自己物語探究の旅(1)
「音楽・平和・学び合い」と題した連載を、このメールマガジンに書き始めたのが2011年の1月。3・11を含む1年間余りは月1回のペースで書かせて頂き(~13回)、その後は娘が生まれた時(2013年3月:
14回)や、当方の論文を連続でご紹介いただいた時(2015年1月~
3月:15回~26回)など、折々で読みづらい長文・駄文にお付き合い頂きました。お読み下さっていた皆様に、記して感謝いたします。
(上記連載のリンクを、『自己物語探究の旅』
https://sasakiyoichi1020.jimdo.com/
と題してホームページにまとめています。良ければご参照ください。)
当方はちょうど論文をご紹介頂いていた時期に様々な葛藤を経験し、昨年度より一般教諭の職を離れ、初任者担当の拠点校指導教員となることを選んで、働き方を大きく変えました。娘も4歳半を過ぎて言葉が豊かになってきたこともあり、改めて自らを振り返りつつ、丁寧に言葉を紡ぐフィールドを取り戻したいと考えるようになりました。念頭には、中島岳志氏(東京工業大教授)が2011年の年末に書いた、次の言葉があります。
(以下引用:前略)
今、必要なのは、不安や苦悩、罵倒、鬱屈が衝突し、混沌の渦が巻き起こる中から、そのすべてを超え出る「言葉」を綴ることである。自己と正面衝突する痛みの中から、「言葉」を紡ぐことである。(中略)言葉を紡ぐことは、自己と向き合うということだ。そこから、他者との葛藤が始まり、世界との和解が始まる。世界が決壊する前に。暴力をふるう前に。
『世界が決壊する前に言葉を紡ぐ』秋葉原事件から東日本大震災へ
(pp22-23)
ここで中島氏が強調している「言葉」を、私は臨床教育学の知見に重ねて「ナラティブ」と言い換えたいと思います。やまだようこ氏(立命館大学名誉教授)は「ナラティブとは、広義のことばによって語る行為と語られたものである。つまり、広義のことばによって経験を組織化する行為であり、出来事を有機的にむすびつける編集作業、意味づける行為のことである」と定義しています。ここから、「自己と向き合う」ことを「セルフ・ナラティブ=自己物語」と呼ぶことができるでしょう。
当方は以前の連載を、「書くこと」を通して自身の経験を振り返り、意味づけ、自身の「観=思想」に迫る試み=「セルフ・ライフ・ヒストリー・アプローチ」と捉えていました。その後、連載と時を同じくしてかかわるようになった臨床教育学会での研究を通して、自分の言葉を「語り/物語」の層で深く探究する事をテーマとするようになります。ご紹介頂いた論文(中学校における臨床教育学的生徒理解/不登校をめぐる教師としての「自己物語」の変容)では、カナダの教育学者クランディニン氏が提唱する「ナラティブ的探究Narrative Inquiry(NI)」にヒントを得て、自身の実践をナラティブに語り直すこと(再叙述restorying)に取り組みました。
クランディニンの仕事を日本に紹介した田中昌弥氏(都留文化大教授)は、「ナラティブ的探究(NI)」における「支えとするストーリー stories to live by」について、「自分の経験を通してつくられ、自分の中にあって存在を支え、生きていく指針となるストーリー」と定義しています。私はその後の研究の中で、「支えとするストーリー」を「自己物語」と同様のものとして扱い、自分自身のナラティブに対する分析にNIの方法論を援用しつつ、自身のコア・ナラティブ(核となる自己物語)を明らかにしていく実践研究を「自己物語探究 Self-narrative Inquiry」と呼ぶようになりました。
(自身の研究については、次回以降少しずつご紹介します。)
先月、梶原編集長より秋の連載執筆者公募がありました。47歳の誕生日を翌日に控え、梶原編集長には次のようなメールで応募の意思を伝えたのでした。
(以下引用)
2017.10.19(木)札幌の笹木です。秋の執筆者募集、応募します。
大変ご無沙汰しております。お元気でご活躍のことと拝察いたします。2011年から、「音楽・平和・学び合い」と題して、断続的にエッセイを書かせていただきました。その後娘が生まれ、職種も初任者担当の拠点校指導教員に変わり、様々に人生の転機を味わいつつ、ストーリーを紡ぎながら、ゆっくり坦々と生きております。
当方は、『学び合い』から「臨床教育学」へと研究関心の軸が移り、今は「自己物語探究 Self-narrrative Inquiry」と自身のリサーチクエスチョンを定めて、学会やNPO、市民活動、民間教育など幅広く、横断的・越境的に学ぶことを自身に課しています。
「戦後最大の平和の危機」とも呼べそうな世相の中、衆議院選挙で憲法改正が問われるようになりました。過日「秋の執筆者募集」のお知らせに接し、改めて連載再開することで、この時代に生きているドキュメントを残しておきたいと考えました。まだ可能であれば、11月から連載再開をお許しいただきたいと思います。
(後略:引用以上)
編集長の返信には、「貴兄ご指摘の、『戦後最大の平和の危機』、同感・共感です」と追記があり、想いを共有する同志の存在に深く安堵したのでした。重ねて、自身のフェイスブックには、寄せられたバースデイ・メッセージへの返礼コメントとして、以下の様な言葉を置きました。https://www.facebook.com/yoichi.sasaki.507
(以下引用)
2017.10.23(月)
直接お会いしたことのない方からも、心温まるバースデーメッセージを頂き恐縮しております。本来なら、お一人ずつお礼を述べるべきところですが、まとめて応答する無礼をお許しください。誕生日直後に選挙があり、様々に自身とこの国の行く末を考えさせられる時間が過ぎていきました。憲法を変えて、戦争できる普通の国にすることを是とする政治家が大多数を占める時代になりました。自身の「支えとするストーリー=平和主義」に誠実でありたいと、想いを新たにしています。
(引用以上)
以前の連載のキーワードであった「平和」の在り様が、強く深く揺らいでいます。私は今も震災が紡いだ縁(札幌むすびば)をつなぐべく、震災被災者支援にかかわるNPO法人『みみをすますプロジェクト』の運営会員を務めています。新連載第1回は今年3月に刊行された、避難したこども達への学習支援活動報告書(元気塾ユニオンハートの歩み)に寄せて、平和への想いを綴った自己物語を紹介し結びとします。以前の連載(26)でご紹介頂いた論文の結びに、「さらに多くの発達援助専門職とつながり、『自己物語=支えとするストーリー』を語り直しながら、その都度新たに生き直す人生の旅を、楽しんで進みたい」と書いたことを忘れず、こんな世相だからこそ未来を見据えて、「自己物語探究の旅」への歩みを歓んで踏み出したいと思います。皆様、それぞれの旅路を共に歩む者として、今後ともよろしくお付き合いください。
(以下引用)
http://mimisuma-sapporo.com/%E5%85%83%E6%B0%97%E5%A1%BE.../
「生きる意味そのものとして」
札幌市立中学校 拠点校指導教員 笹木 陽一
縁あって「むすびば」とつながり、早6年の時間が過ぎました。3・11の後、居ても立ってもいられず、仲間に声をかけて『想いひとつに…つながる場』と題したチャリティー・イベントを5月21日に実施しました。その運営を全面的に支援してくださったのが「みみすま」理事長のみかみさんでした。
震災から一年のタイミングで、むすびばのメーリングリストに投稿した拙稿『音楽・平和・学び合い(13)』に、みかみさんは次の様に応答してくださいました。
2012.3.29 むすびばMLへの投稿
(前略)昨年の10月、初めて福島市に出向いて相談会を行い、実際に福島の方達の闇を目の当たりにした時、私達の支援活動の転換を迫られる思いでした。それから数日間、私は自分達の支援活動の指針となる言葉を探し求めました。そして出会った(再会した)のが谷川俊太郎の詩「みみをすます」でした。子どもたちの、声にならない声にみみをすましながら、特に放射能汚染という怪物に立ち向かっていくためにも、二年目の活動を大切にしていきたいと思います。(後略)
その後むすびば内で「みみをすますプロジェクト」が立ち上がり、夏には「元気塾」の原型となった「学習支援付きサマーキャンプ・つばさ」(7.30-8.20)が実施され、当方もスタッフとして参加しました。むすびば解散(2014.3.31)後「みみすま」がNPO法人となってからも、学習支援は札幌市教職員組合の協力を得て継続し、当方も昨年夏、娘と共に参加することができました。娘は今でもその時に作った名札を大事にし、事ある毎に首からさげて自己紹介しています。
先日「つばさ一期生」である横田優君と、長く事務ブースがあった市民活動サポートセンターで再開できた時、縁の不思議さを深くかみしめたのでした。震災当時中学生だった彼もこの春から沖縄で大学生活をスタートするとの事。横田君は高校生の時に参加した市民科学者国際会議(2014.11.24)で、次のようにスピーチしています。
(前略)放射能を気にしながら闘いながら生活をする福島。そんな環境では、心身ともに健全な状態は保てないと僕は思っています。これは僕だけの問題ではなく、福島だけの問題でもないと思います。この国の、この星の問題なのではないでしょうか。(後略)
震災から2年後に娘が生まれ(2013.3.28)、「子どもたちの、声にならない声にみみをすましながら」とのみかみさんの言葉は、自分自身の生きる意味そのものとなりました。谷川俊太郎『みみをすます』には次のような一節があります。
いちおくねんまえの ほしのささやきに
いっちょうねんまえの うちゅうのとどろきに みみをすます
横田君が訴えた「この星の問題」とも響きあうこの詩句を、命ある限り誠実に引き受けながら、自分にできることをこれからも坦々と実行していきたい。「反知性主義」と呼ばれる程の無理解と不寛容が支配する時代に、人間の叡智にこそ希望を託したい。そんな想いを新たにしながら、『みみをすますプロジェクト』の活動がますます豊かに展開し、多くの人々の命をつなぐ光となることを願いつつ、谷川の詩からもう一節引用して、駄文の筆をおきます。
(ひとつのおとに ひとつのこえに みみをすますことが
もうひとつのおとに もうひとつのこえに みみをふさぐことに
ならないように)
(引用以上)
参考資料:中島岳志『世界が決壊する前に言葉を紡ぐ』
株式会社金曜日(2011)
やまだようこ編『多文化横断ナラティブ-臨床支援と対話教育』
編集工房レイヴン(2013)
D.ジーン・クランディニン他(田中昌弥訳)
『子どもと教師が紡ぐ多様なアイデンティティ
-カナダの小学生が語るナラティブの世界』明石書店(2006/2011)
谷川俊太郎『みみをすます』福音館書店(1982)
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