こういう時は日記を書くべしと言われたので
大好きな祖母が亡くなってしまった。
6/13(火)正午
梅雨に入ったのにお天気良く晴れ間もみえる暖かい日に母の側で逝ってしまった。
妹と私は後から駆け付けて瞼を閉じた様な薄っすらとこちらの様子を伺う様な不思議な祖母のその白い顔を見た。
もうその身体には魂が無いような気もするし、まだ触れた体がぴくりと動くような気もする。
死後も身体はまだ暖かい。脳が活動いているのか頭も僅かに体温が残ってる。終わりに向けて忙しく細胞が調整作業に追われているのだと頭では分かっていても指先や身体が動きだしたり、突然意識を取り戻したりしそうで期待してしまう。ただ実は眠っていただけだったりで、そのうち起きるだろうからお顔の上の変な白い布を取ってあげなくちゃ、縁起の悪いイタズラを苦笑いしているもう一人の自分と心が戸惑っている。
なんとか頭で理解したつもりで、その場の流れに任せて時間を過ごしてさようならの言葉なんて1ミリも頭をよぎらずに安置所に向かう祖母の車を見送る。あれは何を運んでいるのだっけとわからなくなる。何故なら祖母は部屋で寝ていて目が覚めたら一緒にどら焼きを食べようと考えているのだから。
介護老人ホームの方が深々とお辞儀をしてお悔やみの言葉をくれる、そんな馬鹿みたく大袈裟に全員出てこなくてもいいのにな、と思う。母が挨拶しお礼を言う、妹が頭を下げる。なんとなくわたしもお礼を言ってみる。別にそんな大それた事はありませんのでお構いなく。
周りに見えぬ様に小さく勝手な腹を立て、安らぎを求めて祖母の部屋に戻ろうとする。おばあちゃんにもう起きた~?と声を掛けようと思ったのに施設の方にもう帰る様に促される。え~と心で呟きつつ、借りていたスリッパから自分の靴に履き替えて表に出る。
帰り道に、次荷物の片付けしにここに来たら最後だね~と母がか細く呟く。ね~と私と妹は空返事する。
三軒茶屋駅までの帰路は商店街でとても栄えていてスーパーも八百屋も果物も花屋も100円ショップもしまむらだってなんでもあって庶民的、おばあちゃんの暇つぶしになるし、こういう何処にでもありそうな楽しい街はおばあちゃんと来るとより楽しいので直良しなので、おばあちゃんの半身不随になった身体がリハビリでもう少し良くなったらまた手を繋いで来ようっとと頭でイメージする。
バスに乗って、母の提案で家族で自由が丘に戻って焼き鳥を食べることになった。お腹はそんなに空いていと思っていたが焼き鳥屋の独特の匂いに釣られてお腹がぐぅとなる。お腹空いてたのか、うんうん。お腹と会話していたら、ふと思ってたより前の予定が早く終わった事に気付き、急遽休みをいただいたバイト先にやはり今日行けますと連絡をする。母妹に結構引かれながらも、二人を残して焼き鳥屋を後にしバイト先に向かう。
職場の方に迷惑をかけた事を謝罪しいつも通りの業務を行う。退勤して帰宅して家でご飯を食べる。家でご飯を作ってくれていた私の好きな人とたわいもない会話をして、テレビを観る。心配してくれていたらしい彼はこういう時は日記を書くと良いよと優しくアドバイスをくれたので後日書こうっと心に書留めしておいた。おばあちゃんがいつも日記を書いていてその字を思い出す。お風呂に入ってシャワーを浴びてふと、あ、おばあちゃんはいないのかもしれないと思う。いつも会いたくなったらおばあちゃんの家に電話していた。次会いたいって思ったらどこに電話すればいいのだろうかとしばらく考えてみたら涙が出た。そうかおばあちゃんは死んじゃったのか。さっき大好きだったよとか有難うとかお礼をちゃんと言えたっけと振り返り反省する。
火葬の時にちゃんとお別れを言わないと、今までの感謝を手紙に書いて伝えないと。と悲しい様な悔しい様な思いを胸にしまって眠りについた夜だった。