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10代を振り返って
今年の1月14日に20歳になる。ちょうど成人年齢が18に引き下げられて、特別何かを準備するわけでもなく、ぬるっと成人になった。
これでも1つ上の代よりはましな方だろう。
なんせ1つ上の代は気付けば成人になったことになっていたのだから。
そう考えるとやはり我々が成人になったと感じるのは成人式という儀礼を終えてからであろう。
本日1月13日は多くの地域で成人式あるいは二十歳の集いというのを行なっている。
しかし、私の住む地域は諸事情により成人式は3月である。街中で振袖姿の人を見て、なんだか自分だけ世間から置いて行かれている気がした。
これは高校卒業後1年間遊んでいて、周りの人よりも1年長いモラトリアムを過ごしていたせいかもしれないけれども。
まぁそんなことはさておき、今回は10代というものを振り返ってみたいと思う。
と言っても、この10年はとても長かったように感じる。そして10年というスパンで物事を振り返ることなどほとんどないからなのか、10年前など遠い昔のことと感じる。
そもそも、小学校の記憶なんて両手で数えられるぐらいのことしか覚えていない。クラスメイトの顔や名前もほとんど覚えていない。小学校のクラスメイトは7人ほどしか覚えていないし、本当に同じクラスだったかも怪しい。
中学はまだ覚えている。オーストラリアに留学したことも、修学旅行でインフルになって途中帰宅したのも覚えている。いわゆるスポーツ校で部活に力を入れていた学校で文化部がよくもまぁ、3年間も通えたものだ。ほとんど馬が合わない人ばかりだったのに、なんとか3年間通えたのは仲良くしてくださったほんの数名の友人のおかげである。男友達が1人しか浮かばないのはどうなのかと思うが。中学生男子って基本的に..........
高校は嫌でも忘れられないなぁ。今でも仲良くしてる人もいるし、色々あった。澁澤龍彦と出逢ったのも高校で。でも、理系を選んだのは後悔していない。だって澁澤龍彦と一緒だもん。彼も高校では理系だったし。まぁ、それでも彼が好きすぎて結局1年ふらふら遊んで、文学部入ったんですけどね。二階堂奥歯お姉様や南条あや嬢に出逢ったのは高3のとき。精神的にも物理的にも辛かったときに出逢った。高校ではPRODIGY英語研究所編集長に本当に色々なことを教わった。英語だけではなく翻訳業界やら演劇、文学、編集etc。寺山修司の話で盛り上がったなぁ。共通テストが誕生日だったのは嫌だったなぁ。国語でマークミスして、人生でこれまでにないくらい音が聞こえなくなって心拍数が上がり、手汗が出た4分間だった。これ以来2次試験も翌年も全然緊張しなくなってしまったんだよなぁ。今でもそうだし。あれを超える焦りというか緊張というか、ゾクゾク感を感じられていない。まぁ、蓋を開けたら国語や英語は9割弱あったのに、化学が40点台とかいう理系としては死んだも同然の点数で笑っちゃうよなぁ。まぁ、そのまま国立大学受験して、ちゃんと不合格だったけど悔しくもなかったし、悲しくもなかったなぁ。理系で受けていたからやりたいことが違ったということもあったし、どうせこのまま受かるところ受けてしょうもない人間になるよりはって考えもあった。頑張らないといけないときに頑張らずに大学生になって、はたして今後同じような頑張らないといけない場面で頑張れるのか疑問でもあったし。また高校では教育活動家?物理愛好家?のK氏にもお世話になった。K氏からは色々なことを学んだ。我々が失ってしまった生きる力を爽快するための学び方や教育のあり方、仕事の流儀や哲学など。今でもお世話になってます。
高校卒業後は大阪で1年間遊んでた。この1年は本当に楽しかった。18になったら家を出て、1人でも暮らせるようになれという我が家の教育方針に従ってそのまま大阪で1人暮らしを始めた。大阪では結局1年で7人と仲良くなった。今でも大阪に寄るとご飯行ったりするぐらい仲良くしてくれている。本当にありがとう。大阪はとても新鮮な体験でいっぱいだった。話し方もそうだし、交通の便の良さも、カルチャーの多さも、何もかもが田舎者の私からすると新鮮であった。また佐藤雅史先生には本当に多くのことを教わった。私が文学だけではなく、フランス語文法、統語論に興味を持ったのは師の影響である。文転して本当に自分の学びたいことが学べて楽しかった。
結局国立は落ちて終わったのだが、不合格の知らせを聞いてもなんとも思わなかった。というか、合格発表が10時で眠たかった。結局結果を見て二度寝して気づいたら夕刻だった笑。びっくりするくらい何も思わなかった。茫然自失となっていたわけでもなく、まぁそろそろ大学生になろうかなぁとかぼんやりと考えていました。結局後期は勉強せずに受験料払ったからなぁと受けに行って、小論文を書いて受かりました。このときに確か平野啓一郎を読んだんだよなぁ。「分人」という概念は面白かった。本当の私など存在しなく、相手に合わせて表に現れるペルソナが違うのだという意見が印象的だった。
無事に大学生になり、自分の興味のあることを学び始めた。フランス文学会の会報編集委員をやらせてもらい、インタビューでは面白い話が聞けた。また寄稿もして、これを読んでくださった先輩方に学内学会にも誘われた。また寄稿した記事のせいかフランス文学科の中で悪名高くなった(?)。どうも周りに自分の印象を聞いてみると、寺山修司が好きな人だとか唐十郎が好きな人、澁澤龍彦が好きな人などとフランス文学科とは思えない人物像が浮かんでくる。2024年には好きだった唐十郎が亡くなり、澁澤龍彦や三島由紀夫、土方巽らとも交流の深かった写真家の細江英公氏が亡くなり、なんだか70年代の終わりを強く感じた。また、唐十郎のつながりで紅日毬子氏を知りファンになった。純粋な悪という感じがすごい出ていてかっこいい。実際にお会いして、間近で朗読を聴いてみると、息をするのを忘れるぐらいに作品世界の雰囲気が彼女の周りに醸し出されていた。
また大学ではご縁があって連載も始めさせてもらった。いったい誰が読んでくれるのだろうという稚拙な文で、もっともっと精進せねばならないのだが、連載という貴重な機会をくださった編集長には本当に感謝しています。そして、サークルの方でも色々な方と出逢えて、色々な活動に参加させてもらった。〆切が守れない性格のせいで文学フリマに出店はできなかったけれども笑。
とまぁ、こんな感じでざっくりと10年を振り返ってみたけれどもこの10年は本当に色々な人に出逢って様々な刺激を受けた。それは単に進路だけではなく、生き方や考え方にまで影響を与える出逢いもあった。
枝分かれし続ける物語で出逢った皆さん。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
最後に佐藤雅史氏から頂いた言葉を載せておきます。
Keep true to thy dreams of the yourh.