#107 大切な人の命を守るために
年明け1・2月は note の全活動をお休みするので、投稿するのも今日と明後日の2記事となった。以前から書かなければと思って書けていなかった内容が一つあるので、少し重いが、「大切な人の命を守るために」と題して書いてみたい。多くの人に読んでもらえるといいな、と思う。
強くて弱い人間
人間は強くて弱い、と思う。『星の王子さま』を書いたサン=テグジュペリは小型飛行機を操縦していて数度墜落したが死ななかった。人間は強い。病気の中で一番怖い末期のすい臓がんでも、見つかって数日で死ぬことは通常はない。
しかし、本来は生に向かうはずの人間の心が死に向かった時、人間はすぐに死んでしまう。拳銃がある国なら指先の数センチの動きで、日本ならば電車のホームをたった1メートル移動するだけで。つまり、自殺だ。
4人を失って
僕はこれまでに、確定的には3人、家族の話から判断した1人の合計4人の知り合いを自殺でなくした。幸い家族や親しい友人は含まれていないが、自死者家族を見ていると胸が張り裂けそうになる。死んだ人がその後どうしているかは知らないが、残された周囲の人の心には一生傷が残る。
4人のうち3人は密な関わりがあった人ではないので、「自分が何かできたかもしれない」とは思わないが、1人は毎日のように顔を合わせていた人なので、今でも「自分が〇〇していたら……」と思う。一生忘れることはない。
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友人の異変と、助けてくれた知識
そんな折、ある友人が仕事で行き詰まった。彼女はとても仕事熱心で、適当にしか仕事をしない周囲の仕事が彼女のもとに次々と流れ込んでいた。連日日が変わるまで仕事をしてタクシー帰宅だった。
僕はかつて中高の教師をしていたので、専門のカウンセラーにつなぐ前の「問題が発生しつつある状態」で生徒の相談によく乗った。当時のことを思い出して、彼女に少し探りを入れた。
これはまずい。一般的に、「自殺なんて、あの人に限ってあり得ない」と思いがちだが、それは間違いだ。大学時代、学生寮の隣人が精神科医になったので病棟を見せてもらったり話を聞いたりしたが、実は自殺の危険性が一番高いのはうつ病などの症状が強い時期ではない。症状(主に陰性症状)が本当に激しい時は身体が動かず(人によってはトイレへも行けなくなり、その場で排泄してしまう)自殺の恐れは比較的低い。
一番危険なのは、「病院に行くかどうか迷っている時期」と、入院者の場合は「退院の時期が見えてきた時期」だ。間近に迫った退院と社会復帰の練習のための「一時外泊」などは、実はとても危険性が高い。自殺など考えもしなかった人が、電車のホームに立った時に、なぜか「魔がさして」しまうことがある。医療の外にある時期が一番危険ということで、これは我々一人一人が、自分の愛する人、大切な人の命を守るしかない。この知識に救われた。
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強引な介入
その後もその友人の様子を時々うかがっていたが、僕の頭の中では完全に赤信号が点灯していた。失った一人の、葬儀で見た顔が頭をよぎる……あれは絶対に繰り返せない。思い切って介入することにした。
会話から、今彼女がいる部署で仕事が大変なのはもう一人男性がいて、二人とも夜中まで仕事をしてろくに休みも取れてないことは分かっていた。二人とも単身者で、仕事を押し付けやすい構造になっていた。彼女にメールして、「今のままでは、あなたかその彼かどちらかが死ぬよ。すぐに仕事を辞めることを考えよう」と説得した。そう話して「そうだよね」となる人なら、上の状態になるまで仕事はしていないはずなので、裏で準備を進めた。
彼女の自宅近くの法律事務所で退職代行業務をしてくれる弁護士を探し、彼女がどちらを希望するか分からないので、女性と男性一人ずつ目鼻をつけた。その後、彼女に再度メールをして、「弁護士も見つけた。すぐに依頼して会社はすぐ辞めて、まずは体調を整えよう」と説得した。説得は失敗で、彼女は結局、「私が辞めると、みんなに迷惑がかかるから」と夜中までの仕事を続けた。共通の友人にも連絡してもらったが、説得はうまくいかなかった。
精神科医たちの共通認識に、こんなフレーズがある。先生たちは悪くない。それは、「患者がしばらく来なくなったら、治ったか死んだかだよね……」だ。彼女からはしばらく連絡がなかった。
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強引な介入から、緩やかな変化へ
そんな彼女から、しばらくして連絡があった。内容は、「あの時は、あんなに心配してくれてありがとう。あんまり言われたから、転職活動を始めた」というものだった。仕事は相変わらずひどい状況とのことだったが、他へ移る気持ちになったのなら、まあよかったのかと思った。その後またしばらく連絡はなかった。
そんな彼女が明るい声で連絡してきたのは、数ヶ月経った頃だった。あまり期待していなかった僕に彼女は告げた。
最高の結果になった。僕がうるさく退職を勧めなくても彼女が転職したのかどうか、それは分からない。でももしほんの少しでも彼女の背中を押せたのならば、とても嬉しい。しかし、その後悲しい連絡を受けることになった。
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あたって欲しくなかった予想
「彼」はいきなり会社に来なくなり、単身者ということで職場の上司がアパートの不動産屋に連絡して部屋を開けたら、すでに亡くなっていたそうだ。原因としては病名がついたようだが、要は過労死だった。
ハッピーエンドに、ならないことも
上の経験で、僕は「たとえ相手に嫌がられても、必要とあれば積極的に介入する」ことの必要性を学んだ。そして数年後、またそれを発動させることになった。
その友人も、客観的に見てあまり安心できる状態ではなかったので、上と同じく思い切って口を出した。解決方法を一緒に話し合ったりもした。半年くらいかかっただろうか、事態は好転した。しかし前回とは違うことが一つあった。
積極的に介入したことを相手がどう思ったのかは分からない。しかし、問題が解決に向かっても、その友人との人間関係が回復することはなかった。口出しされたのが不本意だったのか、あるいはもう迷惑をかけたくないと思われたのか、あるいはそれ以外か、いずれにせよ問題の解決と引き換えに、大切な友人を一人失った。
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どちらを選ぶか?
僕がここ数年で経験した上の二人の場合、最初の友人とは今もいい友人で、後の友人との関係は損なわれた。でも二人とも生きている。選択肢が次の二つしかない時、みなさんはどちらを選ぶだろうか?
もちろん、「適度に関わり、最悪の結果を防ぎつつ、関係も維持するのがいい」とほとんどの人が考えるだろう。でも、一人でも失ってしまうと、そんな悠長なことは言っていられなくなる。「最悪の結果を防げる」なら、それ以外はどうでもいいと思えるようになる。それに実際は、「適度に関わって」いる間に、死神は大切な人を連れて行ってしまう。強引に奪い返す必要がある。
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僕はこれからも、最初に書いた、何もできずに「指の間からこぼれるように」いなくなってしまったあの人のことを忘れない。たとえ友人関係は壊れても、必要と判断すれば相手に積極的に介入しようと思う。生きてさえいれば、いつかまた会って話し、関係を修復するチャンスはあるのだから。
実は、上の歌詞には大前提がある。それは、両者が生きていることだ。
今日もお読みくださって、ありがとうございました✨
(2023年12月29日)