その復讐に救いはあったのか(ラスアス2感想文)

先日The Last of Us2をクリアしたので感想を纏めました。

私は基本的にゲームでも何でも好意的に受け取って解釈するタイプなので、ネットで賛否が分かれている事に驚きました。

どんな感想を持つかはその人それぞれの自由であり、作品を受け止めた時点でその人の持つバックグラウンドや思想が大いに反映されると思いますので、それは個性の領域だと思います。

私は普段感想文といったものを書かないので、お見苦しい点もあるかと思いますが、本作品に想いを馳せるきっかけになれたらいいなぁと思っております。


【アビーは断罪されるべき存在だったのか】

物語の途中から、急に操作キャラクターがアビーに切り替わって驚かれた方も多かったのではないかと思います。
物語の冒頭にチュートリアルを兼ねてアビーを操作する場面がありましたから、もしかしたらまた操作する事になるのかもしれないと予想しながら進めていたものの、まさかこんなにがっつり操作する事になるとは思ってもいませんでした。

二人が遂に顔を突き合わせることになったシアトル三日目の衝撃のままアビーの操作に切り替わって受け入れ難い嫌悪感を覚えた人もいるでしょう。何せ直前にジェシーをいとも簡単に殺し、トミーを撃って足蹴にした女です。何より、彼女はジョエルを残虐に殺したのですから。

とはいえ、私はと言うとそんなショックを感じつつも彼女のバックグラウンドにとても興味がありました。
朗らかに笑い、体格もまだ少女の名残を見せる彼女が現在の姿になってしまうその理由を知りたいと思いました。

理由はすぐに明らかになります。ジョエルがあの日病院で殺し尽くしたファイアフライ構成員の一人が彼女の父親だったのです。

私は1と2を期間をほぼ開ける事無く通してプレイしたので、1でジョエルが念入りに、そこにいるファイアフライを全員殺したのをよく覚えています。
医者まで殺す必要はあったのか、と思いながらもそうしないとゲームが進行しなかったこと、最後にマーリーンに向かって「(殺さないと)お前たちはまた追って来る」というような事を言ったことからもこれはジョエルの意志であったことが伺えます。

病院での出来事を境に、アビーの人生が大きく変わってしまいました。
少女から大人になっていく貴重な五年間をアビーはほぼ復讐の事だけ考えて過ごしたのでしょう。
元々戦士としての素養にも恵まれていたのかもしれませんが、彼女の強くなる原動力がジョエルへの復讐心だったのは想像に難くありません。

さて、そんなアビーをわざわざプレイヤーに操作させるのは何故だったのでしょうか。
操作キャラクターがアビーに切り替わった時点で大なり小なりプレイヤーは彼女へ憎しみを募らせたことでしょう。
ネットを見てみると彼女に感情移入できないという声は多く見かけます。

アビーに対するエリーの憎しみにどれくらい共感するか、というのは各々プレイヤー次第なところはあると思います。
最後まで許せなかったとか、アビーを操作するのが苦痛だ、という人もいるでしょうし、逆に彼女の冗談が下手くそなことや高い所が苦手なところ、ともすれば所属組織ではなく恩人の立場になって戦う彼女の姿に人間らしさを感じる人もいるでしょう。
残虐な殺人を行った彼女だけを見ていた私は彼女の素の姿を見て少なからず戸惑い、そして気まずくもなりました。

これは別の方の考察なのですが、その方によれば「私たちは、アビーの視点を通して、過去にジョエルとエリーがしてきた行いを客観的に見せつけられている。自分達の行いがどのように他人の命を奪い、人生を狂わせてきたか見せつけられることに酷く動揺させられ罪の意識を自覚させられるから、アビーを操作している時にとても苦しい気持ちになる」のだそうです。
私はその罪悪感に心当たりがありましたから、単純にアビーが憎い、彼女は死んで当然だとは言い切れない自分がいることに気が付きました。

これはゲームですから、私=エリー ではありません。それはよくわかっているのですが、エリーを私が操作する事で、私がアビーを殺すように迫られているような気がして、本当に彼女は殺されるべき人間なのか、私が彼女を断罪して良いのだろうか、とそのような迷いが生じたのです。

アビーがシアトルで過ごした三日間は、想像していたものとは少し違いました。
彼女はあの凄惨な復讐を終えて仲間とぎくしゃくしながらも日常に戻っていましたから、私たちがエリーと共に復讐一辺倒の生活を送っているのとはまるで生きている世界が違いました。

彼女はエリーという復讐者の存在に三日目の最後に漸く気が付きます。そして同時に自身の復讐という行為の代償に仲間の命が奪われた事にやっと気が付くのです。

復讐は常に過去からやって来て、闇の中から刃を向けてくるのです。今太陽の下にいる者にそれが見えるはずがありません。

最終的にアビーというキャラクターにどういう感情を抱いたのか。結論として私は殺してやりたいという強烈な憎悪を抱くことができませんでした。
それは私がエリーそのものではないという事もありますし、アビーの事情を知ってしまったからという事でもあります。
そもそも、私は人が傷付き被害を被ったからと言って、以後その人の全ての加害行為が正当化出来るとは思っていません。
殺人によって受けた被害があったからといって、自分の行う殺人の罪が免除される訳ではないのです。

話はアビーの物語に戻りますが、アビーは復讐の後に仲間とぎくしゃくしながら奇妙な縁でセラファイトという宗教団体から逃亡してきた姉妹と出会い、彼女らと行動を共にすることになります。
メタ視点でついゲームを楽しんでしまうせいか、この少女たちがアビーの闘争に巻き込まれていつ死んでしまうのかと恐れながら進めていましたが、最終的にこの姉妹の片割れであるレブという子どもとアビーは相棒のような関係になります。
レブの存在はエリーの視点では意図的に伏せられていたので、この子がここまでアビーの人生に関わってくることに驚きを覚えました。

アビーはシアトルの三日間で全てを失いました。
所属していた組織を追われ、仲間も失い、愛した人も失いました。

レブも同様に、もといた組織を追われ、近しい人を失いました。
幼いこの子どもが、目の前で姉を殺された事にアビーは何を思ったのでしょうか。
自分の過去を重ねて特別な感情を抱いたのかもしれません。とにかく、アビーにとってレブは生きる理由になりました。

アビーはラトラーズに襲撃された際も、エリーと戦う際もレブに手を出すなと言います。
ラトラーズに対してもかなり抵抗したでしょうし(だからこそ脱走の罪であんな目に合っていた訳ですし)、エリーと戦う際も懇願してレブの命を救おうとします。何ならエリーに縄を切られた時もエリーそっちのけでレブを助け出しましたし、エリーに背を向けて脱出を試みます。
最後の戦いの時に、もしアビーが一人であったなら、彼女はあっさりエリーに殴り殺されていたかもしれません。けれどアビーは必死に抵抗します。ここで自分が死んだらレブの命が助からないからです。

ラストの壮絶な戦いは皆さんもご存じの通りです。
最後の戦いはとても辛いものでした。最早勝ち負けという話ではありません。
見る影も無く衰弱したアビーも、傷だらけで歩くのも精一杯なエリーも、その二人が因縁を断ち切らんと殴り合う姿はとても心にくるものがありました。

アビーについてはプレイヤーの大半が否定的な意見を持っている印象があります。
先程も述べました通り、彼女を憎悪する気持ちの大小はプレイヤーの思想やエリーとジョエルに対する思い入れの深さによって異なるでしょう。
感情に客観的な正解などありませんから、その気持ちはプレイヤー各々のものとして大切に扱ってあげると良いのかもしれません。

私はと言いますと、アビーが最後にエリーに言った「私はもう戦わない」という言葉が印象に残っています。
アビーは死ぬべきだったという人もいると思いますが、死んでは罪を償えませんし、他者と助け合うことも出来ません。
そういう意味で、私はアビーというキャラクターが命を落とさずに物語を終えて良かったのかもしれない、と思ったのでした。


【普通の人であるジャクソンの人々に想いを馳せる】

さて、話は逸れますが、今回の件でジャクソンの人々について想いを馳せてみようと思います。
ジャクソンの人、というのは広い括りですが、ここで言うのはマリア、ジェシーの両親、ディーナの事です。

この世界では神がかり的な強さや正しさは存在しませんが、エリーやアビー、ジョエルやトミーは別格の強さを持っています。いわば、特別な存在です。自分の力で物事に立ち向かい、運命に抗う力を持っています。
ディーナも戦力的には強いのですが(作中お世話になりました)、彼女は上記の人々とはやや性質の違うキャラクターなのでここではジャクソンの人として扱います。そもそも彼女は途中から戦線離脱します。

人が架空のキャラクターに感情移入するその度合いはその人のバックグラウウドや思想に影響を受けると何度か書きましたが、では普通の人間である私は一体どんな存在に感情移入するかというと、ジャクソンの人々に代表される普通の人です。

特筆すべき力を持たず、あまりに大きな運命を前にしたらその渦に飲み込まれてしまうような普通の人を見ると、つい感情移入してしまうのです。
(勿論、あの世界に生きている人々はそれだけで私達現代人とは比較にならないくらい強いのですが、相対的なものとしてお考えください)

主要キャラクター以外の人物に感情移入するなどあまり意味の無い事かもしれないですし、製作者の意図するところではないのは重々承知なのですが、先も述べた通り感想に客観的な正解がないというのを踏まえてお許し頂きたいところです。


普通の人々は、世界に影響を与える力を持ちません。それどころか、身近な人の心の傷すら癒せず、立ち直るきっかけを与える事も出来ず、ただ生きる際の小さな手助けを出来るに過ぎない存在です。
そしてそれを自覚し、時には無力感に打ちのめされながら何とか生きています。

マリアは、トミーを復讐心から立ち直らせる事が出来ませんでした。
物語の後半で、負傷して尚復讐に執心するトミーの口からマリアと距離を置くことにしたと聞かされるのは辛かったです。
あれだけ苦楽を共にしたであろう二人が、一人の死をきっかけに心が離れてしまうのは辛い事です。
私はマリアの気持ちもよくわかります。
伴侶の大切な肉親が惨たらしく殺され、その仇討ちに行ったはずの彼が逆にスナイパーとしての生命を断たれて帰還するなど、本当に掛ける言葉を失った事でしょう。
愛する人の事ですから、生きて戻ってきてくれただけでも嬉しいのは間違い無いでしょう。けれど、トミーは共同体を担う人物であり、自身の能力にも矜恃を持っていたことでしょう。
スナイパーとしての目を失いおめおめと逃げ帰り、それで今後はただ生きていればそれでいいというような人生を彼が望んでいないことは明らかです。そしてその失った自尊心をマリアが回復してやる事は出来ないのです。


同様に、ジェシーの両親の事を考えると心が痛みます。
ジェシーの両親の事は、エリーの日記の中でしか語られない本当に本当の脇役と言ってもいいかもしれません。
が、彼らもまた復讐によって最愛の息子を失った人です。

ジェシーという人物は、若いながらジャクソンパトロール隊の束ね役の一人といったポジションで、面倒見も良く、戦闘の腕も良いといった描かれ方をしています。
実際、良い奴だな~!と作中感じた事は幾度となくありました。
ジェシーは間違いなくジャクソンの未来を担う人材だったことでしょう。

そんな彼が、その面倒見の良さと義理堅さから復讐の一行に加わり、帰らない人となるとは、ご両親の心中を思うと心が痛みます。
しかも、こんな極限の世界ですから、亡骸すらジャクソンに戻ってきたか怪しい。他の皆は生きていて、息子一人だけが死んだ。もっと言うと肝心の復讐も遂げられず一行は傷付き逃げ帰ってきたのです。こんな無駄死にはありません。

ディーナはジェシーの子を身篭り、後に出産します。
ジェシーの忘れ形見のような存在です。
ジェシーの面影を残す子どもに、けれど彼らは簡単に会うことは出来ませんでした。ディーナとエリーがジャクソンを出て子どもと三人で暮らし始めたからです。

エリーの日記では、彼女達の家にジェシーの両親が来たという事実と、最初は和やかだったのに段々気まずい雰囲気になったというエリーの主観に基く情報しかありませんでしたが、ジェシーが人格者だった事を考えるとご両親もまた同じような善良な人だったのでしょう。昇華できない悲しみや辛さを必死に隠して孫の顔を見に来たのだと、けれどそれが隠しきれずにエリーに伝わってしまったのだと思うとやり切れないものがあります。

これが心無い人々であれば、無事に生還したエリー達を、大切な息子を死に追いやったのだと罵倒していたかもしれません。
けれど彼らはその想いを飲み込みます。エリーもディーナも、知らない仲ではないのです。そして彼らは彼らで、二人がこの件で十分に傷付いていることもわかっているのですから。


ディーナもまた、運命に翻弄された悲しき普通の人です。
明るく奔放で、いつも浮名を流している。ジェシーとは何度もくっついたり離れたり、その間に他の子とも良い仲になったりとジャクソンの中ではちょっと困った、けれど彼女がいるとその場が明るくなるような、そんな子だったのでしょう。

復讐の後、ディーナはエリーと暮らしながら彼女の心の傷を癒そうと穏やかで優しい日常を送ろうと努めていました。
エリーに辛い記憶がフラッシュバックした時も優しく宥めてやったり、トミーが再度復讐の話を持ち出した時には声を荒らげて怒りを露わにしました。これ以上エリーを傷付けまいとする献身が彼女の行動から見て取れます。

ディーナとエリーが子どもであるJ.Jと一緒にジャクソンを出て暮らし始めた経緯は語られていません。
旅の途中でディーナの夢は農家を買うことだと言っていたから、ああその夢を叶えたんだなぁとそのくらいしかわかる事はありません。
なのでこれは完全に推測になりますが、恐らくディーナは傷付いたエリーが再びジャクソンでの生活に戻れるとは思えなかったのではないでしょうか。

ジャクソンは大きな街です。
荒廃した世界の中で珍しく人々に余裕があって、明るく、前を向いている共同体です。
傷を抱えたエリーが暮らすにはあまりにも明るすぎるのです。

ディーナは、このままエリーがジャクソンで生活を再開したとして起こりうる懸念を必ず考えたはずです。

もしかしたら、ジャクソンの人々は傷を抱えたエリーを腫れ物のように扱ってしまうのではないか。
またパトロール業務にエリーが戻ったとして、突然発作を起こしてしまったらどうするか。それが原因で傷付く人が出ないだろうか。
楽しそうに毎日生活する人々を、エリーが憎んでしまわないだろうか。
そしてやがてジャクソンの人々とエリーの間に確執が生まれてしまわないだろうか。

ディーナは考えた末にジャクソンを離れる決意をしたのではないでしょうか。
エリーの傷を、一人で引き受けようとしたのではないでしょうか。この先エリーの心の傷が癒えることを願って。

けれど、そんなディーナの願いは悲しくもエリーによって破られます。
エリーは再び復讐の旅へ一人向かってしまうのです。家も農場も、子どもも、ディーナも置いて。

ディーナはこの先全ての人生をかけてエリーと暮らす決意をしたはずです。
恐らくジャクソンのパトロール区域内とはいえ、この過酷な世界で共同体から距離を置いて暮らす事がどんな事か、戦士でもあった彼女がわからない訳ではありません。
それでもリスクを負って、エリーの為にジャクソンを出た彼女が、裏切られる形で子ども一人と残されてしまったのです。

エリーが旅立った夜、ディーナは無力感に打ちのめされたに違いありません。
この先の人生を捧げようとも、彼女の献身が身を結ぶ事もなかったのです。

エリーが旅立った後にディーナはエリーの荷物を残して三人で暮らした家を出ました。
彼女が今どこにいるのかはっきりと描かれていませんでしたが、恐らくジャクソンに戻りマリアやジェシーの両親らに支えられながら暮らしているのでしょう。
自分に出来ることなど何もなかったのだとわからされた彼女が、最早あの家に留まる理由は無いのです。


普通の人の苦しみや悲しみなど、物語の主要人物の苦しみからしたら取るに足らないものなのかもしれません。
しかし、物語という大きな渦に飲まれ、けれど主人公達のように立ち向かう力も無い彼らもまた傷付いたり悲しみを抱えて生きているのです。

ジャクソンの人々の話は大きくは語られません。
それは当然の事なのですが、そんな彼らにも穏やかな日々が戻って来ることを願わずにはいられないのです。

【エリーにとって許すとはどういう事なのか】

巷の感想でも結構言われているみたいですが、本作では過去のエピソードの時系列が激しく前後しながらプレイヤーに情報として提示されています。

正直な話私も結構戸惑ったのですが、しかし随所に挿入されるエピソードがエリーやアビーが状況に応じて思い出した記憶や見た夢の一端である以上、それがそのタイミングで提示されるのは自然な事でしょう。

象徴的なのが、物語の最後にギターを奏でるジョエルと、彼と会話をしたエリーの記憶です。

ギターのシーンはエリーがアビーにとどめを刺さなかった(刺せなかった)決定的なシーンの引き金ともなる彼女の記憶です。

全てが終わって、かつてディーナと暮らした(そして今は無人の)家でギターに触れながらエリーはこの記憶を更に詳細に振り返ります。

エリーは病院でのジョエルの決断と選択について、「許せないけど、許したいと思っている」と言いました。

許すとはどういう事なのか。
エリーはアビーを見逃し、家に戻り、欠けた指でギターを鳴らしながら過去の自分の記憶と邂逅し自身の発言を反芻します。

ジョエルがエリーを生かした事と、アビーがジョエルを殺した事は全く性質の異なる出来事ですが、許せない想いがそこにあったという一点においてエリーは同じように考えたはずです。

過去に自分がジョエルに言った言葉である「許す」とはどういう事なのか。
復讐の旅を終えて改めて自分に問うたはずです。

「謝ってるんだから許してあげたら?」というフレーズは日常でも外野が言いがちな言葉ですが、些細な喧嘩であろうと、本当はそんな軽く済ませられる事ではないのです。まして第三者が許す許さないを決める権利などありません。
相手が謝る事と、自分が許す事は全く関係の無い事です。
許すも許さないも、その謝罪を受け取るかどうかさえ相手に決定権はありません。
何なら許されたところで相手の罪が消える訳でもありません。

許すとは、罪を大目に見たり無かったことにするという意味ではありません。
罪を認めた上でこれ以上責める事をしない、とかこの罪を名目に別の要求を課す事はしない、とかそういう事です。

「許せないけど許したい」
アビーに対するエリーの憎悪は、まだこの言葉を口に出来るほど昇華されていないのかもしれません。
許せないし、許したいとも思わない、という段階なのかもしれません。
けれどエリーはアビーを生かしました。
エリーは生涯を通してアビーを許す日が来るのかもしれないし許さずにその生を終えるかもしれません。エリーにすらこの想いの行方はわからないのでしょう。

私は過酷な生を運命付けられた中で懸命に生きるエリーという女の子がとても好きなので、彼女があらゆる物を失ってなお生きて戻ってきた事が嬉しいです。
ともすれば心が折れて自ら命を断つ事だって十分に考えられる状況の中、ジョエルが救ってくれたこの命を捨てずに生きてくれる事がとても愛しいと思います。

私はエリーがアビーを許してほしいとも思わないし、許せるようになってほしいとも思いません。同時に、アビーを許さないで欲しいとか死んでほしいとも思いません。
それはこの先彼女が生きて、様々な経験を経て、彼女が決める事だからです。
ただ、いつか彼女の心にたったひと時でもいいから平穏が訪れてくれることを祈っています。

【最後に】
エリーにとって復讐に救いがあったのかという問いは各プレイヤーの皆さんも断言するのは難しいのではないでしょうか。

かく言う私も、こんなタイトルの感想文を書いておきながら断言する事を躊躇っています。

私の個人的な見解から言うと、限りなく小さいけれど救いはあったのだと思います。

ジョエルが死んでからというもの、エリーは長いことジョエルの死に際の姿が脳裏にこびり付いて離れませんでした。あの姿が彼女の怒りと憎しみの原動力であり、彼女を苦しめた元凶でもあります。

けれど、エリーは長く苦しい復讐の、最後の最後でジョエルが穏やかにギターを弾く姿を思い出しました。
大切な人の酷い姿ばかりがちらつき苛む中で、殺戮の果てに辿り着いたのは彼のその姿だったのです。

彼女が生前のジョエルとの日常を思い描けるようになったこと、それだけでも私は彼女のこれからの人生にとって大きな救いになったのではないかと思うのです。

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