岡本太郎に触発され、祭りに参加してみた
先日、生まれて初めて祭りに「出演者」として参加した。
山車の上で和太鼓を叩いたり、掛け声を出しながら山車を引いたり。
それを朝から晩まで2日間こなしたため、久しぶりに体力を消耗した。
岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んで
なぜ和太鼓を叩くことになったのか。
地方に住むことが決まった頃に読んだ、岡本太郎の「自分の中に毒を持て」がきっかけだ。
岡本太郎といえば、大阪にある「太陽の塔」を制作した芸術家として知られ、「芸術は爆発だ」という金言を残し、今も一部の若者から支持されている。
岡本太郎によると、
「祭りのとき、人々は日常の自分とは違う濃い生命感に生きる。日常の己を超えた存在。
その高揚、陶酔が、祭りのあと、次の祭りまでの地味な心労の多い生活を支え、持続させる。
人間は祭りのために生きる、と言ってもよい。
祭りによって"いのち"を確認し、全存在としてひらくのだ」
とのこと。
まぁこの本で書かれてることの半分ぐらいしか理解できなかったが、
祭りに参加する側の高揚感は味わってみたい...と思い
今から2ヶ月前、若い叩き手が多く集まる町内会の門を叩いた。
太鼓の練習自体は楽しかったが...
そこから7月中は毎晩町内会に通い、和太鼓の練習に勤しんだ。
元々音楽をやっていたからか、他人と奏でる心地良さや太鼓の音に魅了され、練習自体はとても楽しかった。
ただ、町内会の参加者とは想像以上に打ち解けられなかった。
今年初参加の人が全体の4分の1ぐらいで、銀行の若手行員や保育士の団体が数人ずつ参加していた。
他は長年続けてきた人たちで元々仲が良く、部活のような雰囲気だった。
そんな中で、町内会に誘ってくれた同業(新聞記者)の子はあまり練習に来ないため、知り合いがいない状態が続いた。
数日経つと、同じく1人で参加している同年代の参加者と話すようになった。
その人は高校まで地元で過ごし、大学進学とともに上京。
NPOに所属していたが、8月から2年間JICAで海外に行くらしい。
その子と一度練習後にご飯に行った。
東京に出て、自分がいかに様々な機会やきっかけを逃していたかを知り、「高校生の時から首都圏にいた人たちが羨ましい」と言っていた。
海外から帰国後も、地元に戻る気はないという。
地元嫌いの地方出身者からそんな話は何度か聞いたことがあったが、その日は初めて「心から共感」できた。
実は、町内会に馴染めない理由には薄々気づいていた。
というのも、町内会の参加者はほとんどが地元から出ずに就職し、人によってはそのまま結婚し、子どもができ、ずーっとその場所に住んできた人たちだ。
休憩中の雑談で、「私は記者の仕事をしていて〜」と言うと、「え、キシャ...?あ、汽車のことかと思った!ハハハ!」と言われ、
(全く悪気はなさそうで、実際その場は普通に盛り上がっていたが)
その後の話は深まらなかったり、
なんというか表面上の話しかできなかったのだ。
これは自分のトーク力、掘り出し力が乏しかったところも大いにあるが、
これまで自分があまり深く接してこなかったような
...言葉を選ばずに言うと、あまり物事に意味を見出さないような人たちだったと思う。
まぁ、和太鼓を叩ければそれで良いか。
深く関わらなくてその場は済むし。
ということで、積極的に参加者と打ち解けることをやめてしまい、
和太鼓に打ち込む日々が続いた。
唯一仲良くなれたJICAの子は、渡航準備で忙しかったようで後半はほとんど来なかった。
そして、そのまま祭り本番にも出なかった。
その子も居心地の悪さを感じたのかもしれない。
色々とハードすぎた2日間のお祭り
そんなこんなで1ヶ月の練習を終え、お祭り本番を迎えた。
和太鼓を叩く時間は全体の4分の1で、その他の時間は掛け声を出して山車を引き、自分たちの山車を精一杯盛り上げる。
炎天下の中でこれをやるのはまぁキツく、高校の野球部時代を思い出した。(というか当時より暑かった)
体力的にキツかったが、それ以上に町内会のメンバーに馴染めたかったまま本番を迎えたことがキツかった。
体育祭や文化祭を思い出してほしい。
あれは毎日を一緒に過ごす同級生と参加するからめちゃくちゃ楽しいわけで。
周りは心から楽しそうで、なんなら古参の人なんて山車を盛り上げながら号泣していた。
「すごい...祭りに命をかけてるってこういうことか」
そんな姿を見て、自分の気持ちが高まるかと思いきや、余計に気持ちが冷めていった。
(たぶん、自分より極度にテンションが高い人を見ると逆に自分はテンションが下がる性質?なんだと思う)
祭り2日目は、誘ってくれた同業の子がいなかったため、余計に居心地が悪かった。
休憩時間は、見にきてくれた妹がいるカフェにこっそり涼みに行き、休憩時間が少し過ぎた後にしれっと戻っていた。(最低)
ただ、和太鼓を叩いている瞬間や、フィナーレの叩き合い(町ごとに出している山車が集まり、一斉に演奏する)を盛り上げている瞬間は、岡本太郎の言う「高揚、陶酔」が分かった気がする。
あの熱気に呑まれる感覚は、フワフワしていて、中毒性があった。
ということで、祭りの魅力を知る以上に、
自分と合わないコミュニティと共に何かをする辛さを味わった1ヶ月だった。
(ついでに言うと、会長がザ・セクハラオヤジだったのもめちゃくちゃ萎えた)
祭り自体は普通に好きなので、今度は違う地域で、違うメンバーと参加できればと思う。
地方で何かしたいと思っている自分にとっては、
色々と考えさせられる経験になった。
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