反省会2024

何回目の降格か数えないと思い出せない程度には回数を重ねている。
1998年、2002年、2008年、2012年、2024年 で合ってる!?
最初の降格体験が一番濃厚だったので(何しろJリーグの歴史最初の降格 誰にも破られることのない輝かしくもない記録である)あとはまあ。

今回は大河ドラマのナレ死降格と名付けている。今際の際の場面が映んないやつ。湘南戦の映像の下のほうに「このあと柏が勝ち点1を獲得し札幌は降格した」ってテロップで終わるようなやつ。よって降格の場面は今回のドラマの本筋ではないという歴史の判断だろう。いや何言ってんだ私。

一応今思うところを書き残しておこう、反省会2024だ…と考えるも5回も降格体験したら反省パターンも尽きてきて「最終的に応援するからどうでもいい」という怠惰な考えに至る。そこを鞭打って(鞭打って)考えると、前にも一度書いたけど「退屈な平和に浸かりすぎた、退屈してても平和が何やかや続くと思ってた」になるかなあ…。他の人はどうか知らん。私の話。

コロナ禍の間応援が出来なくて、昇降格もない年があって、あっても1チームという年もあって、過酷な闘いとは遠かった。そして愈々本気で争う段になったら、何もしないで(出来なかった、という側面はあるにせよ)過ぎていった年月に失ったものの大きさを思い知ったというか。だからこの今の苦さは選手だったりクラブだったりだけのせいではなく、平和ボケしてた自分も全体の一部として招いたものとして甘受せざるを得ない。どんなときでもずっと熱をもってやってた人達だっているのだから。

そのうえでひとつ思うところとして、広島戦の試合後の宮澤のこのコメントが特に響いた。
うまくいってるときには誰でも出来る、応援もそうだったよなって。
旗色の悪い時こそ奮い立ってやらなければならなかったのに。
実際には5~6月頃はボランティアやってても「応援の人が減った…」って思うことが続いてた。アウェイに行っても席空いてるなあって思った。そこは最後盛り上がったからよかったとは到底思えない。前半戦で、悪いながらもほんの1、2試合だけでもいいから、負けを引き分けに持ち込む事が出来ていたなら。

必死になって(物理的に)声を上げる、というのが選手にも此方にも足りなかったんだろうな。心のなかにいくらやる気があっても、それを誰の目にもわかるほど伝える術は足りていなかった。後半からは頑張ったけど、前半の足りなさを補うことは出来なかった。

ネットで書いて終わりじゃないんだと、ネットで書きながら考える。別に応援に来る来ないじゃなく、身近なリアルで話題にしたりリアルで行動したり。そういうの無しには選挙だって当選しないもんな。突然の選挙。

スポンサーの商品を買い、スポンサーのお店に飲みに行き、「コンサドーレ弱いね」などと気軽に言ってくる隣人に屈せず笑顔で応え、応援に行けばできる限りでかい声で歌う。現代の強化戦略は色々あるのかもしれないけど、選手でもないしクラブの中の人間でもないから。
なんでかな、って思うことはもちろん(たくさん)あるけど、外野が思うようなことはだいたいちゃんと分かっていて、素人には想像もつかないような理由や現状があるって思うから闇雲な断定はしない。ただこれからも応援するからそちらはそちらでちゃんとやってくださいよとだけ。こうして毎回降格するたびに同じことを書いてる気がする。芸が無い。だがそれが自分だ。

反省しながらも来季どこに行こうか考えている。都市部が少ないので大半どうやっても2泊コース不可避、どこが一番安上がりで行けるか、否、安上がりで行く方法はあるか。こんなこともなければ行かないけど地味に行ってみたいと思っていた土地ナンバーワンは秋田です。東北はどこも行きたい。と考えているとやっぱり全然反省してない。テレビカメラが抜きたくなるようなヨヨと泣き崩れる絵面でなくてごめんね。5回目の降格では面の皮は間違いなく厚くなったわ。


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