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ブラフマーが仕上げた至高のファッション:主の美しさに三界が圧倒

第三巻第二話 ウッダヴァは主の子供の頃の遊戯を列挙する

聖シュカは続けた
『主の献身者ウッダヴァは、愛するクリシュナについて聞かれると、主人のことを思い出して感動に圧倒され返事ができませんでした。ウッダヴァは五歳の頃から食事をせず没頭するほど、遊びの一つとして主を崇拝していました。白髪となるまで仕え続け、主の御足を思い浮かべヴィドゥラの問いに答えることができなかったのです。ウッダヴァはクリシュナの御足からのアムリタに没頭し、歓喜に満たされ黙ったままでした。
彼の体毛は逆立ち、閉じた眼から涙が流れ落ちました。ウッダヴァが愛の想いに圧倒されているのを見たヴィドゥラは、彼が人生の目的を達成したことを知りました。神の世界から肉体へ意識を取り戻したウッダヴァは、両手で涙をぬぐい答えました。

ウッダヴァは言いました。「クリシュナという太陽が沈んだ今、かつて輝いていた家は『時』という大蛇に呑み込まれてしまいました。ですから、私たちの無事を尋ねることに何の意味があるでしょうか。ヤドゥ一族もこの世界も、共に暮らしていた主クリシュナを真に知ることができなかったのです。サートヴァタ族(ヤーダヴァ族)は優れた知性を持ち、人の心を見抜き、主と共に楽しく遊びました。それでも、彼らは主をただヤーダヴァ族の最上の者と呼ぶにとどまったのです。
しかし、心をアートマンであるハリ(ヴィシュヌ)に委ねた者の理性は、主(クリシュナ)に敵対する者の言葉に決して惑わされません。主は苦行なき者にも姿を現し、見飽きる間もなく隠れ、彼らの視力を奪ったのです。
主がヨーガマーヤー(遊戯を可能にするマーヤー)の力を顕すために取った姿は、遊戯にふさわしい人間の姿でした。その優雅さは極まり、この世界のみならず主自身をも驚嘆させ、その魅力は身の装飾さえ美しく輝かせました。

ユディシュティラのラージャスーヤ(戴冠式)で主の姿を眼にした三界のすべての人々は、創造神ブラフマーが持てる限りの技を尽くして、この美しい姿を形作ったのだと思いました。ヴラジャの乙女たちは、主の愛に満ちた微笑みや冗談、戯れの眼差しに心を奪われ、仕事を放り出して眼と心で追いかけ、銅像のように立ち尽くしました。
主は物質界とプラクリティの主宰者であり、カンサ(生まれてくるクリシュナを殺そうとする暴君)のような激しい顕現に苦しめられ、ヴァスデーヴァ(クリシュナの父)のような穏やかな顕現には哀れみを抱き、自身は生まれることなく、部分的顕現(兄バララーマ)を伴いこの物質界に降誕しました。
主はヴァスデーヴァの家に降誕し、無限の武勇を持ちながらもカンサを恐れてマトゥラーを離れ、ヴラジャに身を寄せた。そのことに私は惑わされてしまうのです。さらに、主が両親の前にひれ伏し、『カンサを恐れ、何一つ親孝行できない私たちを許してください』と語った言葉に、私は胸を締めつけられるのです。
主はわずかに眉を動かすだけで、死神のように地上の重荷を取り除きます。その偉業を思えば、どうしてその香りを忘れられるでしょうか?チェーディの王シシュパーラは、クリシュナを憎み続けながらも、ヨギーが求める究極の完成(主との合一)を得ました。これほど慈悲深い主と、どうして別れられるでしょう?戦場でアルジュナの矢に倒れた勇士たちは、最後にクリシュナの蓮華の顔を見つめながら、主の世界へと到達したのです。
主は三界に君臨し、比類なく、誰にも凌駕されず、至福に満ちた本質そのものであり、すべての望みは満たされています。主の御足を置く足台は、諸世界の守護神たちの王冠で飾られています。しかし、ウグラセーナの前に立ち、「我が王よ、どうか私の願いを聞いてください」と家来のように振る舞う姿に、主の奴隷である私たちは惑わされてしまうのです。
主を殺そうと猛毒を塗り乳房を吸わせた魔女プータナーでさえ、主から乳母に相応しい運命を得ました。このように慈悲に満ちた主以外に、保護を求めるべき人がいるでしょうか?怒りによって主に心を向け、ヴィシュヌの乗るガルダが襲いかかるのを見た悪魔でさえ、私には主の信者に思えてくるのです。

ブラフマー神の祈りにより、主は地球に安心をもたらすため、カンサ王に幽閉されていたヴァスデーヴァとデーヴァキーの元に降誕しました。父によってナンダ(養父)の住むヴラジャへ逃れ、バララーマと共に十一年間過ごしました。ヤムナーの岸辺の森で、主は牛飼いの子どもたちと楽しく遊び、子どもらしい姿でブラジャの人々を喜ばせました。成長後は白い牡牛や乳牛を放牧し、横笛を美しく吹き、子どもたちを楽しませました。
その間、カンサが送る悪魔たちを、まるで玩具を壊す子どものように始末しました。さらにヤムナー河の毒蛇カーリヤを懲らしめ、死んだ牛たちを蘇らせ、水を清めて飲めるようにしました。そして主は父ナンダの豊かな財産を活かすため、ブラーフマナたちと共に父を説得し、牛を崇める祭祀を行いました。インドラ神が崇拝されなくなり激怒し、滝のような雨を降らせた際、主はゴーヴァルダナ山をヴラジャの人々の上に広げ、傘のように守って慈悲を示しました。
秋の月光が輝く夕暮れに、主は美しい声で歌い、乙女たちと共に過ごし、慈悲を示しながら楽しみました』

※※※
バーガヴァタムのお話は、まるで螺旋階段を登るように、ぐるぐる回りながらも少しずつ物語の核心に近づく仕組みになっているようですね。何度も繰り返し語られるうちに、気づけばその言葉が脳内にしっかり居座り、知らぬ間にハマってしまう‥そんな魔法のような力を持っています。初めて目にした言葉が、いつの間にかおなじみのフレーズになり、「あれ?これ前にも読んだ気がするけど、今回はもっと面白いじゃない」と思ってしまうのではないでしょうか?

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