SDGsのその奥側について考える〜宮台真司さん・小島慶子さん〜
SDGsについて考える
https://www.youtube.com/watch?v=-8gnfzUw1C0
※続きです。記事になってます
主旨
時間軸
テキスト(表層)でなくコンテキスト(真意)が大切
規程不可能な何かと繋がり、「うちなる光」を灯すための体験教育
「スローガンはまず疑え。」三島由紀夫
三島は敗戦を境に、自称・天皇主義者→自称・民主主義者へ転向した知識人を見て「空っぽなエリート」と呼んだ。なんてみっともないんだと。
ここに潜む心理は、”一番病:私が一番の○○”というもの。これを克服するためには、何かと心からつながる必要がある。
今回のSDGsブームでも同様の人がいるといえる。
大切なのは、時間軸。
「俺の目が黒いうち」に大丈夫だったらそれで良いのか?
対する概念は、「子々孫々のためにも」効果的な施策。
それでも、【感情的に、心から納得してやるかどうか】が大切。
ただ単に新しいゲームで良い成績を取るためにやっては、意味がない。
では「そもそも何を学ぶための人生なのか」?
どうせ我々は死んでしまう。それでも生きる、もしくはよく生きたいと思うのは、永遠・超越・過剰さへの欲求があるから。
「未規程なものが好き」「森を出た」「新しい物を作る」(ネオ-フィリア)
近代:計算可能性を尊重し、過剰さを取り除こうとする
マックス=ウェバーに言わせると、これでは没人格になる
知識も大切だけど、post-truthの時代。だからこそ、コミットメントが大切。
「宗教を守らないと罰を受けます」を嫌ったギリシャが大切にしていた思考。守らせられるのでなく、コミットして守るのが宗教。
コミットして、何かと繋がって、諸々の損得や計測可能性を超越できるかが、SDGsにおいても肝要といえる。
不安にアプローチする→教育
言葉を使うようになってきた→不安の源泉
①言葉はいつもリミナリティ、余剰・不足がある
②言葉は権威 大文字の他者による抑圧
処方箋:言葉を真に受けない。絶えず、テキスト<コンテキストを見る。
不安であってはならない。と言う必要はない。
不安を埋め合わせるための言動も必要ない。
不安は当然。
何かや誰かとつながることの効果はここにある。人類学でいう多視座主義。
他の視座を持つことができれば良い。
言葉の貼り付けを行ってあげる、フロイト・ユング。
プライミングする、アドラー。
「プライミング」とは、未来に自分が実現したい状態からバックキャストし、そこに視座を置いて振り返って見た時に、いま自分があくせくしている視座がいわば「キャンセル」、「ちょっと横に逸れる」。
それによって自由になる。これがアドラーの心理学の仕組み。
つながりを回復する教育としての「体験教育」。
エマソンの言葉:知識を与えることはただの手段で、目標、ゴールは「内なる光」を灯すこと。
規定不可能なものに対する感受性は、臨界年齢が低い。つまり、シュタイナーは5歳とか7歳の幼児期に臨界を設定する。
ガンジーは教育論の本の中で、「人間が学ぶことは、魂を向上させることなんだ」と。
まずは親から学ぶ。(そして)村から学ぶ、自然から学ぶ、道具から学ぶ……というようなかたちです。歴史とか算数とかそういう西洋の考え方じゃない。ここで、ガンジーは「自分の頭で学ぶんじゃなくて、手で学べ」と言っている。
もし、SDGsについて違う考察を知りたい方は、詳しくyoutubeを見てみてください!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
真吾
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