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人間社会の未来、日本人の未来、コスモポリタン

法人と株式会社

グレーバーの『負債論』を読みながら・・・

そもそも、「法人」という概念が生まれたのは、西暦1250年のこと、ローマ・カトリックがつくった教会法にこの概念が組み入れられ、修道院に適用された。ちょうどフランチェスコがアッシジで修道会をつくった頃のことだ。それから、大学や教会、ギルドなども法人格をもつようになった。法人は、法的には人間のようにあつかわれるが、もちろん、人間と違って寿命がない。

中世学者エルンスト・カントローヴィチは、「法人はさまざまな天使のような特徴をもっていた」と言った。例えば、シトー修道会の施設は、製粉所や鍛冶屋にかこまれ、羊毛産業が発達して、それがヨーロッパ社会に広がっていった。一方で、フランシスコ会は、所有を放棄し、ピラミッド組織をもたず、手仕事と托鉢で生きることを旨とした。

しかし、今、圧倒的に多い法人が、株式会社だ。そして、世界で最初の株式会社が、イギリスの東インド会社だというのは歴史で習うことだ。私もかつて会社をつくったこともあるが、この事実からしてそもそも株式会社が好きになれない(笑)。この会社が、世界で初めて株主の責任が出資の範囲に限定されるようになったというのは、アジアの貿易の独占権を政府から与えられた特権会社だったからだ。東インド会社は、やがてインドの統治まで担うようになり、植民地支配の中で、インド国民の反感を一手に集め、結果、大規模な反乱を招いて清算された(支配はイギリス政府が直接やっただけだが・・・)。

興味深いことに、経済学の祖であるアダム・スミスは株式会社という事業体に対して批判的だった。資本と経営が切り離されていては、ロクな運営は望めないというのが理由だった。面白い。

株式会社は、基本、株主に利益を還元するための上位下達のピラミッド組織だ。ピラミッドの底辺にいる人たちは、わずかな現金と引き換えに、粛々と言われたことをやる。

こんなピラミッドが世界中に張り巡らされていて、人間らしい社会ができるわけがない。もちろん、世界のあちこちで、それを乗り越えるチャレンジが始まってはいる。

マネーと奴隷制

人は無条件に助け合うのが当たり前というのがもともとの人間社会だったといえる。

西洋文明が及んでいない社会の人からはそういう意識が見出せるのだ。しかし、文明が発展するにつれて、人のやりとりの貸し借りを記録するようになった。その証書にさらに自分の署名を加えて、他の人とのやり取りに使う習慣も生まれた。それがおカネの始まりだ。また、貸したものに金利をつけるというのは、実は人間が文字を発明する前からあったので、人類がどれくらい前からやっていたのかは知るすべがない。 

やがて、暴力による略奪をする人びとが現れ、それが広がっていくと、戦いで獲得した捕虜は奴隷にされるようになった。そして、約束した債務が履行できない人も、また、奴隷にされだした。どうやら所有という概念は、奴隷を自由に扱う権利として生まれたようだ。そして所有権がローマ法によって確立され、それが、人が自由であるためには財産が必要という根強い固定観念のルーツにもなっている。一方で、誰の指示であっても、自分の意に沿わないことに従う必要がなかったネイティブ・アメリカン達、もちろんそれこそ本当の自由だと私は思うが、それは、みんなが助け合うことは当然のことという社会のコンセンサスに支えられていた。ひどく対照的なことだ。

極端な暴力に訴える人は常に少数だが、残念ながら、彼らの「脅し」のパワーは絶大だ。そして、その行為の正当化のために、ヒーロー(英雄)という偶像がつくられ、名誉や権威という概念が人びとに強いられ、そして、普通の人たちの価値を貶めることで、優れた存在が誇示される。それは脈々と続き、今でもすっかり定着している社会の現象だ。

もっとも、極端に富が集中して、社会が荒れてきたら、しばしば王が命じて、負債を棒引きもした。全部リセットすることで、社会を安定化させつつ、自分の権威を誇示したのだ。もともと余ったものしか貸し借りできないのだから、それで誰かが過度に苦しめられる必要などないのだ。さらに、王権が弱まると、そもそも非人間的な奴隷制も衰退する。時代の波があるんだな。

そして、戦争の遂行には、硬貨が便利で欠かせなかった。金属でできたコインは、兵士に報酬として支払って社会に流通させ、征服した土地で、税を課してコインを住民から回収する。金や銀の鉱山では、獲得した奴隷を働かせて採掘させてコインの材料を得る。そういう循環ができた。

時を経て、金銀を裏付けとした銀行券がうまれ、しばらくすると、中央銀行が銀行券の発行を独占するようになった。それは19世紀半ばのことで、まだ200年もたってない。絶対的拝金主義の歴史もたかだかそんなもんだってことだ。グレーバーは、「マネーとは、恣意的な社会的慣習でしかない」としたが、ここにきてマネーは、絶対的な権威となり、信仰の対象にさえなった。同時に「借金は悪」というモラルが刷り込まれることで、信用経済がほとんど消え、ほとんどの人は現金に依存せざるを得なくなった。奴隷制は表向き根絶されたが、人は、家族以外のあらゆる縁から切り離され、事実上、モノとして、恣意的な評価基準で格付けされながら、人生の大半の時間をマネーと引き換えにして、言われたことだけをやって生きている。

古代世界において、奴隷から解放されることは友をもてることだったから、ゲルマン語系で「自由」freeは「友」friendに由来した。残念ながら、現代では友をつくるのにも損得勘定がはたらくが・・・(笑)。
因みに、ラテン語系で、家族familiaの究極的な語源は「奴隷」を意味するfamulus。かつて、暴力支配が末端では家父長制となって、女子供は所有物のように扱われ、取引にさえ使われることがあった。その一方で、血縁による所有の継承を絶対視して、家族以外を簡単に信用してはならないというモラルがつくられている。人間社会を歪める大きな要因だ。人を信用しない社会の代償がどれほどのものか、ほとんどの人が気づいていない。

ニクソンショック以降、金と紙幣が交換できなくなってから50年以上が過ぎている。実際のところ、マネーの実態は、そこいらの銀行が貸出の際に通帳に書き込む印字に過ぎない。それでも、信仰は微動だにしない(笑)。

テクノロジーの驚異的な発達で、あらゆるものが過剰だ。そして、もはや賃金労働のおよそ半分は誰の役にも立たない仕事にすぎない。特にピラミッド組織は、クソ仕事の巣窟なのに、一方で、社会に本当に必要な仕事は、お決まりのように、まともに暮らせないような労働条件にされている。

多くの人は「人間は利己的な存在だから、社会がこうなのは、仕方がないこと」と受け止めている。それは、マキャベリ以来の長い歴史をもつ洗脳だが、決して人間の真実じゃない。ハナから奪わないと生きていけないわけでも、奪い合いが人間の本性でもない。強いられたルールやモラルが著しく非人間的なだけだから、変えたらいいんだ。

まずは何よりも、一人ひとりがもつ根強い固定観念から自由になることだよな。

少なくとも、もう、権力による脅しのゲームにつきあう必要はない。
経済発展に領土の拡張はまったく不要だし、兵器の殺傷能力が高すぎて、戦争は、誰にとっても割に合わない。得にならない。そして今や、戦争含む暴力で死ぬ人は交通事故で死ぬ人より少ない。脅しのネタもすっかり形骸化している。

海外に出られなくなった日本人の未来


あらためて以下が現在の各国の公的債務のGDP比だ。

ギリシャ169% アルゼンチン154% イタリア137% アメリカ122% フランス110% カナダ107% イギリス101% ブラジル85% 中国84% ドイツ64% 韓国55% オーストラリア49% スイス38% スウェーデン36% 台湾25% ロシア20% そして、日本252%

コロナが流行った真の目的は、長く続いたゼロ金利を引き上げるためだったように見える。IMFが日本の債務に警告を発して久しいが、誰も問題視せずにさらに問題を膨らませてきた。そもそもゼロ金利が永遠に続くはずもなかった。やはり、ハシゴは突如外され、冷酷なマーケットがそれを見逃すはずもない。

毎年、1500台ものプライベート・ジェットでダヴォスに結集する人たちは、「グレート・リセット」というスローガンを掲げているが、それが債務帳消しを意味することはありえないだろう。

多重債務国が通常やらざるをえないことと言えば、大幅な増税はもちろん、公的支出の大幅カットだ。公務員のリストラ、医療、教育費、社会保障の大幅な削減・・・、他に残高減らす方法はないが、そうすると、もちろん失業率が跳ね上がり、深刻な不況に陥る。

かつて世界で最も豊かだった国が、大きく転落して貧しくなった例は世界に一つだけある。アルゼンチンだ。客観的にみて、日本が第2の例になる可能性が極めて高い。

さらに、

今の日本人の英語力は、非英語圏で87位、他のアジアの国々と比べても低い。そもそも英語が公用語の国はおよそ50カ国もある、ははは、どんだけ・・・。多くの国の人びと、特に若者は、特に学歴がなくても、あまり問題なく、英語で世界中の人と意思疎通ができる。この差は本当に大きいということに気づくべきだ。私は、旅の中で、「国際会議で初めて日本人をみた」とソウルでミャンマーの学者に言われたことがあったし、ロンドンの宿で「初めて英語を話す日本人に会った」とパキスタンの女性に言われたこともあって、その度に、愕然とした。

そして、円の大幅な下落で、もう多くの日本人は、海外に観光でさえ行けなくなった。先進国のホテルやレストランの値段をみたら、おカネがある人でさえ辟易するだろう。

「比較する視点があれば、どんな問題も解決できる」
だけど、つまり、ガラパゴスだと、それができないってことだ。

本当に貧しくなってしまった日本、今こそ、エネルギーのある人は、未来のためにも世界に出るべきじゃないかな?

暴力によって土地に境界が引かれる前の時代、人は大陸規模で頻繁に移動していたし、どこに行っても、無条件な扶助があったようだ。

かつて人間がやってたこと、やれないことはない。


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