唐突に無償の愛に溺れて、キュン死するかと思った話。
先日、2時間ほど3歳児のお隣に座ることになった。
私は、子どもの相手はまったく得意分野ではない。
子ども好きとか、子どもに好かれるキャラという自覚は皆無。
子どもなら皆かわいいと思えるほどの無条件の愛はない。
なかったはず。
なのに、かわいい。
かわいいの威力が半端ない。
これまでに何度か会ったことがある3歳児。
最近は人見知りがあるとのことで、話しかけると目をそらし、抱っこされそうになると逃げ、笑いかけると真顔になる。
でもフォークで麺を口に運んで差し上げると、ハニカミつつ一本ずつちゅるちゅる吸ってる!!吸っておいでになる!!(私がのけぞる)
2時間、一貫して距離を保ったまま。
1年前みたいにしれっとぬくぬくと抱っこはさせてもらえなかったけど、1年前より圧倒的にかわいかったなあ。
「ワタシ、あなたのことよく知らないので時間ください」
「ちょっと、どうしたらいいかわからないので保留にします」
「ひとまず、パーソナルスペースは保っていただきたいです」
「近づくときはワタシからいくので、距離詰めないでください」
「別にまだ、あなたを受け入れるって決めたわけじゃないです」
みたいなセリフが、まんまるの頭から吹き出しで出ている感じ。
目が合うたびにそらされ。
手を伸ばすと逃げられる。
でも、ふと気づくと見てる。
ねえ、いま見てたでしょ、私のこと。
ガン見ビームを送り返すと、はにかんで顔をかくす。
が、しかし。近づこうとうすると逃げていく。
正直すぎる反応に、いちいちキュン死寸前。
もう反則。降参です。
きみの名は、今日から「かわいいさん」にしよう。
懐いてくれるからかわいいんじゃない。
抱っこさせてくれるからかわいいんじゃない。
笑顔を向けてくれるからかわいいんじゃない。
圧倒的かわいさの正体は、天衣無縫。
嫌なものは嫌。好きなものは好き。欲しいものは欲しい。
とらわれずありのままで正直な姿で、今を生きている姿が、ひたすらかわいい。きみが、この世界をありのままで生きられる世界と認識していることが美しいってことだ。
大人は、なかなかこうはいかないね。
本当は苦手な場面でニコニコしたり。
本当は飽き飽きしているのに頷いて相槌打ったり。
本当は不安なのに限界まで近づいたり。
本当は怖いのに立ち去れなかったり。
本当は消耗しているのにやめられなかったり。
本当は哀しいのにうまく泣けなかったり。
大人も時々、自分にとことん正直になるといい。
できる限り、自分に誠実に生きるといい。
そして互いに、そのことをゆるし合うといい。
きみが不安でも、泣いていても、笑っていても、後ろ姿でも、怒っていても、変顔でも、隠れていても、とにかくかわいいってこと。
きみが期待に応える限り愛をあげるなんて、いつか誰かが言うかもしれないけど、そんな条件付きの愛の世界はまやかしだから。
誰にもおもねることなく、のびのび生きておくれ。
最後にハイタッチしてくれた3歳児を見送りつつ、デレデレの夜。
(今日はハイタッチまでいったが、次はまた目を合わせてもらえないところからやり直しだな。何度でもやってやるぜ)
【後日談】
昨夜の食事会の記憶には『かわいいさん』の残像しか存在しないと、私の鬼推しぶりをママに告げてみたところ…。
なんと、惜しげもなく『かわいいさん』の動画と写真を送ってくれた。
こうして沼る…。