自信が無いので、熊に食われて死にたい

とりあえず迷惑かけたくない人生を歩みたい

その想いが強くなる24歳と5ヶ月の私

この思いを残しておくためにとりあえずここに書いておく

なぜ迷惑をかけたくないと思ってるのはあんまり分からないけど、恐らく様々な人と触れ合ってきたからだと思う

子供の頃からボーイスカウトをやっていたけれど、そこでも色々な人と触れ合ってきた

まぁ本当に色々な人たち

ボーイスカウトの経歴からそのままソニーに入ってる人とか、海外留学大好きで色々なことを発信をし続けてる人とか、医者の卵とかバックパッカーで世界一周したとか本当に色々な人たち

すげぇなぁとか思うけど、ふと自分を見てみるとギャップもすごくて「自分はああはなれねぇなぁ」とか思っちゃうわけで自己肯定感が薄れていくわけで

とりあえず自分も頑張って神奈川代表で色々な所行かせてもらったけど、実際その実績は微妙だったわけで

でも、ぶっちゃけ「ああなれねぇ」というか「ああなりたくない」って気持ちもあったりなかったりする

なんかすごい人って周りにいっぱいいたけれど、その凄さの裏には優しさがないなって感じた

「勝者の裏には敗者がいる」みたいな感じに「凄いやつの裏には凄くないやつがいる」「出来るやつは出来ない奴の気持ちがわからない」とかみたいに

これが甘えとか偏見なのか分からないけど

はっきり言ってその人たちと話すのは自分の惨めさを突きつけられてるような気がしてあんまり好きじゃなかった


自信ってみんなどこから湧いてくるんだろうか、未だに分からない

でもこれでいいと思ってる

自信があるってある種、迷惑をかけるってことなんだと思う

自信があるから、浮気とか不倫できるし

自信があるから、人に文句や暴言が言えるし

自信があるから、人を裏切れるし

自信があるから、暴力がふるえるし

自信があるから、エトセトラエトセトラ

周りの人はどう思うのか考えたことあるのかな?


でも私は人に迷惑をかけたくない

迷惑をいっぱいかけられてきた人生ですし迷惑話を聞いて本当に嫌な気持ちしかしない

結婚もあまりしたくない

この職についてからその想いが強くなった

親なのにどうしてそこまで理不尽な文句を言ったり、子どもの失態に対し謝ることが出来ないのか

全てこちらが悪いのか?どうなんだよ

恐らくこれもみんな自信があるから起こることなのだろう

でも私が親になった時、そうならない、子どもにそうさせない自信が無い

だから結婚もしないし子どもが欲しいとは思わない

性欲はもちろんあるけれど、それだけで女性と付き合ってみたり、関係を持つという気持ちにはなれない

幸い友人には恵まれているので、とりあえずそいつらと遊ぶのが楽しいから、そこだけは楽観的に考えている

でも将来的には皆別々の道を歩くんだろうか

そうなれば私は一人で生きていくことになるんだろう

でも孤独死はまたそれはそれで迷惑をかけるんだろうか


そこで思い出したのが、宮澤賢治の「なめとこ山の熊」だった

高校の現代文で1番強烈に印象に残っているのがその物語

内容は割愛するがその物語に出てくる小十郎に特別な感情を抱いた

マタギとして自然と動物向き合い、孤高で、迷惑をかけず、最後は熊にやられて自然の中で死ぬ

自然に愛され、自然を愛し、命を慈しみ、自然に返る

私は自然が好きだ

森を見てるのも、川を見るのも、動物たちも大好きだ

だから自然に返りたい、そういう生き方をしたい

小十郎の生き方は私の理想に近かった

だから私は熊に食われて死にたいのだ

誰にも迷惑をかけず、その命を全うし、そして血肉は自然のなかに取り込まれ、返りたい

この理論を何人か友達に話したことはあるが「意味わからん」と言われた

まぁそりゃそうだろう

自信がない=熊に食われたいっていうのは客観的に考えて変態だわこりゃ

だけど私にとってはスタートからゴールまで一直線の理論だし、理解されなくても当然だと思ってるし、それでいいと思ってる

だからこれを読んだ私の友達に言っておこう

私が消息不明になったら、「ああ、あいつ熊に食われたな」と、思ってください笑


最後になりますが

ここまで書いて見て思ったのは

「多分私は疲れてる」ということです

とりあえずゆっくり寝てみるよ

ありがとう、おやすみ





















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