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人生に目的なんてありはしない。
人生に目的なんてものがあると信じて疑わない者がある。
声を大にして言いたい。
人生に目的などありはしないのだと。
君は何のために生きているのか?
この問いに答えられるのは熱心な宗教家だけさ。
そもそも僕らは自らの意思で生まれてきたのではない。
2018年に話題となったシラノ・ドベルジュラックの言葉を借りれば、
「この今の時代を見たいか、あるいは別の時代まで待つかときみに訊ねただろうか。」
「きみが愚か者の子に生まれても我慢するか、あるいは立派な人物の子に生まれたいという野心があるのか」
「きみだけが意見を聞いてもらえなかった唯一の人間なのだ。」
ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』にもあるように
I was born.受動態なのさ。
僕らは誕生において一切の自由意志や意思決定を認められなかった。
気づいたら存在していただけの単なる遺伝子をつなぐ船みたいなもんさ。
中井英夫しかり、かぐや姫しかり、
地上ってのは流刑地らしい。
そんな流刑地に産み落とされた僕らの人生に目的を求めるなんてのは野暮じゃあないかい。
言ってしまえば、生きてるだけで偉いよ。
そもそも、人生の価値を決めるのは今を生きる僕らじゃあない。
一部だけを切り取って、そこだけで僕らを評価するなんてのはつまらない人間のすることだと僕は思っている。
部分だけ見て全体を見ようとしない
そんなちっぽけな人間にはなりたくない。
勝ち組だとか負け組だとか言って人間を分類しようとする者もいるらしいが、
勝負が終了するのは僕らが死んだ時だよ。
それまでずっと否応なしに勝負は続くのさ。
それなのに途中で、部分的に評価しようなんてのは傲慢な考えだよ。
勝手に他人の人生を成功しそう、失敗しそうと一部だけを見てきめつける。
他人の人生を評価する権利なんて生きているかぎり誰にもないはずなのに。
君たちはどう生きるのかっていう問いは現状、
君たちは一体どんな成果をあげられるのかっていう問いであり、
何を成し得るかと問うのは傲慢な人だよ。
人生に目的なんてありはしない。
ただ生きて、遊んで、死んでいくだけさ。