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京都戦:極上のスパイス

今年の京都アウェイは本当に苦い味だったんだけど、勝ってしまうとその味が最高の隠し味になってしまうんだから恐ろしい。逆に勝った記憶が呪いになることもあるから恐ろしい。勝って驕らず負けて腐らずって昔の人は本当にいいことを言うものだよ。

そして苦いことでもきっちり記録しておくと「そう、あのときこんなふうに悔しかったな…」と思い出せるのでやはり日記は大事。

っても勝つと試合後「勝ったやったウェーイ」って楽しく飲んで語ってそれで済んでしまうので、負けたあとのモヤモヤした、吐き出さないと気がすまないような衝動みたいのがない。勝ってる時には必要のない日記(数行前と言ってること違う

今回はチーム創成期から応援している古サポが横浜からやってきていた。長い年月は「友が(いろんな意味で)育て上げた息子氏と共に応援」という機会を私に与える。考えてみるとすごい話である。

彼女達のほうが先にドーム入りしていたので席取りを任せる。着くとそこはゴール裏ど真ん中。旗が振られて前が見えない場所である。奇しくもそれは京都アウェイと同じシチュエーション。あのときは旗の隙間から試合を見ていた、というか見えなかった。目の前のゴールネット(の、下の方)にボールが入ったらそれくらいは見えるという世界。

あのときは入ってほしくないボールを二回見て、入ってほしいボールを見ることはなかった。泣きそうなくらい苛立っていた近藤くんとか、試合後それでもまだ終わってないって顔をしてた宏武くんとか、呆然としてるY中とか、そういう記憶。それを全部今回は逆に出来たのだから微笑むしかない。京都2戦とも現地なのに試合の記憶がまるでないということになるとまでは思わなかったけど。今日の審判よかったよねって話を見かけて「どうして記憶にないんだろう?あ、見えてなかったからか」など独り言ち、家で録画見返して初めて試合を把握した。髭のなくなった大﨑さんがただの美青年である事に衝撃を受けたとかそういう感想にはなった。

でも旗で試合が見えないと応援そのものには集中できるなーとか思ったりはした。毎回ここではつらいけどたまにはいいな。そもそもあんなでかい旗を、重いはずのポールで何十分もずっと振ってるその若人の体力と情熱には感銘を受ける。
そしてそのくらいど真ん中にいるとさすがに周囲の声量が違う。自分の声が聞こえない。そんな音量の中で、試合終盤には両のスタンドから手拍子の音が聴こえてきた。どれだけの音量だよ。

あたりまえだけど若者の多い席で、前の席のおしゃれなお嬢さん達はバリバリ応援して試合が終わると今度はモリモリ焼きうどん食べ始めてた。若いって素晴らしい。

試合後ソンユンと福田くんが挨拶に来た。
移籍した選手の挨拶っていつの間にかあまりにもテンプレ化してしまっていて個人的にあまり好きではないんだけど、それでもソンユンはまあどうしても。ミンギュをありがとうよマジで…

試合後穏やかな気持ちで撮影
インカのめざめフライ うまい

友のリクエストにより試合後はオータムフェストへ。成年している息子氏と3人で祝杯というこの二世代感。隣の席の客様達に「どうでしたか?!」と聞かれ「勝ちました!!」と答える快感。チームが出来た頃なんてユニフォームで街歩こうものなら確実に奇異な目で見られていたのになあ、というこの古い記憶もまたスパイスのひとつ、だなー。

Y中も言ってたけど、京都アウェイの絶望感からここまで盛り返してきた。残り6試合挑み続けるのだ。それぞれに味わっていた悔しさを極上のスパイスに出来るかどうかで未来は変わるわ。

ファン感でガチャ回したらダブル菅ちゃんだったので2得点よろしく

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