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横浜FM戦:「頑張ったって無駄」

釣り見出しです!
いくらポジティ部員といっても、頑張っても無駄というか報われない可能性は現時点で結構高いという認識ぐらいはさすがにしている。けどここで頑張らないと「報われない可能性を更に高めるだけ」なので頑張るというか踏ん張るしかないぞという意図です。あと、頑張ったことは少なくとも自分の糧にはなります。2012年の日記を振り返っている私。

個人的には京都戦から連戦という、とてもひさしぶりのシチュエーションでした。京都で味わったやり切れなさもあり、且つ日曜ゲームということもあり土曜の練習を観に行きました。

「どんな相手でも攻め続けるのが俺達札幌だろ」

宮の沢に着くと、先週京都で自分と同じように途方に暮れていたはずのウルトラの皆さん方がダンマクを張っていました。そこにある言葉は「ですよね」以外ないものばかりで、決していまの選手達を否定するものではなく上から目線でもなく、同じ目の高さで選手達を鼓舞するために選ばれた言葉だなあと感じながら練習を見てました。練習が終わったあとの選手と話をするところも見ていました。翌日試合に人文字が用意されていたので、あの京都で負けたあとにも、SNSが喧しいであろう中でも、現実の世界でいろいろなことを仕込んでいたんだなあって思った。

負傷から復帰しそうな選手の予感を感じつつ、突然いなくなっていた選手もいて。本来主力で使いたいはずの選手が一体何人いないのだろう。思ったけどいる人達でやるしかない。明日はハセタツがスタメンなんだなあ。それはちょっと楽しみだった。

試合のベンチに入れなかったのは5人。そのうちふたりは負傷からの復帰途上の選手と、契約上まだ試合に出られない大﨑さん、それとGK。そのくらい人がいなくて、戦い方や状態に合わせて選択が出来る次元にない。スタメン組に入っている選手も膝のサポーターが目立つ人が何人か。

ミニゲームが終わって試合前のメインの練習は終わり。でもそのまま引き上げる選手のほうが少ない。スタメンもサブも関係なくやり取りをしている。チームを取り巻くあらゆる状況は決してよくないのだろうと想像するに難くない。でもそのまま終わっていいと思ってる人はたぶん誰もいないんだろうと、なんとなく感じた。もちろん、そう思いたいだけなのかもしれないけど。

そんな中で翌日の試合は、普通にがんばってたと思う。
相手が守備専でなかったり、また日程が厳しいこともあったと思うけど、それを差し引いても此方の気持ちは伝わってきてた。凡ミスなく、負傷交代もなく、ジリジリと耐え忍びながら…と思っていたところに降って湧いたようなVAR。お前がいたことを忘れていたわ。

京都でもあったけど、試合止めて待ってる間は集中が難しい。結果として救われたり救われなかったりがあるからVARが自分たちに不利とか有利とかは思わないけど、現地で見るよりテレビで見るほうが状況が分かるんだったらスタジアム行く意味、とはなります。昨日のように「遡ってPK」なんて私達手練は何が起きたかすぐに分かっても、置いてきぼりになった人達も少なくなかったよなと。

果たしてあらゆる災厄が降りかかりつづけたような前半戦が終わり、勝ち点11で折り返し。後半戦はあらゆる災厄が雲散霧消することを祈っている。信心深く善行を積む。

善行を積むばかりではなく応援も頑張りたいという気持ちはあります。
コロナ以降本当に人が戻らないし(京都行ってもしみじみ感じた テレビで見るより空席感はあった)、人がいても声出ないし。以前は地方クラブながらも応援の規模は他所に引けを取らない自負があったんだけど、正直今は全然感じない。一部の人達の熱意におんぶに抱っこしてるだけだと思ってる。

応援なんて無駄かもしれない。時代にあった戦略、施策、そうしたものがなくただ根性論でやって勝てるはずはない。けどあらゆる施策の根幹に人間のエネルギーがないとどうにもなんなくない?と語気を強める自分がいる。
戦術があり、そうしてシンプルに人より走れることがサッカーの勝利に繋がるなら周囲だってそうじゃないだろうか、と思うので自分も出来る事を頑張ろうと思う。応援も連戦やったら少し戻ってきた感じがあるし。筋肉は裏切らない。

試合に向かう地下鉄の中でサポ友に会った。そこで長いこと闘病中だった知人サポの訃報を聞く。どんなにしょぼいシーズンだって、彼女は見ていたかっただろうと思う。だからこそ生きてる自分が簡単に諦めるわけにはいかないのだ。


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