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聞く耳を持たない 効果
学校教科である「社会」が好きだった時期がある
中学1年生から2年生の頃だ
そう、この一時的に好きだったと言うところがミソである
結論から言うと
社会科の授業をしている先生が
私の理解者だと感じていたため
その人の話や言葉がすんなり自分に入ってきた
それが心地よくて、「社会」が好きだった、、、、その時だけ
言い換えるとこれは、、
心が開くから 聞く耳を持つようになると言う話
人が心を開くときとは決まっている
自分を分かってくれている
向き合ってくれている
認めてくれている
と感じた時だ
単純にして明快だが
いまだによく理解され切ってはいないように感じる
理解されていないが故におこる事態は以下のようなこと
頭ごなしに注意だけする
理由も聞かずに怒鳴られる
片方の話だけを聞いてジャッジされる
一方的に殴る&蹴る
これは体でも心でも「否定」と認知する
私はいらない人間
私の声なんか聞きゃしない
私の意見なんかあっても意味ない
人間の心をブラックに真っ黒黒に潰す方法は
存在の否定である
存在の否定をされると人はどうするのか
自分を守るために 自分の心を守るために
硬くなに閉じる 殻に籠るのだ
心を開くには 聞く耳を持つこと 向き合うこと
心を潰すには 聞く耳を持たないこと 存在を否定すること
「社会」と言う教科を思い出すたび
あの時の「理解者」の存在のありがたさを感じる
先生、、、ありがとう。
あの時、話を聞いてくれて。
だから私も自然と先生の話が聞きたくなったんだ。