すなおになれたら【創作】
※BLですので、ご注意ください。
「セン」
100人以上入る空き教室で、静かに呼ぶ声をきく。ひとりしかつかわない、とくべつな呼び名(本人には他意はないことを知っている)によろこんでいることを知られるわけにはいかなくて、俺は頬杖をついて窓の外を見やった。
初夏の緑が目に刺さるくらい、輝いている。光合成、人間が数えられない回数しているのか。なんて疑問に思っても俺にはわからんし、唯一の呼び方をする友達の、得意分野だから任せておこう。
「そこの桜の葉っぱって、何回光合成してるかわかる、トーヤ」
気分は少し落ち着いて、背後をふり返る。ほほ笑んでしまっている俺とは反対に、急な問いかけに怪訝な顔をしていた。あはっと笑い声が漏れてしまって、トーヤの眉にしわが増えた。『何を考えているか、わからないくらいクール。でもそこがいい』なんて彼を狙っている子たちはトーヤをそう評価しているらしいが、俺からしてみれば全く的外れな分析だ。不機嫌を隠そうともせず、近づいてくる。
「葉緑体がいくつあると思ってんだよ。何回ってのは言えないから」
「なんだ、未来の先生でもわからんか」
「大人しくしてたと思ったら、おれの想像つかないこと言ってくるよな、毎回。……で、セン」
トーヤは通路を挟んでとなりの机の上に座った。俺の顔をのぞきこむように、首をかしげる。教室の電気とエアコンは最後の人が消すことになっているのでまだついていて、人工的な風が首筋を撫でた。トーヤと目が合って、心臓はぐっとつかまれて、頬が一気にあつくなる。だが風に触れられている部分だけ、ほんのり涼しい。体温が場所によってちがうせいで、風邪を引きそうだ。
「彼女は?」
冷たい視線。冷房以上に効き目がある。
「え……あーー、別れた」
トーヤははぁぁとでかいため息をついた。なんなら別れたの「わ」から、息をはき出す音がした。
「2ヶ月前に彼女できたって言ってなかった、センタローさん」
「言いました」
「で、もう別れたと」
「うん」
恋人のいないやつが、リア充を憎むことがあるけれど。彼の場合は逆だった。自分に彼女がいなくても、恨み節なんて言わない。むしろうまくいくように常々心配している。友達想いのいいやつだ。トーヤの性格を知ったら、みながそう言うだろう。
「早くないですか」
「そう?」
「そう!」
トーヤの語気が強くなる。ああ、いいなって思う。交際期間を気にする理由はわかっている。
「お兄さんみたいに、学生のうちに付き合って、社会人になって結婚。人間、そんなきれいにはいかないよ」
兄の結婚式にいたく、感動したらしい。どんな職種に就きたいとは別に、トーヤにはすてきな彼女をつくって結婚する、という目標がある。すばらしいことじゃないか。俺には叶わぬ夢だけど。
「わかってる」
しかられた子どものように、むくれたトーヤはそっぽを向く。破局した俺よりも、悔しそうだ。まぁ俺はノンケのふりをするための隠れ蓑として、告白してくれた女の子と付き合った最低野郎なので。
人類みな結婚願望があると思っちゃいないだろうが、トーヤは友達として俺の訪れない将来を案じているようだ。学科が同じサツキや見つけたら絡んでくるカツヒロが相手だったら、「悪いな」の一言で終わる。けど、トーヤは。トーヤには、「ごめん」「お前は残酷だよ」「俺が勝手に、好きになってしまった」ってまだまだほかにも言葉が出てきてしまう。
俺も友達も、押し黙ってしまって。健気に風を送るエアコンの音がやけに響いている。やたら静かで、嫌になる。トーヤといるのは、よろこばしい。だけど、ねぇ。こっちが一方的に思って、知られずに心を傷つけている。時々友達としての想いによって、苦しくなる。
サツキは彼女とデートで、カツヒロは地元の友達と約束があって、トーヤはまだ講義が残っている。よくつるむやつらは予定があって、そして俺は。大学から一駅離れた緑豊かな自然公園にいる。1年の前期にあった基礎ゼミで同じだった有正くんと。カルガモが泳いでいる池やバラ園、春には桜、秋には紅葉の楽しめるようなメインの場所ではなく、木陰の下のベンチに腰かけている。土とか葉っぱとか植物の匂いがして、安らぐ。森とか山とかが好きなトーヤも気に入りそう。
頬が赤い有正くんは喉が渇いたのか、ごくごくと勢いよく水を飲む。誰でも簡単にしぼれてしまう500mlのペットボトルは、まだ入っているのにつぶれそうだ。同じ科目を取っていて会ったら少し話す程度の距離感だから、有正くんが誘ってくれたのは謎だ。2年になると、付き合いが固定されてくるから、声をかけてくれるのはうれしい。
日差しの強い時期になってきたが、高い木の下は少しだけ暑さを忘れる。幹が伸び枝の先に茂った葉っぱたちが、傘のように覆っているから。風が吹けば、自然のふうりん。いい心地。
なんだけど、隣に座る有正くんの汗が止まらない。たらりと流れるものを気にしてか、尻ポケットからハンカチを取り出した。額やもみあげの横をふく。有正くんは育ちがよさそうだ。ハンカチ持ってないやつけっこういるし。こうやって、いちばん仲のいいグループじゃない俺にも遊びの約束をしてくれるし。
また顔から顎をつーと水滴が通った。「大丈夫」ときこうにも、水分補給に入ってしまい口に出せない。ちゃんと水分を取るのは大事だ。内容量が減ったことにより、ペットボトルはべこりと音を立ててへこんだ。
「有正くん。カフェとかさ、涼しいところ行かない?」
ペットボトルから口を放したタイミングで提案する。体調がすぐれなさそうなのに、この提案は想定外だったのか、有正くんは目を見開いて驚く。あわててキャップを回す。よく見ずにしてしまったせいか、キャップは斜めに閉まっていた。
「あの、ちょっと、話があって」
こちらに体を向けて、有正くんは俺と目を合わせる。大きな瞳が不安げに揺れる。2、3度まばたきしたかと思えば、ぎゅっと目をつむる。また開いた時には、有正くんの黒目がしっかりと俺を捉えていることがわかった。俺もまた視線をそらすことはできなかった。真っすぐな姿勢につかまってしまった。
「ぼく。楠くんのことが、好きです」
ああ。すごいな。ノンケはふつう恋愛対象として、同性に見向きもしないのに。どうして、言葉にできるんだろう。
それが最初に思ったこと。俺が絶対できないこと。トーヤの顔が浮かんで、有正くんから自分の手を見る。でもやっぱりそこにもトーヤが。あいつは細いリングを好んでいて、俺もちょうどチャレンジしてみたいからいっしょに見て回った、そのリングが左手の人差し指と中指にはまっている。学科がちがうため、会わないとわかっている日はよくつけている。
「あの、気持ち悪いって、思われるだろうけど。楠くんに、知っててほしくて」
瞳を合わすことをやめたせいで、有正くんの声は消えてしまいそうなか細いものになってしまった。だけど、本当にこの場から立ち去りたいのは俺の方だった。勇気を出して告白してくれた人よりも、自分の焦がれているあいつのことばかり考えて。
“本当にこの場から立ち去りたいのは俺の方だった”? いやなにそれ。俺ってそんなに自己中心的なやつだったのか。最低だ。
「ごめんね。ぼっ、ぼく帰るよ」
何も言わない酷い俺に、耐えきれなくなった有正くんは立ち上がる。気味が悪いなんて思ってない。有正くんがつぎの恋を探せるように、俺のことで落ち込み過ぎないように、伝えなきゃ。
「待って。俺、返事してないじゃん」
「そう、だね」
再び座り直そうとはしなかった。答えは筒抜けだから。それでも歩き出そうとしてくれなかっただけいい。
「有正くんのことは、そういうふうに考えたことなかったから。ごめん。だけど」
大好きなあいつと買ったリングではなく、すなおに心の内を言ってくれた相手を見る。
「誰もが、すなおに想いを口にすることはできないから。有正くんは、すごいよ」
今日はぎこちない笑顔しかしていなかったけれど、告白の返事に有正くんは「ありがとう」と涙をためてほほ笑んだ。それは本当にきれいで、うらやましかった。
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pixivの表紙がいちばん気に入りました。
おはなしよりも。