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美味しくて涙が溢れるようになるまで
「鬱」回復後、半年経っての出来事。
何がどうなったら、泣いてしまうのか?
不思議に思っていた私が、体験した話。
美味しくて涙が出るに至るまで
鬱から回復していく中で、起こったある変化がある。
それは感謝を毎日書く。唱える。
最初は1行書くのに、時間がかかった。
有難いなんて思っていることがないから、
今日も朝日が登ってくれて嬉しいのではなく、悲しいのだから。
でも、カウンセラーの勧めで書き始めた。
「一つでも良いから、今日これが良いなと思ったことがあったら書き留めて、貼って、声に出してみて」
本音はイヤイヤである。
生きてて有難いなんてまだ思っていない。
明日が来ないほうが良いと思っている心境に変化はないのに。
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良いなと思うことを探し始める
起きるのも、面倒臭い。
歯磨きするのも、重労働。
毎月の就労金補助の更新面接に行くのが、しんどい。
まだまだこんな状況だったけど、良いなと思うことを探し始めると見つかるものだった。
最初に見つけたのは、「何時に起きてもOKっていいな。」だった。
仕事場には行かない。まだまだドクターストップがかかっているから。
誰もお越しに来る人もいない、起きてしなきゃいけない事もない。
そしてこれを、1行書いた。
「何時に起きてもOKっていいな。ありがとう。」
これだけだった。
一応、勧められた通り声にも出してみた。
「何時に起きてもOKっていいな。ありがとう。」
声に出してみるとさらに不思議なことに、
本当に良いかもしれない。と思うのに少し驚いた。
それからの感謝の文は少しずつ増えていった。
買い物に行けた。良いな。
お店の人と少し話ができた。良かった。
買ったアボカドが美味しかった。良いな。
花火が見れて嬉しかった。良いな。
↓
雨が降っても、屋根があるお家に住めててラッキーだな。
冷蔵庫が発明されてて電気も通ってて、食べ物が保存できるって有難いな。
↓
悲しくてたまらない時に帰っておいでと言ってくれる友人がいてくれて、嬉しいな。
消えてしまいたいのに、消えないでと止めてくれる友人がいてくれて有難いな。
鬱だと打ち明けたら、鬱だったよと自分の話をしてくれる人が現れて温かいな。
この感謝の文は、声に出すことによって、実感する。
その効果は徐々に「もう少し生きてても良いかもしれない」に変化していった。
感謝が習慣になる
そして、ようやく冒頭の時期に到達する。「鬱」回復後、半年。
この頃には感謝に溢れている。
お食事をいただける体に生まれたこと。
3食いただける環境にしてくれた両親。
感謝できる自分。
私と付き合ってくれている体。
食材と目を合わし、ご先祖様、地球、神様、お食事を運んでくださった人、調理してくださった人、調理器具を作ってくれた人、火を通してくれた人、食器を作ってくれた人、お野菜を育ててくれた人、美味しくなるように研究を重ねてくれた人、、、そしてその方達が生きている今を作ってくれたご先祖様たち、、、
キリがないようだが、、、世界は感謝にあふれている。これが事実なのだ。
美味しい。ありがとう。幸せの連鎖
一つでも何かのプロセスが違えば、私の口に入り、美味しい!と感じさせてくれている瞬間は存在しない。
何か一つでも違えば、私が味わってる感動はここにない。
小さな感謝が、連なって、私の生涯だけでなく、両親や、ご先祖様や、周りの全ての人がみんなリンクしている。そんな世界に私は存在している。
美味しいと感じる体験をさせてもらっている。
あぁ生まれてきてよかった。そう思えるまでになったのだった。
そりゃ泣くよね。美味しくてw
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