#31 やわらかさは、うつくしさである
これは、会社員をしていた頃に随分とお世話になったマッサージサロンの理念として掲げられている言葉です。創業された社長さんの言葉ですが、折に触れて「そうだよな〜その通りだよな〜」と思います。
ここでの「やわらかさ」は、マッサージサロンで「身体をほぐす」ということから、比喩的な「心のやわらかさ」までを意味しています。ドイツに来てから一週間が経ち、そんな「やわらかさ」の重要性が身にしみました。
海外に出ると急に見えてきた
25年ぶりの海外生活で日本を出てドイツに来て、一番変わったことは、言葉でも食事でも研究の進め方でもなく、「知り合う日本人の幅の広さ」でした。「海外で知り合う海外の人」が多様なのはある意味最初から分かっているので、あまり驚きません。対して、「海外で知り合う日本人」の多様性は、日本にいる時の比ではありませんでした。
会社勤めをしていた頃は、所属していた部署の平均年齢が45歳以上だったこともあり、日々の生活や価値観が似ている集団の中での生活でした。「毎月の売り上げを確保して、トラブルなく物流を回して……」の繰り返しは、例えるならば電車の線路の両側の風景だけを見ながら生きていた日々だったと言えるかもしれません。
しかしドイツに来て、対面あるいはオンラインで知り合った日本人の皆さんは、「こんな日本人がいたんだ!」とびっくりするほど多様でした。上の例えだと、電車を降りて線路とは垂直方向に歩き出してしまうような、そんな人にたくさん出会いました。素敵な生き方をしている人がたくさんいる、たくさん学ぼう、とワクワクしました。
いい話に聞こえるけれど、実際は……
しかし、先日の投稿「#28 モヤモヤすること」でも書いたのですが、そういったダイバーシティに触れることは、実は苦痛で、しんどいことでもありました。
なぜなら、大学卒業以来20年以上当たり前と思って過ごしてきた価値観を、「それは違うよ!」「それの何がいいの?」「頭おかしいんじゃない?」と否定されることでもあったからです。「ダイバーシティは美しくなんかない」を実感しました。自分が尊敬していて、近づきたいと思う人の価値観が自分と違う……でもその人の価値観に近づけば、別の尊敬する人の価値観から遠くなる……
楽器屋なので、音楽のたとえで
10年以上音楽業界にいたので、楽器のたとえを出します。僕はジャズの分野でいくつかの木管楽器を演奏します。小さい方から、フルート、ソプラノサックス、アルトサックス。管楽器を吹く時の「適切な口まわりの筋肉の使い方」を「アンブシュア」というのですが、この3つの楽器のアンブシュアは異なります。
どれかの楽器だけしか練習しないと、アンブシュアが固まってしまって、他の楽器を演奏できなくなります。3つの楽器を吹くために必要なのは、「どの楽器にも対応できるアンブシュアのやわらかさ」と「今演奏する楽器に最適なアンブシュアに調整する能力」です。
元の話に戻れば、尊敬する幅広い分野の人たちの価値観を理解できる心の「やわらかさ」を持ちつつ、自分というアイデンティティをきちんと確立できる「調整能力」を併せ持つ必要があるのではないかと思います。先日の投稿「#16 自分以外に、なろうとしない」にも通じるところがあります。
やわらかさの本当の意味
「やわらかさ」の本当の意味は、ここで書いたある意味相反する二者、つまり「多様性を受け入れる包容力」を持ちながら「自分の生き方を追求する限定力」を兼ね備えることかもしれません。ここで、「限定した自分の生き方」の上に乗ってくる人たちだけと仲良くするのではなく、違うルートの人とも一緒にいて、上の例えに戻れば、線路脇から離れた土地のことも分かるようになることが、人生の「豊かさ」の大切な要素ではないかと思います。
ドイツに来る前、はじめに話題に出したマッサージサロンでお世話になった方にも二人お会いしました。二人とも、今日ここで書いた「やわらかさ」を体現しておられます。あんなふうになりたい、と思います。年末には三人で会いたいですね🍻
今日もお読みくださって、ありがとうございました🛤️
(2023年8月11日)