世界のすべてを内包する、ビッグバン超えの神様の本気!
第二巻第一話 主の宇宙体の描写
聖シュカは答えた。
「王よ、あなたの質問は世界の幸福につながるもので、アートマンを知る者たちからも高く評価されています。聞き、記憶し、唱える価値のある最も重要な問いです。王の中の王よ、家庭に縛られ五大祭(パンチャマハーヤジュニャ/ デーヴァ,ピトリ,ブータ,マヌ,ブラフマへのヤジュナ)の義務に従う家長やアートマンを知らぬ人々の一生は、夜は眠りや性交に、昼は金銭を得て家族を養うことに費やされ、あっという間に過ぎ去っていきます。彼らは、自分の肉体や妻、子どもといった非実在の対象(無明アヴィディヤーのため自分のものと誤解するもの)に狂おしいまでの愛着を抱きながら、死が迫っていることに気づきません。ゆえに、バラタの子孫よ、モークシャ(解放)を求める者は、宇宙の大霊であるシュリー・ハリの物語を聞き、語り、そこに留まらねばなりません。
人生が終わる瞬間に、主ナーラーヤナ(水に住む者,人々の行き着く場所,全ての存在の源)を思い出すことは、人間としての最高の成果です。これは、ジュニヤーナ(悟りへ導く智慧)、バクティ(神への愛)、カルマ(義務の実践)によって達成できます。心をブラフマンに確立した修行者でさえ、ハリの美徳を語ることに喜びを見出します。「バーガヴァタ」として知られるこのプラーナ(聖典)を、私はドヴァーパラ・ユガの終わりに父ヴィヤーサから学びました。心がブラフマンに向かっていながらも、ウッタマシュローカ(最高に称えられる存在)の遊戯に魅了され学んだのです。あなたはヴィシュヌ信奉者ですから、私の学んだプラーナを全てお伝えしましょう。このプラーナを信じる者は、即座に主ムクンダ(悟りを与える者)への愛を得るでしょう。世の虚しさを悟り、恐れのない境地を求める者や神と一体化した者でさえ、ハリ(救済者)の御名を唱えることが最高の手段であり目的とされているのです。
最高の善を意識し努力して過ごせば、たとえ短い期間であっても、その人生は貴重なものとなるでしょう。あなたにはまだ七日間の時間が残されています。この間にすべきことを全て成し遂げるのです。死の時が来たなら、肉体に対する全ての執着を断ち切らねばなりません。自己を制御し家庭を離れ、聖なる河や湖で沐浴し、人里離れた静かな場所に座し、聖典に従って三つの音「プラナヴァ」(至高の音•AUM,Om)を心の中で繰り返し唱えましょう。そして呼吸を調整し、ヴェーダの種子であるプラナヴァを心に留めつつ、心の制御に努めます。理性を頼りに心を対象から引き離し、行為に揺れる心を主にしっかりと固定するのです。
人は主のいずれかの姿に集中し、他の対象から心を離すと、やがて何も考えなくなるでしょう。その境地こそが主ヴィシュヌの最高の真実であり、神聖な愛に満たされるのです。努力の途中で心がラジャスやタマスに引かれたときは、さらに集中し心を制御することが求められます。その集中によって、彼は愛する主を心の眼で見ることができるでしょう。そして、そのヨギーは、バクティと呼ばれるヨーガ(神との結合)を獲得するのです」
王が尋ねた。「心の集中(ダーラナー)とはどのように行うべきでしょうか?聖典によれば、どの対象に集中することが最も迅速に心の汚れを取り除くのでしょうか?」
聖シュカが答えた。「一箇所に座り呼吸を整え、執着や感官を制御し、理性の力で心を主の有形の姿であるヴィラート・ルーパ(宇宙そのものの神の姿)に集中させるのです。この壮大なヴィラート・ルーパには、太陽や星、大地、すべての存在が統合されています。過去・現在・未来の物質宇宙は、この主の宇宙体に顕現するのです。
主は、地、水、火、風、空、マハット、アハンカーラの7つの層から成る卵のような宇宙(ブラフマンダ)を、偉大なるヴィラート・プルシャ(巨大な存在,原人)として支配します。その主こそ、心を集中すべき対象なのです。神理を知る者は次のように主を表現します。
パーターラ(地球の中心に位置する最下層)は足の裏、ラサータラ(その外側)は足の踵とつま先、マハータラ(さらに外側)は足首、タラータラは脛に当たり、スタラ、ヴィタラ、アタラ(地表のすぐ下)は主の腿に相当します。地球の表面は腰に、ブヴァルローカは臍に、インドラの天国(スワルガ)は胸に位置し、マハルローカは首、ジャナローカは顔だと言われます。タポーローカは額、そして第七のサティヤローカ(ブラフマー神の世界)は頭です。
インドラ以下の神々は主の腕、方位は耳、音は聴覚、アシュウィン双神は鼻、香りは嗅覚、燃える炎は口だと言われます。空は眼、太陽は視覚、昼と夜は瞼に当たります。サティヤローカは眉、水は口蓋、味覚は舌を表すとされています。
ヴェーダは主の頭の王冠、ヤマは前歯、人間の感情はその他の歯。人を迷わすマーヤーは主の微笑み、絶え間ない創造は主の横目づかい(神の意図や慈愛)とされます。恥じらいは主の上唇、貪欲は下唇を、ダルマは主の右胸、アダルマはその背中。プラジャーパティは陰茎を、ミトラ神とヴァルナ神は睾丸。海は主の腹部、山脈は骨格、河は血管、木々は体毛、風は呼吸であり、「時」は動き、トリグナの活動は主の活動性を表すのです。
ヴェーダは主の王冠、ヤマは前歯、人間の感情は他の歯に例えられます。人を惑わすマーヤーは主の微笑み、絶え間ない創造は主の横目づかい(意図や慈愛)です。恥じらいは上唇、貪欲は下唇、ダルマは右胸、アダルマは背中に対応します。プラジャーパティは陰茎、ミトラ神とヴァルナ神は睾丸に象徴され、海は腹部、山脈は骨格、河は血管、木々は体毛、風は呼吸、「時」は動き、トリグナの活動は主の活動性を示すのです。
賢者は雲を主の毛髪、黄昏を衣、プラクリティ(根本原質)は主の心臓、月は全ての感情の根源である主の心だと言うのです。マハットはチッタ(意識,理知)であり、ルドラ神は自我意識(アハンカーラ)と言われています。馬、驢馬、駱駝、象は足の爪、鹿などは尻と腰に宿り、鳥は主の素晴らしい技、最初のマヌ(スワヤンブヴァ)は理性(ブディ)を表し、マヌの子孫(人間)こそが主の住処なのです。ガンダルヴァ(天界の音楽家)ヴィディヤーダラ(知識を持つ半神で神秘的な存在)、チャーラナ(天界の吟遊詩人)、アプサラス(天界の舞踊や音楽を奏でる半神)、彼らは主の物語を、悪魔は主の力強さを表すでしょう。ブラーフマナは口を、クシャトリヤは腕を、ヴァイシャは腿を、シュードラは足を表すでしょう。そして祭祀は主の仕事だと言われるのです。
以上が主の宇宙体が持つ偉大さとその構成の全てです。壮大なこの姿こそ、理性により心を集中させるべき対象なのです。なぜならこの姿を離れては、宇宙には何一つ存在しないからです。
理性を通して全てを経験するのは、ただ一者なる目撃者であるアートマンなのです。人は心から消えすべきであり、他には執着すべきでないでしょう。その執着こそ、魂に堕落をもたらすからです。」
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インドと言えば、なんとなく「オーム」って思い浮かぶよね。あれ、違う?
とりあえず、オームについて調べてみました。
この神秘の音「オーム」、実は「プラナヴァ」というサンスクリット語で呼ばれている。「プラナヴァ」とは、宇宙の根本的な原理や存在の源を表し、ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教においても非常に重要な意味を持っている。
この「オーム」は、実は「A(ア)」「U(ウ)」「M(ム)」の三つの音でできていて、それぞれが宇宙の創造(A)、維持(U)、そして破壊(M)を象徴しているらしい。さらに、この三つの音が合わさると、時間の流れ(過去・現在・未来)や意識の三段階(目覚め・夢・深い眠り)も表しているという、なかなか壮大なコンセプト!
サンスクリット語の発音の不思議で「AU」が合わさると「O」の音になるため、「AUM」が「Om」と書かれるのが面白いところ。だから「Om」って表記、実は深~い意味があったんだね。
瞑想や祈りの場で「オーム」を唱えることで、心が清まり、神聖なエネルギーと宇宙との一体感を高める効果があるとか。いわば、「至高の真理にちょっとでも近づくための音」ってことらしい。きっと、この世を去る時には「南無阿弥陀仏」じゃなくて、「Om」ってつぶやいてるんだろうなぁ‥。
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