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Story of my life 前編

絵具を使って本格的に作品を制作するようになったのは、昨年の秋からでした。去年の夏にアメリカにある自閉症児者専用のキャンプで働いて帰国した後、自閉症について語ること自体に意味があるのか自問し、語り得ないことについては沈黙しなければならないという結果にたどりつきました。キャンパーと触れ合いながら時間を過ごす中で、言葉を超えた深い次元においていのちは一つであり、そこには何の分節もないことを身体で感じたからでした。ことばに規定できないものの存在を実体として感じた結果、それを自分が持っているあり合わせの言葉で表現してしまうことで、その実体そのものを傷つけてしまう予感がして、他者に伝えようとすること自体に意味を感じられなくなっていました。そんな時に、今年の春に井筒俊彦さんの『意味の深みへ』を読んでいた時に荘子哲学についての言及を見つけ、昨年の夏以降に私に起こっていたことはこういうことだったのかもしれないと思いました。

万物斉一(「道」は本来、絶対無差別、無分別であって、すべてのものは互いに斉しく、窮極的には一である)という荘子哲学の根本原理に結びつけて、『荘子』「雑篇」の一節は、コトバについてこう結論する。「言わざれば則ち斉し。斉しきと言とは斉しからず。言と斉しきとは斉しからざるなり。故に曰く、『言無し』と」無言のままならば、(すなわち、コトバの意味分節機能が発動しなければ)万物は無分別であって、「道」の根元的斉一性は保たれる。だが、万物斉一の事実と、「斉しい」というコトバとは一致しない。コトバで「斉しい」と言ったとたんに、斉しいもの(絶対的無差別)が斉しくないもの(相対的差別)になってしまう。だからこそ(古人も)「無言」(であることを勧めたのである)。(『意味の深みへ:東洋哲学の水位』,井筒俊彦,岩波書店,2019-03-16)


あのとき自分が感じたものを、分節された言語ではなく総体として捉えたい。ずっとそんな思いを抱きながら、それを納得いく形で作品化できない自分の技量にもどかしくなりながら1年という時間が経ちました。その1年の中で足りないパズルのピースが集まってきてようやく一つの形になったのが、「生命の森」でした。

生命の森_theforestoflife_mebaesasaki_theforestoflife


「宇宙はどうして始まったと思う?みんなその答えがわからない中で生きてるんだ。日本は今、霧の中にいる。何かを変えるためには大きなショックが必要だけど、今までの人類は戦争という手段しか思いつかなかった。でもこれからはあなたたちの世代が、新しい時代の哲学をつくっていかないといけないよ。ーMalcolm Macleod」

動画の最後に出てくるこの言葉は、世界的にコロナが流行する3年前の2017年にマレーシアで出会ったMalcolmさんという方の言葉ですが、まさに今のわたしたちを表していると思います。