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みえる祖母と隔世遺伝1

 とくさん

 祖母は不思議な世界がみえていて、孫の私がパーツをもらった。**
 50年ほど前、保育園に通っていたころ、暗闇にさらに暗いもやもやがあるのに気付いた。私にくっついて繋がってみえるものもあり、部屋の端っこに埃のようにゆらめいているものもあり。
 当時は、母と2人の生活で、商売を営んでいる祖母の家に保育園から帰るようになっていた。祖母の家にはお手伝いさんがいて、よく迎えに来てくれていた。その人は、背が小さく、若いのに背中が大きく曲がっていた。小さい私はその姿を不思議に思っていたが、それを知ってか
「おとくは、心がほんとうにやさしくできているから、ささを迎えに行ってきてといえるんだよ。本当にきれいな娘。」
と祖母は言った。
 保育園に迎えに来たとくさんに、他の子どもが時に残酷な言葉を投げつけた。
「ばけものがきた。」
「ちがう!とくさん!」
と私は言い返し、とくさんの手を引っ張って祖母の家まで走って帰った。とくさんは、おどおどしているようで、恥ずかしそうで、うれしそうだった。
 帰り着いたら、祖母が笑顔でとくさんを迎え入れ肩をポンポンとやさしくたたいた。とくさんは笑って、居間に上がり洗濯物をたたみ始めた。祖母はそれを見届けると、斜めにかけた黄色の保育園のカバンをそのままに、居間の上り口に座って足をぶらぶらさせていた私のところにやってきた。
「もっと言い返せばよかったのに。」
「今度はもっと言うよ。」
と、私が答えると、祖母が
「そうそう!がんばれ。」
といいながら、保育園の帽子を取り頭をなでた。
 祖母は保育園に迎えに来ていなかった。
 とくさんは、保育園で起こったことを祖母に話さなかった。
 私は、知っていて当然という感覚でそこにいた。
 祖母の言っていることが何かもすぐわかった。
 そんな毎日だったから不思議はなかった。
 とくさんととくさん家族はその後何年か経っていなくなった。病気だったらしいということは少し聞いたことがある。時々とくさんの話が出ていたが、じきにそれもなくなった。新しいお手伝いさんが来るようになり、その人も若く一生懸命働いていた。私のこともかわいがってくれたし、話しかけてくれたけど、それほど記憶にない。とくさんが、
「さささん、帰りますよ。」
と呼ぶかすれたような声と、上がりにくい腕を上げて手を振ってくれたことや、今日もとくさんが迎えに来られたという安堵感は、いまだにはっきりと覚えているけれど。
 小さいころから画像と音で覚える癖があったので、今もきれいに音付きでプリントアウトされてくる。時には香りも漂う。
今日、思い出したのはここまで。まだ不思議に気付いていなかったころのお話。

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