アマルガムのうた
卒業文集が出てきたのを読んだので書き起こしておく。
一炊の夢ほど永くもない夢を、木枯らしに舞う銀杏の葉に触れる刹那、見た。そんな心地の中、もう終わる生活の最後の部分で、僕は笑っている。ベランダに置かれた木製のベンチに座り遠くを見遣ると、厚い雲の隙間から太陽がぼんやりとした光を投げ掛け、校庭際に生える木は少しくすんだ緑を揺らす。コートのポケットから、食堂の自動販売機で久しぶりに買ったレモンティを取り出し、ストローを咥える。かぎ刺激を受けた動物のように、高校で初めて飲んだのもこれだったな、と思いながら。
ホームルームの後、高入生※はN先生に集められ、そこで少し話をした。その時にレモンティをもらった。N先生は食堂から本来持ち出してはいけないうどんを持ってきて食べていた。
そのまま、例えば人見知りの僕にRがカニパンをくれたこと、のような些細なことや、生徒会室に二度泊まったこと、修学旅行、参加出来なかった学園祭、受験も近いのに放課後の教室でトランプをしたこと……を思い出す。そうか、あんなこともあった、こんなこともあった、と、二年を十分に短縮した、事実をランダムに配置しただけの無声映画のフィルムを、その全てに伴った僕の感情は差し置いて、回す。今はこんなにも気怠くゆっくりと流れ、僕の脳は過去をすっかり要約してしまった。
鈍色の風が頬を刺す。瞬間、僕は水銀の中に沈んでいる。その水銀面に向かって浮かんでいく。
このベンチは休み時間にUと生徒会室から持って来た。三階の教室まで運ぶのはしんどく思われたが存外に大した労働でもなかった。そして、いつからか想像以上に居心地の良い場所になっていた。
と、誰かが僕の名を呼びながら教室から出て来る。思考は断片化されて直ぐに昇華した。
「次、移動」
うん、と応えて僕は立ち上がる。ベンチはまだ其処にある。座っていた僕は、もう其処にいない。
※ 高入生:中高一貫校で、高校から入学した生徒がこう呼ばれていた。僕は高入生であった。