3年たって気づいたUNDERTALE好きポイント
先日UNDERTALE G / Soulless Pルートをやったらめちゃくちゃ好きになってしまったという内容の感想文を書いたのだが、細かい好きポイントが入り切らなかったので追加を書きたくなった。
ブキミなかお
![](https://assets.st-note.com/img/1639141023106-9fiqWj01LU.jpg?width=1200)
キャラの生前からの持ちネタだったっぽい「ブキミなかお」、ニューホームで急にビビり始めたフラウィを更に追い詰めて逆上させたときにも主人公がやっていたわけだけど、これもし万が一キャラが「おっアズリエルやんけ!変顔して笑わせたろ!」みたいな感じで友好のポーズとしてやって拒絶されたんだとしたらクッッソつらいな…と思った。いや絶対ないだろうけど……
どっちみち昔は2人の鉄板の内輪ネタだったブキミなかおが今じゃただの恐怖の象徴なのが悲しい。
いせきにいるアズリエル
「よく考えたらキャラは全然いい人間じゃなかったけどフリスクは理想のともだちそのものだよ」みたいにめっちゃキャラの悪口いうからすっごいヒヤヒヤした。
まあキャラは悪いやつなんだけど…
地上で何かとてもつらい目にあって地底に落ちてきたニンゲンのこどもがとても優しいモンスターの親子と家族になって心の傷を癒やし幸せに暮らしました、という展開は起こり得なかったのか?というと実際かなりキツいと思うんだよな。自分がめちゃくちゃ辛いすぐ横で幸せそうにしてる同年代の親友を一番近い場所で見続けるの拷問に近くないですか?
「ウマいメシ、くだらないギャグ、ともだち」があれば暗い地底でだって満足して生きていけるなんて欺瞞だ、というのがUNDERTALEのいたるところ(パピルスたちとどんなに仲良くなっても地上に帰りたがるフリスク、毎日無理をして笑って暮らしているスノーフルのモンスターたち、あきらめてしまったサンズ、Gルートをやるプレイヤー)を通して語られているし、キャラだって例外ではなかったと思う。結局のところキャラが最後に選んだのはトリエルの愛情や親友のアズリエルじゃなくて、バターカップの花とほんもののナイフだった訳で……
BEST FRIENDS FOREVERのハートのロケットをわざわざ取り戻してからBest Friendをブチ殺すキャラ、煽りの天才では?でもこのロケットに愛着を見せるあたり、キャラもアズリエルのことはちゃんと親友だと思っていたんだと思いたい。
キャラはニューホームにある花の絵とパパキングのためのピンクの手編みセーターにも反応を見せるけれど、もしこの辺のアイテムがフラウィと同じように「だれかをあいするこころを感じるために頑張ってみた」形跡なんだとしたらしんどいな。
いせきの出口を破壊するトリエル
![](https://assets.st-note.com/img/1639148098604-QPPsGYzeJN.jpg?width=1200)
なんでこのタイミングになるまでいせきの出口を破壊しなかったんだろうと思ってたけど、これを壊してしまったらもう二度と大扉のノックノックジョークのともだちに会えなくなっちゃうから躊躇してたんだな……
逆にそれを捨ててまで守ろうとした「7人目のニンゲン」の重みを感じる。
5周年記念目覚まし時計セリフ集で彼らがめちゃめちゃいちゃついてるのが好き。
パピルス戦とサンズ戦
実際に戦ってみたら思ってた以上にリフレインしてた。
開戦前に主人公と彼らのお互いの姿が影になって見えない
こうげきが似てる(当たり前)
疲れてきたら向こうから「みのがし」てくれる
スペシャルこうげきが”ない”(パピルスのはイヌに食われた)
サンズはニンゲンを倒せない、ニンゲンは(「みのがす」ターンまで)パピルスを倒せない
![](https://assets.st-note.com/img/1639149456542-k6xqC5CP1U.jpg?width=1200)
サンズ戦に慣れたあとにパピルスと戦うとリズム感が全然違うからめちゃめちゃ難しかった。
ナレーション=キャラ説
![](https://assets.st-note.com/img/1639580856339-K3CCysanqP.jpg?width=1200)
ナレーションに何らかの意味を求める場合以下の説をよく見る気がする。
全編キャラだよ派
全編フリスクの心の声だよ派
プレイヤーの心の声だよ派
Gルートだけキャラだよ派
ナレーションはナレーションだよ派
キャラにはマジでなんとかして幸せになってほしいので全編ナレーション=キャラ説は救いではあるけど、どっちかというとGルートはキャラ、それ以外はナレーション=フリスクの心の声説の方がしっくりきた。というか、キャラが「プレイヤーが虐殺を実行してゆく心の高ぶり」なら、その逆の「プレイヤーが全員と友達になったときに得た喜び」がフリスクそのものなのではなかろうか。
Gルートやってるときの「やりたくてやる訳じゃないんだ、仕方なくやってるんだ……」っていう言い訳、トリエルをママと呼んだ上で口説いたのをサンズにめちゃめちゃイジられたときの「いや…!!選択肢があったから選択しただけだし…!!」っていう気持ちと完全に対応してると思う。
おわりに
Gルートやったらすっかりキャラの限界オタクになってしまった。絶対幸せにならないのが前提の登場人物だけど幸せになってほしいよ…!!キャラがなんの気兼ねもなくチョコばっか食ってられる平行世界はないのか……!!
もしかして: deltarune