Encounter
秋というのは、一年の中で最も過ごしやすい陽気だ。私のような出不精さえ心地よい秋風に充てられたいと思わせられてしまう。そしてそれは時に、不思議な出会いをもたらしてくれるのだ。
そのたい焼き屋は東京圏から少し外れた小さな町にあった。普段なら通り過ぎる一つ前の最寄り駅で降りると、錆びた商店街のゲートが出迎えてくれた。平日の午後十一時を回ったところであろうか、青白い煉瓦道には殆ど人がいない。自転車に乗ったスーツの女性が向かいからやってきて、訝しげにねめつけた。
月の光が差し込む一本道を行き先もなく歩く。古着屋、花屋、クリーニング屋、帽子屋、八百屋、エステサロン……全ての生活用品が集約されていると言わんばかりに、数百店舗が無造作に押し込められていた。
大きな十字路までやってきて、ふと足が止まった。どこからか懐かしい香りが漂っている。注意していなければ気が付いていなかったであろう。店と店の間に蝋燭の小さな火がぼんやりと灯されていた。近寄ってみると、紺色の暖簾の下に墨で書かれた手書きのメニューが貼ってあった。
【板西庵 お品書き】
・いたいやき 一五〇円
・なきたいやき 一五〇円
・ねむりたいやき 一五〇円
何味なのか、なぜこのような名前なのかよく分からなかった。けれど、一つ一つの文字が習字の手本のように洗練されて美しかった。
「いらっしゃいませ」
ふいに、上品な声が振ってきた。顔を上げると、先ほどまで誰もいなかったカウンターに作務衣を着た美人が微笑んで立っていた。恐らく店主だろう。長い睫毛を瞬かせ「この辺の方ですか?」と尋ねた。
「あ……いえ、今日はたまたまです」
「そうなんですか。こんなに夜遅くまでご苦労様です」
ははは、と薄くなった頭を掻いた。
「これも何かのご縁ですから、お一ついかがですか? お客様の今の気持ちに合わせたものをお作りいたします」
なるほど、そういうことか。ようやく合点が行き、私はねむりたいやきを注文した。深夜に甘いものを食べるのは罪だとは思ったが、いざ生地の焼ける香ばしい匂いを嗅ぐと口内に唾が溢れ、下腹が疼いた。
やがて、店主は出来上がったばかりのきつね色の鯛を手渡した。うぐいす紙の中でほんのりと立ち昇っている。名前の通り眼が閉じられているのがいじらしかった。私は年甲斐もなく大口を開けて頬張った。その時、いたずらっぽい笑みを浮かべる彼女と目が合った。
――それからのことはよく覚えていない。あのたい焼きが何味だったのか、美味しかったのか不味かったのかさえも思い出せなかった。
もしかしたら、私の夢だったのかもしれない。店がひしめき合うあの商店街の隙間にたい焼き屋があったとは思えないし、実際見つけられなかった。もちろん、美しい女店主にもである。
ただ、スーツのポケットの中でくしゃくしゃに丸まった包み紙をどう説明したら良いのか、私には皆目見当もつかなかった。