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グレイスケール

今回は、カウンセリング中の会話をそのままお話。



グレイが嫌い
-どうしてグレイが嫌いなの?
だって、グレイなんて誤魔化しだもん

-他に嫌いな理由は?
だって、ハッキリしないし
(ハッキリしない立場を取る人が嫌い)
だって、ストレートじゃないし
(ストレートにものを言わない人が嫌い)

わざわざ 歯に物が挟まったような言い方を選ぶ
そういう責任感のなさが嫌いなの

そうやって責任感がなくて「曖昧」にする(人、物)が嫌いなの



-どうして曖昧が嫌いなのかな?
だって、私は許されなかったんだもん
だって、誤魔化しちゃいけないって言われてきたの
だって、ハッキリしなさいって
だって、責任感をもちなさいって
曖昧にしちゃいけないって私は教えられ続けてきたんだから!
それを守ってきたの!

私は許されていないのに
目の前でぶち破っている人を見ると腹が立つの!!


-どうして腹が立つのかな?
だって、一体、なんなの?!って思うじゃない
それが許されるんだとしたら、私はなんなのって!?
今まで一生懸命生きてきた私が馬鹿みたいじゃないって!?

だって、そんなことが許されるのなら
ま今までの私(言われたことを守り続けてきた私)なんて
価値がないじゃない


そんなの 悲しい


-どうして悲しいの?
本当は、認めてほしかったのに
本当は、頑張ってるねって声をかけてほしかった
本当は、よくできてるねって見ていてほしかった


-どうして見ていてほしかったの?
本当は、本当は、愛されているって感じたかった
頑張ってるのに愛してもらえないなんて 悲しい



あれ?っいつから私 こうなんだっけ?
いつから、愛していてもらいたかった?
いつから、見ていてほしかった?
いつから、悲しかった?
いつから、腹を立てていた?
いつから、嫌いだった?


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カウンセラーと話すときは、思いがけないきっかけから
話が深まっていったりする。

「グレイが嫌い」というなんでもなさそうな話。
でも、終わりには
「本当は愛されているって感じたかった」という
切ない気持ちが隠されていた。


今回のように、
「思いがけず自分で気づいていく」
、、、そういえば、、、私って。。。。と


実はこの、自ら気づいていくと言う過程がものすごく大事なのだ。


よくあるのが、心理分析や診断で何種類かのタイプに割り振られて、
あなたはこう言う人間です!なんて判断されたり、評価されることがある。


それには
嫌悪感が湧いてくるし、型にはめれ要としているみたいで不信感すら抱いてしまう。

でも、今回の例のように 自分の中から湧いてくる感情のまま言葉を
放出すと
客観視してみることができたり
冷静に、素直に、認められたりする。


あぁ、そうだったのか。
あの時、そんなに悲しかったのか。
あれ、、おかしいなぁ
何年も、何十年も前の記憶なのに
思い出しただけで涙が出てくるなぁ。

そういう、、、小さい時に本当は欲しかったもの
本当は、、、欲しくて欲しくて感じたくて、たまらなかったものを
隠しながら、なかったことにしながら、人は生きていたりする。


湧き上がってきた想いがあるのに
受け止めることも 消化することもしないで
なかったことのように無視をして 蓋をして生きていく。

でもね、その気持ちは何年経っても
何十年経っても 隠していただけで 
見ないようにしてきただけで
いなくならない。



「どうして、そんなに極端に生きてるのかしら?」
自分一人では考えようともしなかった問いかけを
ふってくれたり、

どんなに辻褄が合わない答えを言っも
感情のままに怒りや怒鳴り声を向けても、
悩み続けて答えが何も出なくても、
それでも一緒にいてくれる存在が
心には必要だ。カウンセラーはあなたの味方だよ。




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