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2つの「なごやじょう」

桜満開の名古屋城。
名古屋で最も有名な観光地と言えば、やはり名古屋城ですね。
この「なごやじょう」が「なごやじょう」敷地内に2つあることを皆さんご存じでしょうか?
また、この「なごやじょう」には、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の「三英傑」が深く関係していることを。

「何ややこしいことを言っているんだ」と、怒られてしまいそうですが。。。

いまから500年以上前の室町時代に、名古屋の北部の那古野の地を領有していた今川氏の一族が城を建てました。これが「那古野城」です。その後、戦国の時代になると、尾張守護代であった織田信長の父・織田信秀が那古野城を奪い取ります。
織田信秀は居城を古渡城(現在の名古屋市中区)に移すと、織田信長にこの那古野城を譲ります。

1555年 当時、尾張の中心だった清須城に信長が移ると、那古野城は叔父にあたる信光が城主となりますが、その後、那古野城は廃城となりました。

織田信長はみなさんご存じの本能寺の変によって没し、豊臣秀吉が天下統一を果たします。

豊臣秀吉の死後、1600年 関ヶ原の合戦により、徳川方が豊臣方に勝利ますが、大坂には秀吉の子・秀頼が城を構えており、家康は豊臣家を牽制するため、尾張の守りを重視していました。そこで目をつけたのが、那古野城だったのです。

清須城のある地域は当時からたびたび水害などの被害に悩まされていました。さらに一帯は軟弱な地盤で、大地震に伴って液状化現象も起きていたようです。そこで、家康は熱田大地の北部の地盤が強固な高台である、那古野城跡地に城を造るよう豊臣方の大名らに命じて「名古屋城」を築きました。この築城は、豊臣方の経済力を削ぐ目的もあったとされています。

その後、第二次世界大戦下の空襲により、当時の名古屋城は焼失してしまいましたが、名古屋市民だけでなく、国内外からの多くの声により、今の名古屋城が再建されたのです。

「なごやじょうは2つあった」。
いいえ、じつは、遠く離れた九州の佐賀にも「なごやじょう」があったんです!
この佐賀にある「名護屋城」を築いたのは、何を隠そう、「豊臣秀吉」だったんです。豊臣秀吉が朝鮮出兵の出兵拠点として築かれた城です。

国内にある、3つの「なごやじょう」。
この3つの城に、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の「三英傑」が深く関係している。
歴史ってほんとにおもしろいですね!!

名古屋にお越しの際は、ぜひ、「なごやじょう」へ、おこしください^^

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