる魅力を持っていたのだろう。

『カントポップ簡史』の言葉を借りれば、サムの歌は当時の香港の「民の声」(vox populi)となり、そこから本当に「大衆的」な新しい音楽「カントポップ」が生まれたのだ。

だから彼は、もはやただの歌手ではない。

香港の人々は、彼を「歌神」と呼ぶ。

=========

普通の(香港好きでない)音楽好きのための追記:

サム・ホイの広東語曲はやはりどこか滑稽で、それなりに時代感もあるからどうしてもコミカル印象が強いかもしれない。私も正直、彼の英語時代の音楽をきくまでどちらかというと歌のうまいコメディアンくらいに思っていて、あまり本格的なミュージシャンとしての印象はなかった。

でもこの曲はどうだろう。1970年の英語アルバムに収録された、The Zombiesのヒットソング『Time of the Season』(ふたりのシーズン)のカバーだ。

ストレートにカッコいい。こういうことができる人間がおどけてみせていたところがサム・ホイの偉大さだと思う。

日本で言うとスパイダースの面々(や、もしかしたらドリフ)もリアルタイムではそんな感じだったのかなーと思ったり。

=========

香港に広東語で歌う神が誕生した1974年。

しかし、この年がカントポップの誕生年になったのは彼の才だけによるものではなかった。この春、より組織的に、計画的に作り出されたもう一つのヒットソングが登場していた。

→ 翡翠劇場:『啼笑因緣』とドラマ主題歌


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?