まほう薬
5歳のまあちゃんの好きなことは、まほう薬を作ることです。まほう薬とはその名とおり、まほうでビョーキやケガを治すだけでなくどんなお願いごとも叶えてくれる、とてもとてもすごいお薬なのです。
「さあ、今日もよくキくお薬を作らなきゃ」
芝生マットを敷いたベランダに座ったまあちゃんは小さな手で器用にスモックの袖をまくります。後ろでは大きな窓が開け放たれ白いレースカーテンがお日さまをあびて長い髪と一緒にふわふわと揺れています。まあちゃんは両方のポッケから材料を取り出しました。歯みがき粉、顔を洗うせっけん、塩、砂糖、かたくり粉、ママの部屋からこっそり持って来た肌色のチューブ、です。洗濯機の下にあった水色のボトルのやつも使いたかったのですが、表面にでっかく『まぜるな危険!』と書かれていたのでやめました。ポッケから出したじゅんばんで、目の前のお椀に慎重に調合していきます。途中、塩のフタが外れて他の材料が白い砂山に埋もれてしまいましたが、良いんです。料理は勘だとママが言っていました。全て入れると、おままごとのスプーンで混ぜていきました。粉っぽかったお椀の中身が徐々に粘り気を帯びてざらざらした卵色の塊になっていきます。まあちゃんは呪文を唱えました。
「タラリラ、タラリラ、ラッタッタ。ルナちゃんのクサバナビョーが良くなりますように」
そうです。まあちゃんがまほう薬を作り始めたのは、ルナちゃんのためでした。ようちえんに行く時以外、遊ぶ時も寝る時もベランダで日向ぼっこをする時も、いつもルナちゃんが隣にいました。ルナちゃんはまあちゃんのいちばんのお友だちなのです。
手を止めて立ち上がると、裸足のまま部屋へ上がりました。完成したまほう薬をベッドへ運びます。いつも自分が寝ているピンク色の柵が付いた小さなベッドの隅で、ルナちゃんは眠っていました。
「具合はどう?」
声をかけると、ルナちゃんの目がぱちっと開きました。青いビー玉の左目がまあちゃんを見つめています。優しく笑いかけました。
「ルナちゃんのためにまほう薬を作ってきたよ」
ルナちゃんのからだをゆっくり起こしました。枕を背もたれに座らせてやってから桜色の唇にスプーンを近づけましたが、弱っているせいか飲み込めそうにありません。仕方がないので小指でまほう薬をすくって赤い唐草模様の痣が大きく描かれた本来なら乳白色なはずのほっぺたに塗ってやりました。
「早くよくなってね」
つやっぽくなったルナちゃんの小さな顔を見ながら、もう一度寝かせました。
ルナちゃんのビョーキは一向に良くなりませんでした。むしろ陶器の肌は黒ずんで、日に日に悪くなっている気がします。まほう薬はすごいお薬のはずなのに。どうして。ルナちゃんのことが心配で心配で、ママにようちえんへ送ってもらっている途中、ついにまあちゃんは泣き出してしまいました。
その日、ようちえんから帰ってくると、ルナちゃんはベッドにいませんでした。代わりにふりふりのピンクのドレスを着たとても可愛らしい女の子がにっこりとそこに座っています。「ルナちゃんはどこ?」大慌てでママに聞きました。すると、ルナちゃんは重いビョーキだから遠くのビョーインにニュウインすることになったのだと教えられました。ショックでした。ショックすぎて何も考えられません。気がつけば、いつものベランダにいました。作りかけのまほう薬と道具が散らばっています。でも、もう必要ありません。だって、ルナちゃんは、もう、いないのですから。
まあちゃんの丸い目からぽろぽろと涙がこぼれました。頬っぺたを伝うしずくは真下のお椀へ落ちていきます。とてもとてもしょっぱいまほう薬になっていそうです。黄ばんだ半透明の水たまりができた頃、まあちゃんはぼんやり思いました。これを飲んだら、ルナちゃんは元気になってうちに帰ってくるかしら。
両手が自然とお椀に伸びました。水たまりに薄く反射する自分の顔が大きくなって近づいてきます。そうっとふちに口を付けました。流し込もうとお椀を傾けます。その時、コトンと何かが転がる音が後ろでしました。振り返ると、カーテンの下から見知ったちいさな素足がのぞいていました。ルナちゃんだ。まあちゃんはすぐにわかりました。なんだ。ルナちゃんはわたしをびっくりさせようとしただけなんだ。やっぱり、まほう薬はちゃんとキいたんだ。
まあちゃんの顔にたちまち笑みが広がりました。お椀を投げ捨て、勢いよくカーテンをあけました。
「ルナちゃん!」
そこには、誰もいませんでした。
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