礎
両親は家庭的に受験というものを
とくに必要としない人生だった。
父親は、長男で会社を継ぐことが決まっていた。
母親は母子家庭で裕福な家庭ではなく、
バイトに明け暮れ、実家から離れることが目的だった。
その上、特に今の比べて時代の変遷から、
バブル期の日本の高らかな希望に満ちた時代に
青春時代が重なっていたこともある。
他にも専業主婦が多かった世代でもあるだろう。
そこで私だ。父のおかげで、豊かに暮らせて
両親にとても恵まれていると思う。
小学生の頃から喧嘩は絶えずかなり離婚寸前だったが、
今はお互い反発し合いながら丸くなっている。
私は受験に悩まされる中、
両親の若人時代とは全く異なる状況下にいる現状。
兄弟も別の家庭を築いてほとんど話さないし、
受験もまともにしてこなかったため、
家じゃ誰にも苦悩を昇華できない。
恋人やパートナーたる存在がほしいが、
私の絶望的な見た目じゃ誰も声をかけないし、
私も話しかける気力がない。
大学でもありのままで
(隠し事という行為が必要なく、罪悪感がない状態)
受け入れられる居場所がない。
唯一心置きなくいれるのが、note(+Twitter)
早稲田の先輩と地元の数人の友達だ。
しかし、己と向き合う受験勉強だ。
周りのことを気にしている暇などないのだ。
ただ、受験に落ちてしまった時…
そんなことがよぎると、
周りとの隔絶はいかんと思ってしまう。
しかし、本当に自分の時間が増えた、
というかひとりの時間をつくらざるを得ない。
つらいつらいつらいと思うから、やりがいがある。
自分次第で未来が変わっていく責任の重さもあるが、
やるべきことを果たせた一日は清々しい。
あと、現役に比べて受験論について理解が深まることが
かなりあって、それを勉強に活かすと、なお面白い。
そんな風に無意識に苦悩の塊の粘土を捏ねて、
美しい理想像のパーツに昇華させる。
本日はもう寝ます。おやすみなさい。