悲劇のヒロインが出来上がった話。
家庭環境って自分を作り上げる中で影響が大きいです。悪い意味でも良い意味でも。
私は小学生の時両親が離婚しました。引き取ったのは父親、母親は夜のうちに出ていきいつの間にかいなくなってました。大黒柱の父親は親戚の所で働いていました。しかし父親は気分が乗らないと働かない人でした。雨が降ったから行かないなどはしょっちゅうです。私達をサポートしてくれたのは近くに住んでいた母親の実家の祖母でした。ご飯も作ってくれたりしました。そして私は祖父母と叔母夫婦がいる母親の実家に住み着きました。そこから私の思考が完成していきます。
祖母はよく私に両親が離婚したのは運命なんだ。とよく言ってました。おかげで私は運命という言葉が嫌いになりました。大人になり働き始めると祖母は私に愚痴を言うようになりました。私は叔父と仲良くなく、あまりよく思われてません。祖母は叔父が私の事をこう言っているから気をつけなさい。と何かある度に言います。叔父を怒らせたらこの家をお前は出ていかなければいけない。そうなったらどうする?叔父を怒らせるな。と言います。祖母の家では叔父が絶対的存在です。
私の部屋に来ては祖母は私はもう少しで死ぬ、死んだらどうするんだ?この家にいられないぞ、私はお金なんてない。老いていくだけなんだ。などなど言います。窮屈で仕方がなかった。今思えば祖母は私と叔父の板挟みで大変だったのかと思います。
そして私は祖母は自分は可哀想だと思っている。そう思わないように気をつけよう。と思うようになりました。
叔母にもお前は女の子なんだから、もう大人なんだからなどなにかに理由をつけ文句を言われていました。私の好きな漫画やアニメを見ていても、もう大人なんだからそんなの辞めなさい。と言われます。
私の居場所は私の部屋のみ。後は居心地が悪い。それでも祖母は私の部屋に来ては不満を言っていきます。
おかげで私はこの影響を受け不満と愚痴、文句ばかり言う人になっていきました。ある時、仲良かった友人に「今度はどんな文句を言うの?」と冗談で言われた事があります。それまで私は文句を言っている覚えがなかったので驚きました。私は叔母のように文句を言っている。叔母のようには、ならないと思っていたのにとショックを受けました。それから文句を言わないように気をつけました。
私の場合家庭環境は行動、思考など大きな影響を受けました。自分は可哀想じゃない、祖母の様にはならない。と思ってました。しかし見事に自分は可哀想だと奥の奥の方で思い込んで暮らしていました。親が離婚して愛情を貰えないで生きてきた可哀想な自分、こんなに一生懸命働いてもお金が回らない、生活が苦しいそんな可哀想な自分、思考の奥ではそう思って自分は可哀想だから不幸だから仕方がない。と思い込んで悲劇のヒロインとなっていました。とっても苦しかった。今まで歩んできた人生は沢山の事が起きすぎて、沢山経験してきた、母親が再婚してその相手が夜な夜な刃物を研ぎ始めたり、バカアホなど暴言吐き始めたりそれは追々別で書けたらと思います。
そんな沢山の辛いことがあって悲劇のヒロインは出来上がりました。前に悲劇のヒロイン脱出したと思ったけれど、全然脱出出来てませんでした。今やっと休職中で休めていて、沢山の事を考える事ができたので脱出しました。思っている事をノートに書いて自分の事を理解していき、それで愛されていると気付かされました。大丈夫。と安心をしました。それまでの道のりは長くて苦しかった。
今では悲劇のヒロインではないと感じています。今後の人生も大丈夫な気がします。何かあっても経験してきた事に比べたら大変じゃない。自分ならできると感じます。少し成長したかなと思います!
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