以下は、「ダイレクトデモクラシーの旅」の抜粋です。
市民が中央銀行の役割を決める国民投票
2016年秋、ベルン中央駅にある大きな電光掲示板の下で待っていると、2人の若者が現れた。シモン・センリッヒとラファエル・ウスリッヒ。そのまま路線バスに乗って郊外にあるラファエルの家に向かった。景色の良いなだらかな丘にたつ1600年ごろに建てられた大きな家を若者たちがシェアしている。家を案内してもらい、同居する若者たちにあいさつをしてから、ダイニング・キッチンのテーブルに座って、インタビューを始めた。英語が堪能なシモンが、彼らのイニシアチブについて、たっぷりと時間をかけて説明してくれた。
最後にウスリッヒ氏がまとめた。新しい社会のキーとして、ベーシックインカムやポジティヴ・マネーやフルマネー、確かに、世界中で多くの人が気付きだしているけど、それぞれの国では、まだそれほど多くはない。だから、この改革のステップを進めるために、世界は連携してひとつになるべきだと。
長いインタビューが終わると、日が暮れはじめていた。ウィスキーで乾杯して、バルコニーに出て遠くのベルンの街を眺めていると、ルームメートたちが仕事から帰ってくる。みんなで談笑しながらベジタリアン風の食事を頂いて、街に戻った。
ソブリンマネーの改憲案
とても不思議なことだが、例えば日本国憲法には通貨に関する規定がまったくない。すべての国は調べていないが、おそらくほとんどの国は日本と同様だろう。一方、スイス憲法には短い規定があって、それが以下だ。
これに対して、ハンスリューディ・ウェーバー氏は、ソブリンマネーを提唱するヨゼフ・フーバー氏や他の経済学者たちと協議を重ねて、以下の改正案をつくった。
ベルンでインタビューをしてからおよそ1年後、17年の秋に、私はセンリッヒ氏を日本に招いた。1週間ほどの滞在の中で、東京と沖縄で講演会を開催した。それからほどなく、国民投票の日程が2018年6月10日に決まった。
2015年12月に署名を提出してから、翌年の11月には、スイス連邦政府がこのイニシアチブに対する見解をまとめた公文書を閣議決定した。「このような金融制度の根本的な改革は大きなリスクを伴い、金融セクターの激変が予想される」ことを理由に国民に対してイニシアチブの拒否を推奨した。「イニシアチブは現在の貨幣制度の完全な転換を求めている。もしイニシアチブが認められるなら、スイスはテストされていない改革のモルモットになるだろう」と。その後、審議が国会に移り、全州議会(上院)は、42対0棄権1でイニシアチブに反対、国民議会(下院)も169対9棄権1で反対した。
中央銀行とイニシアチブ委員会のディベート
興味深いのは、投票が3ヶ月前に迫った時点で、政治的な発言をしないことが不文律である中央銀行が異例の反対声明をだしたことだ。それに対してイニシアチブの委員会は理路整然と反論を述べていて、とても興味深いものになっている。未来の通貨システムを考える上でとても大事な資料なので、その一部を紹介する。
投票日のベルン
この投票日にもスイスを訪れた。シモン氏の住むシェアハウスに泊めてくれると言うので前日にお邪魔したが、そこはベルン近郊の山の頂に近いところにあって、おそらくはベルンでも屈指に景色の良い家だった。麓の街はもちろん一望できて、そのはるか遠くまで見通せる。
そして投票日、その家に置いてあったイニシアチブのキャンペンカーに乗ってパーティ会場に向かった。メインステーションのすぐ隣にあるレストランが会場で、その日、空は澄み渡って、アルプスの山なみが朝日にくっきりと映えていた。他のメンバーにあいさつしながら会場の設営の手伝いをしているうちに、お昼近くになると徐々に人が集まってきて、200名ほどのテーブル席が埋まりだした。会場には、テレビが設置されて開票速報が流れるなか、中継のカメラもやってくる。そして、主だった人たちのスピーチが始まった。ずっと、キャンペーンのディレクションを担当したトーマス・マイヤー氏が、日本からの訪問者がいることを知って私のスピーチを機会をつくってくれた。開始直前にエノ・シュミット氏も誘ったらすぐにバーゼルを発って会場に現れた。最前列には、代表のハンスルーディ・ウェーバー氏が座る。初めてお会いしたが、ちょうどアルプスの少女ハイジのアルムおんじのような風貌をした人で、思慮深さがにじみでている印象だ。
「ほとんど役に立てなかったけど、実は頑張ってワークしました。このプロジェクトが世界で一番大事だと思うから」
開口一番そう話したら、会場から大きな拍手が沸き起こった。隣では、コア・メンバーの1人であるエマ・ドーネイ氏が日本語に訳されたリーフレットを掲げて紹介してくれた。
ほどなくして、開票速報から、結果、賛成票がおよそ25%だということが分かってくる。世論調査では、最後はやや下がったとはいえ、3割台を維持していた。スイスの国民投票では、事前の世論調査と結果に開きがあるのは、珍しいことではないようだ。会場には次第に疲れたムードが漂ってきた。このイニシアチブは、ベーシックインカムのようにたくさん寄付が集まることもなかった。市民に説明するのがとても難しいテーマで10万人の署名を集めきったことは、協力した人たちの情熱と汗と知恵の賜物だけど、資金的にも、有力なスポンサーがいない中で、コアな人たちの寄付に支えられていた。海外の資金に操られたイニシアチブだと言う噂もたてられたが、彼らは「はい、海外からも資金を集めようとしたど、できませんでした」と答えている。
気分を変えようと外に出たら、シュミット氏とマイヤー氏が話していたので、加わった。
「うーん、結局、ベーシックインカムもソブリンマネーも25%」
「新しいことを受け入れることができる人が4人に1人だと言うことだね」
「いや、自分で考えて判断できる人が4人に1人」
それから、場所を変えて主だった人たちで夕食を食べてから、シェアハウスに戻った。ルームメイトたちとテラスに集まって、結果について話す。
「たくさん恐れや不安を刷り込まれると、人は支配されるようになって、いうこと聞いちゃうんだよね。それが決して自分のためにもならないことでも」
「生まれたばかりの頃って、誰も不安なんかもってない。でも、その後の教育や、日々与えられる情報でそうなっちゃうんだ」
しばらくしてから事務局からメールマガジンが届き、びっくりすることが書かれていた。投票後に行われた意識調査では、国民のおよそ80%がスイス国立銀行がスイスフランの発行について責任を持つべきだという考えにイエスと回答していた。つまり、ほとんどの国民はこの投票で何が問われていたのかさえ理解しておらず、スイスフランはすべて中央銀行がつくっていると信じて疑っていないのだ。同時に、英語報道のマスメディアがこの投票をどう伝えたかの集計もしていたが、こちらは、おおむね公平で良い報道がされていたと関係者も納得していた。例えば、この件を一番多く取り上げたのは、フィナンシャル・タイムズだったが、ポジティブ4件、ニュートラル4件、ネガテティブ4件だった。一番最初にネガティブな意見があるものは、ネガティブに加えられたが、それでこの結果は、本当によいと言える。
通貨システムの民主化
スイスのソブリンマネー・イニシアチブをサポートして主要な文章をすべて日本語にする中で分かったことは、中央銀行だけが通貨を発行するようになったら、中央銀行が直接個人にベーシックインカムを支給して、それを経済のベースマネーとして循環させながら増えた分のマネーサプライを民間銀行への融資総額で調整すれば、基本的にベーシックインカムの原資を増税でまかなう必要はないということだ。スイスのベーシックインカムの国民投票が23%の賛成にとどまったのは、言うまでもなく想定される大増税が嫌われたからだ。でも、社会保障は税で賄うべきという固定観念から抜け出て、経済とマネーサプライ全体を俯瞰すると、答えはシンプルだと言うことに気づく。
例えば、すべての日本人に毎月10万円を配ると年間およそ150兆円になるが、これはGDPのおよそ3割にあたる。日本のマネーサプライはGDPのおよそ2.5倍もあるから、ベーシックインカムに必要な資金の10倍のマネーがすでにこの社会にはある。マネーサプライとGDPの相関については国ごとに大きな差があって、少ない国ではGDPのわずか15%で経済を回しているし、一番乖離が大きい香港では、GDPの4倍近いマネーサプライがあっても、それで激しいインフレが起こっているわけではない。いずれにせよ中央銀行の役割は物価の安定にこそあるといつも彼らは言うのだから、まず中央銀行がベーシックインカムを無条件に直接支給する。経済のコアに私企業の利益追求ではなく、人間の暮らしを置いて資金循環をおこし、その上で通貨の総量を調整して物価を安定させたら、この社会のお金にまつわる問題のほとんどは解決する。課税は経済の調整の最終手段とすべきだろう。自然は人間に無条件に生存環境を提供しているのに、人間社会が人が生きていくのに条件をつけるべきではないだろう。
まず、ベーシックインカムとソブリンマネーのイニシアチブをベースに、中央銀行によるベーシックインカムのイニシアチブ案をつくってみた。
この件について、まずは台湾でベーシックインカムの普及活動をしているグループにプレゼンテーションしてみた。経済学者も参加してかなり突っ込んで討論したが、どうやら穴がなさそうだということになった。スイスでエノ・シュミット氏とも話したが、興味深いから話合いを広めようということになった。そして、イタリア、グリッロ氏は「情熱もってサポートする」とブログに投稿させてくれた。今後、どう展開していくか、相談しながらじっくりと取り組んでいきたい。イタリアでは遠くない将来に国レベルの市民イニシアチブが導入されそうだし、EUでは2012年に欧州市民イニシアチブ(ECI)が導入され、100万以上署名が集めらた事案に対して、欧州委員会の対応が義務付けられている。不完全ではあるが、国境を超えた市民イニシアチブもすでに始まっているのだ。
私たちは、今の通貨システムは、自然発生的にできたもので変えることはできないと思っている。しかし、集団幻想としてそう固く信じ込むようになってから決して長い時間は経っていない。原始の物々交換の時代を経て、ものの交換手段として硬貨が広く普及し、やがて紙の通貨が生まれ、そちらの方がより交換に適しているからたくさん使われるようになった。そしてそれらを預けて、大きな事業のために金利をつけて貸し出す仕事をするために銀行が生まれた、私たちは、漠然とそう思っている。社会が自然にそう発展してきたと。しかし、現実はそうではない。商人たちがモノをやり取りする際に、帳簿上の貸し借りをした。そしてその貸し借りを信用として融通させた。やがて、信用供与と決済だけを分離して担う銀行が生まれた。かつて王は基本的に硬貨の鋳造権を独占し、その価値を決めることで利益をあげながら、交換の媒体を提供した。しかし、金属に実用性があってそれ自体に価値があるために、他の材料に使われたり、量に限りがあることが問題だった。王が戦争を行うためには、こうした大商人や銀行から借金をするしかなくなり、やがて徴税権を担保に借金をしても、追いつかなくなっていった。こうした中で中央銀行が構想され、政府の借金の多くを担うと同時に、銀行券を発行して決済手段として流通させ、それを独占していった。やがて、銀行券の裏付けとして金を採用することでそれが統一された絶対的な価値になり、そのイングランド銀行のスタイルがスタンダードとなって、世界中に広まっていった。そうして、私たちは、通貨が変えられない自然物で、それに振り回されて生きるしかないという共同幻想を世界中で共有したのだ。一方で、商業銀行はずっと自分たちの利益のために貸付金として通貨を無から発行し続けてきた。利益を求めて貸し付けた結果が経済となって現れるけど、それは、「神の見えざる手」という経済学の前提となった言葉にうまく隠れた。どこに向かうかわからない個人の欲望の総和が今の経済だから適切に調整するのは困難なもの・・・という共同幻想もつくられた。結果として、本当に人間社会にとって本当によい通貨システムはどのようなものかと考えることを誰もしなくなっている。
パブロ・ソト氏がいうようにテクノロジーはゲームチェンジャーではない。ブロックチェーンによって決済の仕組みが進化しようが、さまざまな仮想通貨が生まれようが、通貨発行の原則を民主的なものにしないかぎり、今の社会は良くならない。お金に振り回される、支配される社会の構造はそのままだ。そうではなく、お金を私たちの暮らしのツールとして位置付けて、どうしたらよりよく機能するかを一人ひとりが考え、話し合い、大きな合意をつくっていくしかないのではないか?