小説版PSYCHO-PASSを読み終わった
ので、本noteは感想をまとめるnoteになる。
PSYCHO-PASS サイコパス 上 (角川文庫) 深見 真
PSYCHO-PASS サイコパス (下) (角川文庫) 深見 真 https://www.amazon.co.jp/dp/4041020360/ref=cm_sw_r_tw_dp_49A7JJPSX8R89CXJYAW6?_encoding=UTF8&psc=1
僕が読み終わったのはこっちの2冊。ちなみにAmazonではなく図書館で借りたのだけれど、Amazonで調べたら0もあるらしい。情報量を増やさないでくれ……本棚が圧迫される…!(本を部屋の床に詰まないという鉄の掟を定めているので、本棚に収めている本は捨てなくてはならないのだ。というかそれを定めないと本を積んで満足してしまう上に部屋が本でうまる。誰か僕のところにハーメルンのボンゴ叩きをつれてきてくれ!コスモス島楽園記に出てくる彼!)
まあ0は図書館で探してみるとして(公式にカネを落としたくないわけではなく、体には紙の本が心地いいのと、物理的なスペースの制約の問題である、許してほしい。)(でもなんか別の形で公式には金を入れたい。良いものを見たら気前よく金を落とすようにしつけられているので、僕は)
PSYCHO-PASSは一期と二期をアニメで見ただけで、三期はまだ手を付けていないゆっくり視聴組だ。僕が読んだ小説版が取り扱っているのは一期の内容で、読んでいてなんとなく腑に落ちたところがたくさんあった。地の文って大事だなあ。
作品を追っていたヒトには釈迦に説法だけれど、このお話はシビュラシステム、という犯罪係数と色相……その個人が犯罪をどれだけ起こす危険があるかと、メンタルの悪化状態を色で表すモノを解析するシステムに管理された二一〇〇年代の日本が舞台だ。
この管理社会では、事件を起こしそうな人は事件を起こす前に潜在犯として保護される。また、シビュラの目をかいくぐって事件を起こす人もわずかながら存在する。
それを対処するのが公安局の監視官と執行官。監視官は真っ当な犯罪係数と色相をもち、執行官を監視する。
執行官は犯罪係数も色相も社会の規範をオーバーしてしまった潜在犯たちで、犯人たちを逮捕したり、時に殺害したり、監視官の手に負えないことを担当する。
話の導入は刑事課に入ってきたほやほやの新人、常守朱が務め、そこを起点に公安局の様々な人々や事件にスポットライトが当てられていく。
独特なのは描写だ。いっそ派手であると言っても良い程事件が起きている物語に対して、描写は総じて無機質だ。まるでガラス越しに世界を眺めているみたいな不思議な感じ。
行われる事件の凄惨さに反して、誰か一人に深く焦点を当てることも、細やかな感情に目を向けることもない。
それはこの物語が、「問う」ことを主軸にしているからかもしれないし、深見真さんがそういう描写を得意とするかも知れない。
僕は読みながら、この物語に常に問われ続けているような気がした。終わった物語を読みすすめるのではなく、問題文を前にペンを渡されたような調子。
「この社会を是とするか?」「是としないとして何故?」「事件の犯人たちをどう思う?」「黒幕に対してどう受け取る?」「この世界を是とするか?」
そこにあるのは無機質な問題文だ。それはディストピアという概念に対してとても誠実なあり方だと思う。
ディストピアとは本来ユートピアから派生したもの。「その理想社会は本当に正しいのか?」「正しくないとして何が問題なのか?」「問題があるとして、どう正していくべきなのか」を考えるために生まれたものだから。
この物語で与えられた問いに答え続けることで、僕たちはたどり着きたくない社会のピースを与えられる。この世界は正しくない。でも、正しくないなりに良いところもある。そこで世界が定める規範のレールから降り、新天地を求めるもよし。社会の中でピースを積み上げ、もっと良い社会を生み出すもよし。
少なくとも、問いの段階で物語は終わる。
それは僕たちに、考える時間を与えるためのようだとすら思う。この物語はあくまで問いを投げかけるにとどめ、僕たちに思考させる。あくこと無く、増殖し続ける無限の問い。この物語の本質は物語の中ではなく、むしろ僕たちの内側に広がっている。
それはあたかも、この本そのものが、僕たちにとってのシビュラシステムであるかのように。
まあ、物語としてのPSYCHO-PASSが得た答えは二期に収束し、解答が提示されるのだが、今はこの疑問を楽しむことにする。
素敵な時間で、楽しい時間だった。
他に読みたい本もたくさんあるけれど――空想と疑問に身を躍らせて、今はしばし、問いを楽しんでみたいと思う。