願いを叶えたくば、誰にお願いする?~財運はラクシュミー、知識はサラスヴァティー、そして解脱は…?

第二巻第三話 様々な神の礼拝と、主へのバクティ

聖シュカは語った。「死が迫ったとき、賢明な者がどのように行動すべきか、あなたの問いに答えました。神聖な知識を求めるならブリハスパティ(神々の教師•木星神)を、感覚を鋭敏にしたいならインドラ神を崇めなさい。子孫を望むならプラジャーパティ(創造の神)、繁栄を求めるならマーヤー(主の力でありプラクリティを司る女神)を。活力には火の神(アグニ)を、富にはヴァス神群を、さらなる力を求める者はルドラ神群(シヴァ神の部分顕現)を崇めると良いでしょう。
食事や食材を望むなら神々の母アディティを、天国を求めるならアディティの十二人の息子(アーディティヤ神群)を崇めなさい。君主の地位にはヴィシュウェーデーヴァ神群を、国民の忠誠にはサーディヤ神群を、長寿を願うならアシュヴィン双神を、健康には大地の女神(ブーミー)を。安定した地位には大地の女神とディヤウフ(空の神)を、魅力的な容姿にはガンダルヴァを、美しい妻を求めるなら天界の妖精ウルヴァシーを崇拝しなさい。そして、全世界の君主権を得たいならブラフマー神に祈るべきです。 
名声を得たいならヤジュニャ(供儀の主ヴィシュヌ神)を、財宝を望むならヴァルナ(水の神)を、学識を求めるならシヴァ神、幸福な夫婦生活ならその妻ウマー(パールヴァティ)を崇めましょう。敬虔な生涯を送りたいならウッタマシュローカ(最高の詩句で讃えられる方,ヴィシュヌ,クリシュナ)を、一族の繁栄なら祖霊(ピトリ)を、緊急時の勝利ならヤクシャ(夜叉)を、肉体的な活力を得たいならマルト神軍(暴風雨の神)を祈願すべきです。
王国を手にしたいなら、全マンヴァンタラを支配するマヌ(人類の祖)と神々を崇め、不吉な呪文を使うなら死の女神ニルリティを、感官の満足を望むなら月の神ソーマを礼拝しましょう。
しかし、すべての欲望を絶ちたいと願うなら、プラクリティを超越する主を礼拝すべきです。解脱を求める者は、強いバクティの思いで最高者を崇めなければなりません。たとえインドラなどの神々を崇拝する人でも、主の信者たちと交わり信仰を深めれば、最高の善を得るでしょう。主の物語を語り合うことで激情は鎮まり、精神は悟り、心は浄化されます。感官の楽しみを嫌悪し、バクティを愛するようになることで解脱への道が開かれるのです。一度でもハリの物語を聞く喜びを知ったなら、どうしてそれを手放せるでしょう?」と、聖シュカは語った。

ー シャウナカは言った ー
ヴェーダに精通した聖仙ヴィヤーサの息子である聖シュカが語った話を聞いた後、パリークシット王はさらに何を尋ねたのか?スータよ、その話を私たちにも語って欲しい。
偉大な戦車使いであり、パーンダヴァの子孫でもあるパリークシット王は、主クリシュナの熱心な信者だった。幼い頃から遊びの中でさえクリシュナを崇拝しており、聖シュカもまた主ヴァースデーヴァ(クリシュナ)への深い信仰を持っていた。そのような聖者たちが集まり交わす会話には、ヴェーダの智識を持つ者たちが称賛する主の美徳が満ちている。
もし時間を惜しみ、ウッタマシュローカ(クリシュナ)の御名や物語を語らないのであれば、人はただ木のように生き、ふいごのように息をし、家畜のように食べて交わるだけの存在になり下がる。それでも人間と呼べるだろうか?
クリシュナの物語に喜びを感じない人間は、犬や豚、駱駝、驢馬と何ら変わらないとされる。主の偉業を聞き語らない者の耳は、ただの穴に過ぎず、その舌は蛙の舌と同等である。また、主ムクンダに頭を下げない頭は、たとえ絹やターバン、王冠で飾られていても、ただの重荷でしかない。さらに、ハリを礼拝しない人の手は、たとえ金の腕輪で飾られていても、死人の手に過ぎないと言えるだろう。
主ヴィシュヌの像を見つめない眼は、孔雀の尾の模様と変わらず、ハリの聖地を訪れない足は木の根に過ぎない。主の信者の御足の塵を浴びない者は、生きていても死人と同じであり、ヴィシュヌの御足に捧げられたトゥラシーの香りを味わわない者もまた、生ける屍に等しいだろう。
ハリの御名が唱えられても心が和らがないなら、その心は石と変わらない。だが、心が和らげば、目に涙が溢れ、感動で身体の毛が逆立つものだ。
親愛なるスータ(吟誦者)よ、あなたの語る物語は本当に喜ばしい。アートマンの知識を得た最高の献身者、神仙シュカがパリークシット王の質問に答えたそのすべてを、どうか私たちに語ってほしい」

※※※
インドの聖典や物語を読んでいると、一つのキャラクターが場面ごとに違う名前で呼ばれていることに「え、ちょっと待って、この人、誰だっけ!?」と頭を抱えた経験、ありませんか?気づけば自分の中で突っ込みが発動して、「もう名前をひとつに統一してくれよ!」と叫びたくなるような。でも、実はこれ、ただの混乱誘発装置じゃないんです。それぞれの名前には、そのキャラクターの能力、背景、そして深い哲学的意味がぎっしり詰まっているんですよ。
例えるなら、名前がキャラクターのプロフィール集みたいなもの。「あ、この名前は〇〇の力を表してるんだな」なんて気づくと、一気に読み物としての楽しさが倍増します。さらに、サンスクリット語の文法構造はびっくりするほど規則的で親切設計(だからと言って安易に理解できるものでもないけれど)。ヨガのポーズやマントラで使われる単語の意味がわかると、「え、このポーズ、そんな壮大な由来があったの!?」「この名前のポーズって、あの聖者のことだったのか!」なんて、新しい発見がどんどん出てきます。
そう、名前の多さに混乱するどころか、その奥深さにのめり込む準備はできてますか?次回名前が変わったときには、「また新しい一面が見れた!」と楽しむ余裕すら生まれるかもしれませんよ。

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