なぜ麻雀プロは批判されるのか考察

プロ批判、Mリーグ批判、団体批判。たくさんありますね。

ほかの業界も見渡してみましょう。だってプロ野球だって野次が飛んでくることもあるわけです。なんにだって批判したい人はいるわけで、批判が全く無くなることはないでしょう。

僕の認識上では批判があまりにも少ない業界はプロ棋士ですかね。囲碁のプロも将棋のプロも協議内容において批判を受けている場面を見たことがないといっていいほどのレベルです。

でも麻雀は批判めっちゃされてるレベルなわけでその差を考えてみましょう。

確率のゲームである

麻雀は確率のゲームです。ちなみに野球も確率のゲームであるといわれますね。

そして対人戦でもあるわけです。これは将棋でも囲碁でも一緒ですが、対人かつ確率のゲームであるということが要素です。

そうするとじゃんけん的な場面が出てくるわけです。

麻雀に例えると難しいですが、例えば変化球狙いをしていたけれどストレートが来て凡退をしてしまった、そういうようなイメージです。

そのストレートが少し遅い球だった場合でも変化球狙いだったため打ち損じてしまうことが多いでしょう。

はたから見たら「なんでそんな遅いストレートを打ち損じるんだ!」と思ってしまうのも無理はありません。

そこで野次を行ってしまうパターンですね。

麻雀でも微妙な選択の時のリーチ判断なんかで対人要素に重きを置いて逆を打ってしまうこともあるでしょう。

ちなみになんなら圧倒的ダマ優位である場面でも一発でツモ和了してしまうこともあるでしょう。

見た側から見たら「そんなのリーチだろ!ほら一発ツモやんけ!」って言ってしまうのも無理はないでしょう。

実力を反映、証明することが難しい

麻雀プロ否定宣言、こんなものが出されたことがあります。

そこで竹書房が堂々と近代麻雀ゴールドの紙面上で麻雀プロを認めないと声明を出しました。

否定の根拠は当時の最強戦において雀鬼会の選手が優勝を攫っていき、五回開催された中でプロを名乗ってない人のほうが最強位の回数が多かったこと。そして、プロの強さを肌で体験してほしいとの思いで選出された読者代表枠に出場したアマチュア選手より順位が低い麻雀プロがいたことを主な否定要素として発言されたのである。

いやいや、そんな一回の大会において実力がはっきりと反映されるわけないじゃないですか。

そんな実力が反映されるゲームじゃないよ。

とはいえ当時は時代が違う。100回打てば必ず勝つとかいう発言が長期成績として社会権を得ていたような時代だ。

まあそのような幻想を持っていたほうが夢も希望もあって生きやすいとは思うけど麻雀を打ち込んでいく限りそのような幻想は砕け散ると思ったほうがいい。

とはいえ、プロを名乗るにあたって実力を証明できないと何を根拠にプロを堂々と名乗るべきか。

まあ当時では難しかったと思うけど現代においては技術革新により成績集計がとてもやりやすくなった。

レーティングシステムを搭載している雀荘もあったり、ネット麻雀では今までの成績すべてを閲覧することができる。

とはいえ自分の実力がどれぐらいです、ってはっきり言うのは難しい。

2000本打っても成績にブレが激しすぎるし、じゃあもっと打てば?となっても数年とか下手すると数十年単位の時間を要する。

その間に実力も変化するだろうし、そんな時間がかかる大会は開催することの難易度がとんでもないし、そんな大会を見る人は少なくとも商売になるほどはいないだろう。

流石にこんだけの成績が出ていたらとんでもなく弱いということはないだろうというレベルの推測はできる。

しかし、現在の技術では実力の証明は難しい。

そんなわけで、現在のプロ試験は実質的にはゲームの所作やルール、基本的な待ちの把握などに重きを置かれている。

完全な実力の証明によってプロになった人は居ないってことだ。

まあ仕方ない、仕方がないのだ。

玉石混交のプロ団体に入っているプロが上位のリーグを目指して切磋琢磨しているのが現実です。まあそれは仕方ない。

だが、この石を見てきた麻雀愛好家からすると批判、否定もしたくなるものでしょう。

さらに、メインのリーグ戦は勝ち上がることでしか上位のリーグに行くことはできないが、メディアに出ているような大会では選抜制がとられることが多い。

例えばモンド杯やMリーグなどだ。

今までの知名度などが反映されるため、確かに勝ち上がってきた人が出場しやすいのも事実だ。しかし、グラビアやメディア対応、ビジュアルなども要素に含まれることもあるだろう。

でも商売としては仕方がない。

雀力メーターが100まであるとして90あるけどインタビューもろくにしゃべらない選手よりも80だけどメディア対応完ぺきな選手のほうが使いたくなるものでしょう。

だって視聴者の大半は雀力を認識できないんだもの。

だったら誰にでもわかるインタビューの面白さやもともと持っている知名度、ルックスなんかに重きを置いて審査したい気持ちが分からないでもない。

しかし、業界最高峰や麻雀のプロといって実力が高いことをうたわれると疑問が残る。

商売としては仕方ない。強い言葉やサムネイルって大事なんだもの。

しかし、ここに文句を言いたい気持ちもわかる。

これが批判の種になっている側面もあるだろう。

言い訳がしやすい

解説者がミスの打牌を一般視聴者にわからない形の論理的に見える理由付けをしてしまうことがある。

野球だったら単純なエラーとして記録されるし、解説者もこのようなことがあってミスにつながった。これはよくないミス、などと発言するだろう。

しかし、こと麻雀においては「このような狙いがあってこのようなプレーになったけど結果がついてこなかったですね」とか「このような発想はなかったな、すばらしいプレーです」とかなんなら明確なミスだったとしても結果論的に正解だった場合「すばらしいファインプレー」として解説されるわけですね。

なんとも恐ろしいものです。

解説者が実際にそう思っていたとしたら怖いなっておもうけど、実際に思ってなくても同調圧力でそのような解説になってしまうことは致し方ないでしょう。

プロ業界で生き残るには上記のその選抜大会に出場することも大切ですからね。

推薦を受けるためには周りに合わせるのは致し方ないのです。

しかし、現在の麻雀愛好家の中ではそのようなおそらくミスだろうという打牌にいろんな理由をつけて褒めたたえるのが日常化しているのを知っているので異常な褒めたたえられ方をした発言を面白がる風潮さえあるでしょう。

そんなこんなで平気で視聴者をだましちゃうことができるわけですね。弁論術は怖いものです。

終わりに

このような状況があって批判が絶えることは難しいでしょう。

ただ、あくまでいえることは競技の内容が批判されることは興行として当然のことです。称賛されるのもその通りでしょう。

しかし、ただその競技のことだけです。

言われたとしても別に気に病む必要もなければ天狗になる必要もないでしょう。そのワンプレーワンプレーをあーだこーだ言って楽しむのも興行の楽しみ方の一つですから。

悪意を持って脅しや誹謗中傷をしてはいけませんよ?あくまで法律の範囲内で、もしくはその興業の主催者が決めたルールの範囲内で話題の一つにしたりして楽しんだりしましょう。

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