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町内会ぬけてから、1年たちました

町内会を抜けてから1年ほど経つので抜けたらどうなったかを書いてみる。

まず私達が住んでいる市は、令和元年12月時点で人口約62000人。
大きなイオンがドーンと建ち、その周辺には新興住宅地が広がっていて若い人が移り住んだようだが、65歳以上の割合が29.7%。

バリバリの高齢者タウンだ

しかも本当に元気で、車の運転もしてらっしゃる。
何度か怖い思いをしたことがあるので、バリバリが伝説になる前に身近な人はどうにかできないものか。ここが優しさの見せ所だ。

抜けた町内会は約1300世帯 3500人ほどいる。さらに細分化した5つの丁目で分けると、私達が住むのはその中の約290世帯 740人に入る。
子供1人、妻、3人で9年前に引っ越してきた。よそ者です。


そもそもなぜ町内会を抜けたのか。1年前の投稿がこれhttps://note.com/uekiya/n/nc55437a9333e

謝ってもう一度入りなおせと言いたくなる文章に悲しくなる。


ここで一度しっかりと言っておかなければならない。
まず、私達は町内会や子供会が無くなればいいなどとは思っていない。
地域によって仕組みは千差万別だと思うが、無くてはならないものだろう。
これまで築き上げてきた先人達や今生活している方々に敬意を払うのはこれからも変わりはない。自分のやってることが正しいとも思わないし、誰かに押しつけようとも思わない。



ことの発端は町内会に含まれる[子供会育成会](子供会ではないので基本的に町内全世帯が加入している。ことになっている)。
ここを抜けると決めたときに、同時に町内会も抜けることにした。

抜けた理由を簡単に言えば、
①子供のためと言ってやりたくないことをやり続けている
②やりたくないことを大人から大人へ回しあっている
③将来、子供へ回すことになる
④抜けることが可能ならば、どう生活が変わるのか見たい
この4つだ。

少し砕くと、
①子供のためと言ってやりたくないことをやり続けている
 1年で行事がいくつもあり、伴う準備や打ち合わせを含めたら多くの時間を割くことになる。週末の休日、平日の夜、大切な時間がどんどん削られる。とある行事の内容も年々大人の都合の良いように変わっていき、もはや誰のためなのかわからない状況に。 家庭によっては小学校の○○、中学校の○○、部活の○○と役員をいくつも掛け持ち大変だ大変だと言う。
何人もの大人が平気で愚痴をこぼすのを見てきた。無理はない。

②やりたくないことを大人から大人へ回しあっている  
 例えば任期1年の役員になると、嫌だなと思いなから大変なことをやる。掛け持ちじゃなくても顔を見ればやりたくないことくらいわかる。本当に皆さん疲れている。
(もちろんやる気に満ちた人もいるだろう。)
そうなると「1年の我慢だ」と考える。これだ。重い荷物を背負い、大変だ、苦労している、とストレスも圧し掛かる。1年が経ち荷物を下ろしたと思ったら、[次期役員を決める会議]で同じ重さの荷物を隣人へヒョイと渡す。(その議場にいなかったんだけど次期会長に決まりましたと後から報告を受けたのが私達だ。)
自分で全くオススメできないものを、「もらってくれませんか?」なんて誰かに言えるわけがないだろう。赤の他人ではなく、顔と名前も知っている同じ町に住む人に。

③将来、子供達へ回すことになる
 子供達に何かしてあげたい。そう思う人は少なくないと思う。
しかし自分のオススメできないものを無神経に子供達へ渡すことはできない。「任期だけ我慢すればいい。自分達はやったんだからあなた達もやりなさい」こんな暴力的なことを我が子にできるはずがない。大人の間で嫌なものの押し付け合いを続ければ、それはいずれ子供達へ届く。
何をしてあげられるか】も大事だが、【何をしないか】も等しく大事だ。
親として見せることができない姿って、必ずあるだろう。

④抜けることが可能ならば、どう生活が変わるのか見たい
 他から引っ越してきた者として7年間町内会の活動を経験した。申し訳ないのだがストレスがハンパでなかった。僕と妻は人付き合いが苦手かもしれない。2人でストレスを溜め込んでワケノワカラナイコトになることもあった。「それでもみんなやっている。これでも活動は少ないほうだ」と言われたことがある。本当にごめんなさい。どうしても子供にススメラレナイことをやっている姿を見せられない。ストレスで口が悪くなったり、愚痴を部屋に響かせられない。
私達は抜けることを選んだけど、選びたくても選べない世帯もあるはず。
ずっとこの土地で暮らしてきた方々だ。じいちゃんばあちゃんの代から住んでいたらそう簡単に抜けられないだろう。「みんな抜けたほうがいいよ!」と言ってるわけではない。【抜けることができる】という選択肢があって、これを選んだらどうなるのか。という興味もあった。

去年の2月。何日も何日も、朝から晩まで町内会や様々なことを考え、話をした。夫婦で、親子で、家族で。

そして子供会育成会を抜け、同時に町内会も抜けて1年が経ちました。

というよりも、そもそも誰かが抜けるのを想定していなかったので抜け方というのは無かった。規約に退会する手続きのやり方がなかったんです。
当時は町内会長さんや区長さんに聞いても誰もわからず、「お金を払わなければいいんじゃないの?」とアドバイスを受けて今もそうしている。
たぶん、抜けていることになってると思う。


変わったことはなんだろう。

まず、家から出るゴミの量がかなり減った。
https://note.com/uekiya/n/n584347a56c88 ←ゴミを減らすことについてはこちらを。
特にキッチンから出る生ごみ類はこまめに庭に作ったコンポストへ捨てるので、年間で考えたら相当な量ではないかな。そして堆肥は庭に撒く。
いつもどういうものが分解されやすいのか、されにくいのかを見るのが楽しみだった。
バナナの皮は、結構しぶとい。

自分(家族)の時間を奪われなくなったのはもちろんだが、誰かの時間を奪うのがなくなったことのほうが遥かに嬉しい。
家族のストレスは激減した気がする。
1番変わったのは妻だ。
これまで「これをやりたい」というような内面をあまり口にしてこなかった。僕は「こういう人」とずっと思っていたが、この1年で崩れに崩れた。とても恥ずかしい。
仕事についても違う業態をやってみたい言ったり、仕事以外のことでも挑戦したいこと、夢なんかも話してくれた。10年以上一緒にいて初めてのことだ。以前から心に想っていたのかもしれない。
誰かの時間を奪うことがなくなったことで、自分の時間に向き合えたんだと想像する。
心から応援する。

食べるのに困らなくなったこの国では、いくらでも好きなことができる。
ただ、最初にも言った通り町内会を抜けるのを勧めているわけではない。
私達はたまたま、抜けることが、できた、と思う。家族の中に1人でも、ほんの少しでも反対の気持ちがあれば踏ん切りつかなかった。
この1年、後悔したことはない。
これがきっかけで物事を柔軟に考えることができたように思う。
家族のこと、自分の親のこと、子供のこと、ゴミ問題のこと、死生観。
こうでなければならない、なんてものは1つもない。

1年前抜けるとなったときに、隣組の皆さんに挨拶へまわった。
こういうのって話が早くて、「なにか揉め事があったんでしょ」とみんな知っていた。
それでも「ちょっと休憩するってことだよね」 「気が変わったらまた入ったらいいじゃん」と、優しい言葉しかでなかった。
僕の子供が大きくなって、「入りたい」と言うかもしれない。
楽しみでしかない。どうなるかわからんけど。





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ササハラアキラ
おかげさまで、生きていけます。