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みろくの世へのまつりごと

自然状態の人間社会


そもそも、みろくの世、まずは、どんな世界なのか、明確にする必要がある。
漠然と天国をイメージしているだけだと、もちろん、実現するはずもないし、つまるところ、カルトに食い物にされるのが関の山だ。

考古学、歴史学、文化人類学の研究成果をまとめると、人間社会に暴力がはびこって人間が奴隷を所有しだす以前の社会が浮かび上がってくる。もちろん、そもそも暴力がはびこる世界は、決して人間の常態ではないという認識はとても大事だ。

人間は、もともと、リーダーやピラミッド組織がなくても高度な社会を営める。暴力を背景にした極端な圧力が存在しない環境では、人間社会における意思決定は、みんなが平等な立場で話し合って決める、それが、自然な、人間の本来のあり方で、かつては世界のあちこちでみられた。記録的には世界初と言われているアイスランドのアルシング、昨年、念願かなって参加できたスイスのランツゲマインデ、日本では宮本常一が書き残した寄合、そういう世界だ。奴隷制と家父長制を土台とした古代ギリシャこそが、デモクラシーのルーツだとは決して言えない。そして、フラットな人間社会において、リーダーという存在は、社会の非常時に、決められた役割を与えられて置かれるものだった。ダメなリーダーが長い間、権力をもつことは社会として大きな害悪になるので、そういう事態になったら、人びとは、容赦なくそのリーダーを追い落とした。その権威を失墜させるには、リーダーに恥辱を与えることが最適だというのも、人間社会に共通する。

新大陸が発見され、西洋人がネイティブ・アメリカンの諸部族と接した時に、もっとも驚いたのは、彼らは、誰ひとり、自分の意にそぐわないことに従う必要がなかったことだ。その衝撃は、ヨーロッパの知識層で広く共有され、社会を変える原動力になった。ネイティブ・アメリカンの世界では、人は助け合うのが当たり前だから、誰もが安心して暮らせた。何ももたずに数千キロを旅しても、旅先で必ず必要なものが無条件で与えられた。ヨーロッパでは女性が男の所有物だった時代、ネイティブ・アメリカンの女性たちは、性的にも完全に自由だった。
また、イヌイットの社会では、人のやり取りで、貸し借りの計算をするのは、奴隷をつくるもとになるから、やってはいけないというモラルがあったが、それは決してイヌイットだけの叡智ではなかった。

そう、「生きるために必要なものが無条件に与えられる」そして、「自分が関わるグループのあらゆる意思決定に平等に参加できる」が実現されたら、それは、真に人間らしい世界であり、それは、みろくの世と呼べるのではないか?

しかし、残念ながら、人間社会で、暴力による略奪を正当化するために所有権が確立されるに及んで、「安心して生きるためには財産が必要」という考え方がつくられ、常識がすり替わっていった。もちろん、そんなことで、人間が本当に安心できるはずなどない。

近代民主主義の祖とも言えるルソーは「人間は、代表者をもったとたん、もはや人間ではなくなる」と書いた。代表がいると、人間は意識まで奴隷化してしまうからだといいたかったのだろう。しかし、フランス革命以降「デモクラシーとは選挙で代表者を選ぶこと」にすり替わって、それがスタンダードとして暴力を背景に世界に広められた。そして、右派と左派の対立は人間社会の常態で、その妥協点を見出すのが政治だとみなされるようになった。本当のところ、それは、特定の人たちが権力を維持し続けるのに都合のよい制度にすぎない。支配には分断と対立が不可欠だから、常にそれがつくられ、維持され、結果、社会の進化を阻んでいる。

しかし、今、人間社会の課題と目指すべき目標をはっきりと理解して、行動を起こして、もちろん、それは一筋縄には行かないのだけど、強かに形にしだしている人たち、いわば先覚者たちは、確かに世界のあちこちにいる。(残念ながら今の日本には見当たらないが)

ディープなローマの休日

私が1年ちょっと前にやろうとしていたのは、日本のある社会派俳優と世界の社会制度のベストプラクティスを紹介するYoutubeチャネルをつくって、多くの人に知ってもらうことだった。日本人は世界の進歩を知らないのが問題だという共通認識があった。私としては、他に適任者は見当たらず、実は何年も前から時が来るのを待っていた。まずは、世界の政治運動/政党のベストプラクティスであるイタリア・五つ星運動を徹底取材して、そのリアルを知ってもらうためにローマに行こう!
実際、マスメディアのバイアスが強くて、イタリア人でさえ、五つ星が実際にやっていることをよくわかっていない。そして、アメリカの政治だって日本に負けず劣らず腐敗が酷い。だから、ベストプラクティスのリアルを英語で世界に発信したいと考えていた。

五つ星運動は、貧困の根絶と、イタリアへの直接民主制の導入を最終目標として2009年10月4日、もっともキリストのように生きたイタリアの守護聖人・聖フランチェスコの日に運動を開始、ゼロからわずか9年たらずで総選挙で33%の得票をえて第1党になった。
およそ15万人のメンバーが常時オンラインで社会課題、必要な政策を協議、必要に応じてオンライン投票をして合意した政策を国会にもちこむ。選挙の候補者は、メンバーなら誰でも立候補可能、完全にオープンなオンラインの予備選挙で選ばれる。多選による腐敗を防ぐために議員の任期は2期に限定。世界1位の日本に次ぐくらいに高額なイタリアの議員報酬、もちろん報酬に反比例して議員の質は劣化するのだけど、その半分を拠出して基金をつくって、貧しい人たちにマイクロクレジットした。そして、選挙にはほとんどカネをかけない。創設者のベッペ・グリッロは、「カネをかけないで政権を取ったのは歴史上初めてだろう」と日本でのインタビューで語った。巨額の政党助成金も当然のように受取を拒否している。そもそも「予備選挙」という制度があることを知っている日本人、政治家はどれほどいるだろう?彼らは、候補者は権力者が指名するのが当然な日本の政党とは、やっていることが程遠い。

最初のyoutube動画の目玉は、美人で知られる前ローマ市長ヴィルジニア・ラッジに、できればロングスカートを履いてもらって、日本のグレゴリー・ペックと一緒にスペイン広場の階段をおりながら、どうやってマフィアとがちんこバトルをしたか!ってことを話してもらおう・・・『ディープなローマの休日』(ちなみに今は、あそこでジェラートを食べるのは禁止らしい(笑)、ちょっと、ゴッドファーザーな脚色もあったらいいかな、007の舞台になったドロミテは次の冬季オリンピックの開催地だ・・・。)

これが実現したら、100万アクセスは最低ライン。多くの日本人は、世界にはこんなにも先進的な政党があるのか! 日本にも欲しいと思うに違いない。そこからいよいよ日本版五つ星運動を立ち上げられるだろう!イタリアほど人材はいなくても、国民の政治に対する不信感、失望感は間違いなくイタリア以上だ。この期に及んでも、どこぞのカルトがカネ出しているんだろうというような新党しか生まれない日本も、これで大きく変えられる・・・。

悪くない企画を書いて、けっこう話し込んだ。だが、それは、実現しなかった。

今、冷静に思い返すと、

結局、自分の損得勘定をこえたパッションがないと、社会を変える一歩がでない。日本人に共通した課題だろう。まぁ、だから通貨がダダ下がり、世界に例がないほど人口が減る社会になったと思う。とりあえず、一生日本で暮らすと決めている人たちこそ、真剣に考え、取り組むべきことだ。小手先の話でどうにかなる状況にはない。ここにヒントは色々あるじゃないか?

フランクフルトへの長い道

さて、

昨年嬉しかったのは、ベッペ・グリッロと再会できたことだ。日本に招いてから、ちょうど5年ぶりだった。サルディーニャ島のサッサリで開かれたショーで、いい席に招待してくれて、ショーの中で、私を見つけて、巨漢に、うう、苦しいってくらい私はハグされて、日本の思い出を観客に話した。ローマに住む日本人の友人も、ベッぺがショーで日本の話をするのを聴いたと言っていたので、どうやら、日本滞在の話は定番のネタになっているようだ。

ベッぺ・グリッロは、来日講演の際、「もっとも大事な政策はベーシックインカム、それであらゆる問題が解決するから」と質問に答え、私の「中央銀行によるベーシックインカム」を知ると「グレード・エンスージアズムでサポートする」とすぐに応え、何度もブログに寄稿させてくれた。彼のブログは最高で世界9位にランクされ、ムハマド・ユヌス、ジョセフ・スティグリッツ、ダライ・ラマなども寄稿している。もちろん、そこからイタリア第一党になった五つ星運動が誕生した。

私がずっとベッペに提案しているのは、次の経済危機が起こったら、ガンジーやMLキングのように、フランクフルトの欧州中銀まで行進して欲しいということだ。ファシズムを始めたムッソリーニはローマに行進したが、ベッぺは、住んでいるジェノヴァから、その反対方向に歩いてほしい。秘書たちは「景色が良くて快適なマーチだろう」と悪くない反応で、本人にしっかり伝えている。ベッペは、最初の選挙のとき、シチリア海峡を何度も泳いで渡るというパフォーマンスをやったが、それに比べたら、600キロ歩くのは、何ともないようだ。彼は、欧州債務危機の頃、イタリアのユーロ加入について「ベルルスコーニの独断でやるべきことではなかった。改めて国民投票をやるべき」といった。極めてマトモな見解だけど、彼の発言は、ユーロ崩壊につながる可能性がある。ドイツ最大のデア・シュピーゲル誌はベッペを「ヨーロッパでもっとも危険な男」と書いた。これを発展させて、「欧州中銀がユニバーサル・ベーシックインカムを発行するんだったら、ユーロは大歓迎」と言って歩き出したら、ヨーロッパの人たちの反応がとても楽しみだ。もちろん、この政策が実現すれば、ヨーロッパから貧困はなくなる。今の世界で、ガンジーやMLキングに匹敵することができるのは、ベッぺしかないんじゃないかと私は思う。だからこそ、彼を日本に招くために、何度もローマに通った。

そう、五つ星運動の「清貧な政治」に衝撃を受けた私が、その精神的な支柱である聖フランチェスコの聖地アッシジを訪れたのは2018年7月だった。もっともキリストのように生きた人間、イタリアの守護聖人は、教会の修繕費用の寄付集めで街頭パフォーマンスをしたために「神の道化師」とも呼ばれた。
80年代、ある気鋭のコメディアンが、公共放送で首相の汚職を茶化して、業界を追放された。長く首相を務めたその政治家には、やがて警察の汚職の捜査の手が伸び、結局、国外逃亡したまま客死した。テレビ業界からの追放劇は誰もが知っていて、心を痛めていたから、コメディアンは英雄となって、イタリア各地のショーは大盛況になった。
彼は、来日早々、日本食に音を上げて、麻布のイタリアンに行ってご馳走してくれたが、その突然の来訪に、イタリア人が経営するレストランは大騒ぎになった。ベッペ・グリッロを「神の道化師」の再来と感じているイタリア人はどれくらいいるんだろう?

前回の経済危機、リーマン・ショックが欧州債務危機へと連鎖し、スペインでは若者の失業率が40%にも達した。そうした中で、2011年夏、マドリードのプエルタ・デル・ソル広場で、テントを張って占拠する人たちが現れた。彼らは、自治集会を始め、やがて選挙で勝利して、プログラマーたちが結集してオンラインで参加型予算ができるシステムを開発、そこに市民40万人が参加して1億ユーロの市の予算を市民の提案と投票で決めるようになった。

マドリードの占拠運動はインターネットでまたたく間に世界中に広まり、全部で2600都市で同様の行動が起こったとされている。最大のものは、ウォール街占拠で、そこでもダイレクトデモクラシー集会が繰り返され、オピニオン・リーダーとなったデビッド・グレーバーの「われわれが99%だ」という言葉が世界に広まった。

ちょうど、フランス革命の頃、日本では、天明の飢饉を背景に、窮乏した人びとが京都御所の周りを歩き始めた。わずか数名が起こしたこの行動は、10日後には7万人にも膨れ上がったと伝えられている。天皇はじめ公家たちは、歩く人たちに食べ物を配ってこの御所千渡参りをサポートした。

ベッぺの行進をきっかけに世界中の中央銀行の千度参りが始まったらいい。それは確かに世界を変えるだろう。ユニバーサル・ベーシックインカムの実現に大増税はいらないということを世界中の人が気づいたら、もう、誰も実現を止められなくなる。

しかし、それにしても、チャールズ・キンドルバーガーが唱えた「経済危機10年周期説」は、完全に崩壊した。今や、リーマンショックから17年が経とうとしている。新しいきっかけが必要で、それを去年行われた欧州議会選挙にしようと私は提案した。

ベッぺはそれに呼応するように4月に、ブリュッセルの欧州議会でベーシックインカムの集会を企画した。そして、「本当に日々の生活に困っている人が大勢いる。ユニバーサル・ベーシックインカムの実現こそ、喫緊の課題だ」とブログで呼びかけた。そうして、当日、常設の通訳ブースが20もある大きな会場に現れたベッぺは、開口一番、「今日は日本からも来ているし、会場の人にも話してもらおう」と言った。おお!欧州議会で私が「中央銀行によるベーシックインカム」をスピーチできるなんて!

しかし・・・、後から思うと、メインスピーカーにBasic Income Earth Networkの2人の創設者を選んだ時点で、ベッぺの提案が叶うはずもなかった。彼らが、参加者にほとんど発言の機会をあたえないのはいつものことだ。

その欧州議会での集会の後も、私は、「今回ばかりは!」と、かなりしつこくフランクフルト行進をやろうとメッセージを送った。

You are the best in the world.
そんなメッセージが秘書から返ってきた。嬉しいような、嬉しくないような・・・、

そして、結局、行進は実現しなかった。

結局、五つ星は欧州議会選挙で振るわず、そして、昨年末、ベッぺと今の代表である元首相のコンテとの亀裂が修復不能なレベルになり、五つ星は、議員の任期制限を撤廃し、創設者のベッぺ・グリッロは、運動開始から15年目にして、五つ星運動からの離脱を宣言した。

ふぅぅぅぅ・・・・。

かつて、飛ぶ鳥を落とす勢いだった五つ星も、選挙で過半数に達しない以上、連立を組むしかなく、あの時点では、支持率が自分たちの半分しかなかった極右と組むしかなかった。しかし、それはマスメディアの格好の攻撃材料となり、極右が移民排斥のパフォーマンスをすればするほど支持を伸ばし、反対に五つ星の支持は下落した。所属議員が五つ星を離脱したら、基金への供出は不要になるから報酬は倍になって、任期制限にも従う必要がなくなるから、分断工作はいとも簡単だ。こんなにも早く軒先貸して母屋を取られるような状況になるとは、誰も予想できなかったが、連立の恐ろしさは、日本の社会党の末路を見たら明らかだ。しかし、そんな状況でも、ちゃんと、彼らの所得保障制度の実現によって、シンクタンクによると100万人が貧困を免れ、国会議員は、なんと345人も削減し、全額補助金で建物の断熱改修工事を推進することで、環境事業でGDPを押し上げた。どれも日本では想像もできない大改革だ。

もう1人、最初に日本に招いた後で、世界初のダイレクトデモクラシー担当大臣になったリカルド・フラカーロも、ダイレクトデモクラシー改憲の発議に向けて、片方の院を通過させたところで、内閣が倒壊してしまった。彼は、党規約どおりに2期で議員を引退し、今は、代替電力の会社を経営しながら、ライフワークとしてダイレクトデモクラシー改憲に取り組むとローマのカフェで私に話した。こんな政治家は日本ではおよそ想像ができない。

ベッぺは新しい運動を始めるようだし、経済危機は、もうずっと来ないというよりは、依然、いつきてもおかしくないという方が正しいだろう。

とりあえず、ショーは終わらない。

アッシジからのおツゲ

聖フランチェスコは、ヴァチカンの権威主義やヒエラルキーを嫌ったために、総本山から修道会の認可は得たけど、距離を置いた関係だった。そのため、フランチェスコという名は、アメリカの大都市の名だし、世界の本当に多くの人の名前にも使われたけど、フランチェスコを名乗る教皇は現れなかった。でも、今の教皇は266代目にして初めて、その、もっともキリストのように生きた聖人の名をとっている。そして、弱きものとともにあるというキリスト本来の精神を体現しているし、格差社会を真っ向から非難し、ベーシックインカムの必要性にも言及している。今の教皇が「キリストが馬小屋で生まれたことの意味をしるべき」と言ったことを知って、なんだか自分の人生を振り返りながら、少し救われた気がした。ベッぺ・グリッロが私の投稿に「裕福な家に生まれた子供は何もしないように動機付けられる」となんの脈絡もなく書き込んだのは、もちろん、スキャンダルを起こした自身の息子のこと、そして、結局、五つ星と縁を切られた亡き相棒の息子のことを嘆いてのことだ。

私が初めてアッシジを訪れた翌年2019年の4月にベッペ・グリッロの来日が実現したが、その年の11月、ローマ法王が、歴史的には2度目、38年ぶりの来日をした。そして、日本到着の日は、ちょうど私の50回目の誕生日だった。それは私にとって、人生最大の神秘体験に他ならなかった。とりあえず、人生の節目、これからは、あんな風に生きろってメッセージだよな!と解釈して、私は肉体労働を始め、それをライフワークにしている。思い切って飛び込んでみたが、私がエリート商社マン(笑、死語?)として散々味わったブルシットジョブ感とは対極の世界、人の役に立っている宣伝不要な実感と、心地よい汗は、人間に本当に必要だと思う。みんな、ゆがんだ仕事観からは、解放されるべきだ。

かつて、まつりごと、つまり政治の世界に飛び込んで味わったのは、政党が途方もなく腐敗しているという現実だった。手の施しようがないという実感の中で、くる日もくる日も1件1件有権者を訪ね歩いて対話をした。そこで強く思ったのは、普通の人たちはとてもマトモだということだ。ちょうどイートン校の奨学生だったジョージ・オーウェルが、ミャンマーで警官になって植民地支配の片棒担ぎに絶望したあとで、パリのスラムに住んで皿洗いをし、ロンドンでホームレスと一緒に暮らして分かったことと。愛すべき彼らが選挙でたくさん私の名前を書いてくれているんだから、その思いを裏切ることはできない。

だから、無所属でこの社会のソリューションであるベーシックインカムを訴えて彼らに審判を下してもらったら私の責任は果たしたことになるだろう。およそカネに執着できない私が起業をしたのは、そのための資金を作る以外の目的がなかった。結局、総選挙で大敗した時、母は私に言った「お前は、キリストの役割を担ったんだね」。

私は、キリスト教には縁のない人間で、聖書を教養として読む気にさえまったくならないのだけど、現実にユダヤ教を激しく糾弾してはりつけにあった人間と、聖書の登場人物とは、随分違うだろうと思う。そして、若者が身を賭して糾弾した社会は、ちょうど今のような社会だったに違いない。人が単なる交換可能な商品として扱われ、クソな基準で値付けされ、多くの人は一日中働いても人間らしい生活ができる賃金さえ与えられない社会なんて、奴隷社会としか言いようがない。

人間社会のルールが天上の神からお告げとして降ってくる。一度、それをやり出したら際限がなくなるのは必至だ。創造主がいるとしたら、きっとその存在は、呆れ、怒りながら、こういうだろう。

「私は、あなたたちが必要なものをすべて用意して、あなたたちをつくった。足りないものなど何ひとつないはずだ。問題は、あなたたちの社会のルールに過ぎないということにどうして気づかないのか?私の名の下に支配のためのクソなルールを押し付けるのは、本当に勘弁して欲しい。その愚かなルールのもとで、私に祈って、自分だけいい待遇を得たいなんて、恥ずべきふるまいだ。そんな根性で本当の幸せを掴めるはずがない。みんなが幸せになるルールをちゃんと自分たちで話し合って決めたらいいだけだろうに!!」.

まっとうな人間社会をつくるには、政治家のプロパガンダやマスメディアの扇動に惑わされることなく、世界の実相を認識する必要がある。

長いあいだ、人類の食糧生産には脆弱さが伴って、飢餓に陥ることはあった。伝染病や感染症も制御できなかった。外敵に突如襲撃される危険もあった。だからまつりごとは、天に祈ることが核になった。だが、テクノロジーが途方もなく発達した今、それらは、ほとんど解決された。世界で戦争を含む暴力で死ぬ人は、今や交通事故で死ぬ人より少ない。確かにイスラエルはひどいが、総じて今や世界は平和と言える。兵器の殺傷力が飛躍的に高まり、富を生むのに領土の拡張などおよそ意味をなさない時代、今や、誰にとっても戦争のメリットはなく、大義はどこにも見いだせない。また、人類は、すでに大量の化石燃料を燃やしているのに、南極の氷が溶け出しているという気象データはいまだにないはずだ。ウイルス含め、あらゆる危機は支配のための捏造と言っていい。

だが、マネーを媒体とした間接奴隷制は、いまだに続いている。1人で100人分の食料をつくれる時代、賃金労働のおよそ半分が誰の役にも立っていないと自覚される時代、それでもほとんどの人は生きるために、自分らしさを犠牲にして、長時間、誰かに指示されたことをやって人生の大半をすごしている。

人間がこの世界に生きている意味があるとしたら、さまざまなことを体験するために他ならないだろう。望む社会の実現のために、考え、動き、伝え、とことん話し合い、合意をつくっていく。私たちは、きっとそのために生きているんじゃないか?


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