#52 ドイツと note が教えてくれた、豊かさのかたち
ドイツへ来て一ヶ月、note を始めてから二ヶ月半が経ちました。長かったような短かったようなこの期間で、自分の中のある部分が確実に変化したように思います。今日はそんな「これまでと異なる、幸せのかたち」の話です。
人と人との四類型
人間は十人十色ですが、「自分にとってその人はどんな位置にいるか」と考えると、ある程度のグループ分けはできるように思います。本当は人を分類したりはしたくないのですが、合理的なグループに分けて考えることで、自分の変化がよく見えてきます。
ここで使う分類軸は2つ、つまり4つの象限に相手を分けてみます。一つ目の軸は「その人と自分は似た意見を持っているか」で、二つ目は「その人を生理的に受け入れられるか」です。実際にはどちらの軸もイエスかノーではなく、その中間状態があると思いますが、ここではあえてイエスかノーの二値で考えます。そうすると、全ての他者は次の4種類に分かれます。
普段一緒にいる人は
この4分類の中で、付き合っていて楽しい人はやはり①だと思います。おそらく世界中どの文化圏でもこれは同じでしょう。対して、④の人と積極的に交わろうと思う人は少ないでしょうし、僕も大切な時間や精神力を④の人のために使おうとは思いません。こうなると、②と③の相手をどう考えるかが人間関係での工夫ということになりそうです。
6月に note を始め、8月にドイツへ来てから学んだ一番重要なことは、「③の人と交流することで幸せ度が増す」ということでした。研究の場では AI について論じますが、未来の AI をどんな姿にしたいかは人によってかなり意見が違います。でも、お互いを尊重してきちんと耳を傾ける姿勢の人がほとんどで、とても気持ちがいいです。フィンランドでのシンポジウムでも多くの AI 研究者(の卵)と話しましたが、違う意見をむしろ積極的に聞こうとする姿勢に驚き、その懐の深さに感動しました。
note では幸せやこれからの日本社会のあり方について真剣に考えている人たちと知り合いになりました。年齢や生育環境、これまでの仕事などでその考えはさまざまです。でも考えが違っても「あなたの記事を楽しみにしています」と言い合える人が増えてきたことを、とても気持ちよく感じました。これまでは①の人をたくさん見つけようとしていましたが、今はむしろ③の人に興味があります。
卒業式で生徒に渡した言葉
教師時代、二度目に担任した学年を送り出す時に、謝恩会の場で話したことを思い出します。ホテルの宴会場で、卒業生とその保護者、先生方、ホテルのスタッフも含めておそらく500人位が聞いている前でのスピーチなので、とても緊張しました。今から16年前のことです。僕は大切なスピーチや文章には必ず先人の知恵を一部拝借すると決めているので、次の引用をしました。
これは俳優の武田鉄矢さんが、ある芸能人の結婚式に出席した際の「はなむけの言葉」です。あの学年は今年34歳、人生というビールの味をそろそろ分かり始める頃ではないでしょうか。読んでくれている人、いますか?いたら連絡ください ^^
これまではソフトドリンク・パーティーだった
いろいろな人との交流をパーティーに例えるなら、これまでの僕のパーティーにはソフトドリンクしかなかったように思います。「ビールは苦いからイヤ!」と断り続けてきました。会社で売上の数字を追いかける毎日で、ビールの苦味を楽しめる余裕がなかったのだと思います。でもドイツと note が肩を貸してくれ、そこから次の段へ上がれたような気がします。
今は、生理的に一緒にいられるなら、意見が違う人と積極的に一緒にいたいと思います。これは決して、「その方が勉強になり、自分の幅を拡げられるから」という理由ではありません。意見が違う人が混ざっている方が、なぜか気持ちよく感じられるようになったのです。ヨーロッパは人種も文化も言葉もごちゃ混ぜで、それが普通ということもあるのかもしれません。8月最終週にフィンランドにいる間に、ふっとこのことが分かり、腹に落ちました。
ワインやウイスキーなどの「テイスティング・ノート」で頻繁に使われる英語の形容詞の一つに、complex があります。日本語に訳すと「複雑な」で、「複雑な」を和英辞典で引くと別の単語 complicated も出てきます。
しかしこの二語の含意はほぼ正反対で、complicated が「複雑で分かりづらい」を意味するのに対して、complex は「多くの要素が混ざっていて豊かな」複雑さも意味します。ワインやウイスキーでは、「多くの要素が混ざった豊かさ」が評価される、人間関係も似ているのではないかと感じました。
そんな、「豊かさのかたち」に少し気づいた、週末のひとときでした。
今日もお読みくださって、ありがとうございました🌙
(2023年9月9日)