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澁澤龍彦生誕祭~ざっくばらんに個人的思い出を振り返って
本日5月8日は澁澤龍彦氏の96回目の生辰である。
本当は今日にあわせて、書いていたnoteを公開したかったのだが、書き終わらなかったので、そちらは8月5日の「ドラコニア忌」、澁澤さんの命日にあわせて出したいと思う。
しかし、せっかくの辰年の5月8日に何も出さないのは、少々惜しい気がするので、昨年と同様にざっくばらんに個人的思い出を振り返ってみることにする。
まず、彼との出逢いは、高校1年の夏に読んだ『フローラ逍遥』である。
このエッセイは1960年代の反省から表だってユートピアやデカダンスなどを論わなくなったと自称する晩年に書かれたものである。
確かに処女作の「サド復活」とはテイストが少し異なる。
けれども、博覧強記で古今東西の様々なことに精通した氏ならではの豊富な引用や、密度の濃い文章は変わらない。
読んでいる内に澁澤さんが隣に立って道案内してくれているような錯覚に陥る。
それも、ただの道案内人ではなく、花にまつわるあれこれを、これでもかというぐらい話してくるのだから、たのもしい。
以下は澁澤さんと親しかった三島由紀夫氏による澁澤さんの紹介文である。
「サド裁判で勇名をはせた澁澤氏というと、どんな怪物かと思うだろうが、これが見た目には優型の小柄な白皙の青年で、どこかに美少年の面影をとどめる楚々たる風情。しかし、見かけにだまされてはいけない。胆、かめのごとく、パイプを吹かして裁判所に悠々と遅刻してあらわれるのみか、一度などは、無断欠席でその日の裁判を流してしまった。酒量は無尽蔵、酔えば、支那服の裾をからげて踊り、お座敷小唄からイッツァ・ロングウェイまで、昭和維新の歌から革命歌まで、日本語、英語、フランス語、ドイツ語、どんな歌詞でもみな諳で覚えているという怖るべき頭脳。珍書奇書に埋もれた書斎で、殺人を論じ、退廃美術を論じ、その博識には手がつけられないが、友情に厚いことでも、愛妻家であることでも有名。この人がいなかったら、日本はどんなに淋しい国になるだろう。」
僕が大学生になり、色々な人と交流するが、案外、澁澤龍彦を知らない人がいる。というか、僕の周りだけだと、知らない人の方が多い。
澁澤龍彦を知っている人でも、
「あぁ、サド裁判の人ね」
「ユイスマンスの『さかしま』を訳した人ね」
「三島由紀夫と交流があった人ね」
と人によって様々な印象が持たれていて、これまた面白い。
確かに、巌谷國士氏が述べるように、澁澤さんは常に変わり続けるタイプの文章家であった。
話が逸れてきたから、戻そうと思う。
高校1年の頃彼と出逢ったばかりの僕は、理系の道を選んだ。
しかし、彼を追っていく内に、理系よりもフランス文学への興味が強くなっていった。
その結果、こうして途中から道を変えて文学部に進んだ。
僕のここまでの行動原理の全ては彼に由来している。
最近亡くなった唐十郎の芝居が好きになったのも、翻訳文学に興味が湧いたのも、人形制作やシュルレアリスムやデカダンス、ユートピア思想などに興味があるのも全て彼の影響である。
澁澤龍彦は僕の最愛の人であって、いつかは越えたい目標でもある。
今年は澁澤龍彦の年
何か起こりそうな予感がする。