#40 『この世の喜びよ』
「積ん読感想文」第2弾は、文芸書を取り上げたいと思います。読書というと、小説やエッセイなどの文芸書をメインに読む人、あるいは政治や経済などを論じたノンフィクションをメインに読む人に分かれるような気がします。
よく考えると、人間は必ず現実世界に生きながら、必ず何かを頭の中で想像・創造しているんですよね。なので、「積ん読感想文」では、自分の知性・感性のアンテナにかかった本をジャンルに関わらず取り上げたいと思います。
今日の本
井戸川射子『この世の喜びよ』 講談社,2022年.
読書難易度:☆(読みやすい)
久しぶりに小説を読んでみようと思い、第168芥川賞受賞作である本作を手に取りました。何よりタイトルに惹かれたし、ソフトな色合いの表紙にも呼ばれた気がしました。しかし1ページも読み進まないうちに、何か変だと感じたのです。最初の3文を引用してみます。
最初の感想
理由に気づくのに少し時間がかかりましたが、それはこの作品が技法としてめずらしい「二人称語り」を用いているからでした。主人公を指す時は、「私は〜」「僕は〜」と一人称を使うか、あるいは「青豆は〜」「天吾は〜」と三人称を使うのが一般的ですが、この作品では一貫して「あなた」が使われています。主人公は自分ではなく、かといって客観的に外から観察される「誰か」でもなく、目の前にいる「あなた」という、とても独特な世界が繰り広げられるのです。
あらすじをまとめるならば、「主人公の『あなた』はショッピングセンターの喪服店に勤めていて、いろいろな人を目にする。その日常の風景が、自分の家族や子育ての風景と重なる」でしょうか。とても雑に言うならば、「誰が何をして何が起きるか」はこの小説のメインテーマではない、特にあらすじはない、と言ってもいいかと思います。
「二人称語り」で作り出される不思議な言語世界で、自分もそのショッピングセンターにいて喪服店がすぐそばにあり、そこでは作品中に明示的に描かれていない人物も自由に登場して会話を始める、なんなら自分もその会話に加われる、そんな不思議な場を作り出している小説なのです。これはすごい。
物語内部に留まらない作品の力
「積ん読感想文」は書評というより、「本から広がった世界」について語るマガジンにしたいので、話を広げますね。みなさんには「思い出のショッピングセンター」はありますか?僕にもいくつかありますが、この小説を読んで真っ先に思い出したのは、茨城県土浦市にある「さんあぴお」というショッピングセンターです。
畑や物流倉庫が広がるエリアに立つ大型複合商業施設で、近くに住んでいた1990年代後半にはよく買い物に行っていました。そこのメガネ店で作ったメガネがとてもお気に入りでしたが、海で流されてしまった思い出もあります。先の投稿「#15 愛しのストロベリーシェイプ」をご覧ください。
土浦市は都心までそれほど遠くなく、若年人口の流出が止まらないのか、入っていた専門店が次々と姿を消し、昨年2022年の11月に運営法人が破産し、現在は生活に必要な食料品スーパー部分と薬局、100円ショップのみが営業しています。
この作品を読んで真っ先に、「さんあぴお」の衣料品売り場を思い出しました。本作で描かれているショッピングセンターも、大型駐車場を備えた最近の巨大モールのようなところではなく、「さんあぴお」のような地方都市の生活を支えていたショッピングセンターではないかと思うのです。
地元の人が日々の買い物をし、同じ人に出会い、時に立ち話をする。そんな場所が次々と失われていくのだろうか……作品のプロットとは関係ありませんが、読後にそんなことを考えました。
思ったこと
僕は AI の研究者(を目指す卵)です。都市計画や雇用行政の専門家ではありませんが、新しい技術を活用して、若者が都心だけに集中してしまうのではなく、地方や郊外の都市が元気を取り戻し、住んでいる場所に関わらずやりがいのある仕事を見つけられるような、そんな未来にしたいと改めて思いました。
本作品は「現代詩のような小説」とも評されています。読者の年齢が高いほど、この作品で手に入れた「鍵」で過去の記憶を開けて、昔買い物した商店街やショッピングセンターの空気を追体験できるのではないかと思います。おすすめです。
今日もお読みくださって、ありがとうございました📚
(2023年8月20日)