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社会には芸術が不可欠
散々死んだり生きたりして、七転八倒してきているのに、最初っからなんにも感じていない自分もいる。作品を造ることは、どうしても対立の世界に入らないといけないようで、そこではああだこうだとやるけれど、畢竟在るのは四角い紙と絵の具だけ。
あれだけ四苦八苦したのは何なのか、何度も死んだのに依然としてふつうにここにいる。
その様なことで、最初から自分はずっと何もやっていないのかと思うことはよくあることだけど、その状態はいわゆるあの最上の、マインドレスネス、一歩も自分から離れない徹底した主体性。これを何度経験したことか。
あの対立構造の中で死んだのは果たして誰だったのか、自分だったのか、それとも空想の世界のことのようなものだったのか。両方とも違う、その中での死を確実なものにするために立てられたのがモーセの青銅の蛇をつけた旗、詰まるところキリストであり、その血と肉の贖いによる救いというのが、西欧で言われる人間社会での芸術の必要性です。
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